荒野に虹を 80

 タジが紅き竜を呼び出すと、荒野の空から黒い影が一つ、滑り落ちるようにポケノの町の方角に向かってやってきた。

 その姿は見る間に大きくなっていき、町の入口から少し離れた上空で、自転のような急旋回をして大きく翼を広げた。空中に留まるために羽ばたき、上空で待機する紅き竜の姿は、恐怖以上にある種の神々しさがあった。

「どのように指示しているのですか?」

 住民に仔細を説明するために、アーシモルが問うた。

「知らん。何か勝手に思うがままに動いてくれる」

「それでは住民が安心しません」

「それを何とかしてくれ、って言ってるんだ」

 タジが手振りをすると、紅き竜はうなずく代わりに大きな炎を吐いた。翼を一度、強く叩いて下流域へと飛んでいく。

「ラウジャ、行くぞ」

「は、はい」

 紅き竜にチスイの荒野で大敗したのはどれほど前だったろう。ラウジャの中にまだ恐怖は残っていたが、それを気にしてついて行くことができないなどとは言えなかった。意を決してタジの後について駆け出していく。

 アーシモルの私兵などは残らず恐怖し、立ちすくむばかりだった。事前に説明していなければ、空に向かって矢を放っていたかも知れない。

「タジ殿が……あれを従えている……?」

「ゴンザ殿、今は考えないようにしましょう。まずは、住民に説明をすることです。それから、貧民窟から避難してきた残りの子どもたちに水浴びをさせてやりましょう。彼らは……臭いますから」

 二人は、踵を返してざわつく町に戻っていった。

 タジどラウジャが川の下流域につくころには、紅き竜は上空で羽ばたきながら待機していた。

「臭いのは嫌だとよ」

「紅き竜の言葉が分かるのですか?」

「いや、分からないが、エダードならそう言うだろうな」

 ラウジャに指示して、タジは周囲に人のいないことを確認した。特に、貧民窟のそこかしこに作られた雨風除けの家や、その他下流域のかなり末の方までくまなく探し回る。

 家は寂しいものだった。

 もともと、家財もろくになかったのだろう。木屑で組み上げられた粗末な家は、人の気配が無くなると小動物の巣穴のようである。既に倒壊したものもあって、住環境の脆弱さにタジは驚きを隠せなかった。

「ラウジャ、そっちはどうだ」

「大丈夫です、人気はありません」

「分かった。それじゃあ、かりゅういき作戦といきますか」

 かりゅういき作戦。

 ポケノを通る川の、歪んだ下流域に作られた護岸壁を火竜の息で燃やし溶かす。ドロドロになった状態なら直接拳を叩きこむよりも石切場や探鉱に与える衝撃は少ない。

 とは言え、セメントコンクリートの上に生えた植生には大打撃なのだが、それは甘受してもらうしかない。そこまで気にする余裕はタジには無かった。

「何というか、気の抜けた名付けですよね」

「俺はちょっと気に入っているんだがな。まあいい、ラウジャも早く逃げろ。火事に巻きこまれるぞ」

 ラウジャが逃げ出すのを確認すると、タジは紅き竜に命令を出した。

「あの、護岸壁を燃やし尽くせ。全てを溶かして、歪みきった下流域をかつての流れに戻すぞ」

 そこからの作業は、夜を徹して行われた。

 紅き竜の吐く炎は、岩を燃やし、石を溶かす。森が悲鳴を上げて倒れ、延焼し、それらをタジが殴り、蹴り、拳圧と風圧で制圧する。溶けた岩石が新たな護岸壁となる前に、チスイの荒野の方だけを掘り返していく。

 行き当たりばったりの、とても工事とは言えない、自然への虐待である。

 ポケノの町に住む者たちは、夜だというのに下流域が赤々と燃えている様子を見て、「太陽の欠片があった」と口々に言い合ったそうだ。

 下流域は、一晩でタジの宣言通りにブチ壊された。いつの間にか紅き竜は消え去っており、ブスブスと煙立つ地面は平らに均され、そこには川の姿も貧民窟の姿も無かった。

 町から、放水が起こった。

 水は猛然と下流域に流れ込む。砂利状の土地は、水を吸い込んでいく。タジが破壊する前と同じ方に流れていく水もあったが、その水量は確かに先日のものよりもグッと少ない。

「後は、祈るだけだな」

 見晴らしの良くなった下流域を眺めるタジの後方、チスイの荒野の空に、雲が一筋できあがっていた。

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