荒野に虹を 40
こういう時は、目をそらしてしまった方が負けなのだ。手段への負い目はそのまま肝心な時の詰めの甘さに直結するのを、ゴードは経験として知っていた。
そしてそれは同時に、タジの中にまだ迷いがある証でもある。
「望んでいらっしゃるのですか?」
ゴードが距離を詰める。ほとんど鼻先が触れ合うほどに接近するまで詰め寄ると、さすがにタジも視線を合わせずにはいられなかった。
「分かった、分かったって。少し離れてくれ。……正直に言えば、望んではいねぇよ。俺は犠牲のなすりつけ合いをしたくてチスイの荒野に水を引く提案をした訳じゃあない。助けられるのなら助けたい、そう思ったから提案したんだ」
「なら、そちらの方向で動くべきです。王の勅命など無視してしまえばいい」
「いや、それは無理だろう。勅命を無視して動けば正統性を失うのだから」
レダ王から与えられた勅命は正統性の証明書だ。それがあるからタジの話をまともに聞く人間が出てくるのであって、勅命が無ければそれこそ戯言になってしまう。
「勅命書は持っているだけで効果があります。より犠牲の少ない方法を、より多くの人が納得できる方法を用いれば、例え元々の勅命とは異なったことをしようとも認められるはずです」
ゴードが言っているのは、王の勅命よりも有効な策を考えろ、ということだった。
「勅命書の内容以上の解決策を考えられるのか?」
「時間はありませんが、これから考えていくほかないでしょう。私はできるだけ犠牲を少なくしたい。その思いはタジ様の心の内にもあるはずです」
天幕内で二人、ゴードとタジは地図を睨みながらああでもないこうでもないの議論を始めた。ゴードには物資出納の仕事がどんどん舞い込んで来ていたが、それを全て部下に一任した。また、タジの監視役として次から次へと説得しにくる騎士が天幕にやってきたが、それは一度タジが恫喝まがいの文句を言ってそれ以上やって来ることはなかった。
もちろん、二人の行動がモルゲッコーに奇異に映ることも織り込み済みだった。第一、ゴードは既に一度暗殺されかけている。それを考えれば、二人に何らかのつながりがあり、何かしらの計画を立てていることはバレている。
「しかし勅命はありがたいな」
「モルゲッコー殿が眠りの国の政治に戻る意志がある限り、タジ殿の勅命書は効力を持ち続けます。それが彼の弱みですからね」
木端のざわめきがいくぶん落ち着いたのは、陽もとっぷりと暮れた夜になってからだった。
そのころにはイヨトンも二人のために夕食を持ってやって来て、地図の上にパンのくずをこぼしながら、侃々諤々の議論を繰り広げた。
チスイの荒野から眠りの国の湖にではなく湖から流れ出る河川に合流させる案。ポケノの町で上水と下水それぞれから川の水を引き、混ぜてチスイの荒野に流す案。廃水が汚水でなくなるように灌漑設備に浄水装置、あるいはろ過装置を併設する案。
いずれも一見有効そうな案には思えたが、どれも決定打に欠けていた。
「廃水を嫌うのは穢れの発想でしょうから、根が深いです」
イヨトンが言った。
「綺麗か汚いかではなく、汚された水かそうでないかという考え方ですので、そもそも上流で手垢のついた水などというのは穢れているのです。意識の問題は完全には払拭されません」
「そりゃあそうなんだよな。ろ過装置や浄水施設、って言ったところで、水が滞ることなく流れるような状態であれば、水が一所に留まって腐ることもないし、沈殿の作用で自然とろ過はされていくはずなんだ」
「だいたい川には生物が住んでいるのですから、穢れという発想自体が人間のワガママのようなものなんですよ」
議論は議論の形から外れ、徐々に愚痴の言い合いのような状態になってくる。こうなるともはや有益な意見は出ようはずもなく、思考は煮詰まってしまう。
そんな三人の頭を冷やすかのように、天幕の入口が突然開いた。
五里霧中の脳を振り払ってタジとイヨトンが戦闘態勢をとると、闖入者は入口で驚いて固まってしまった。
「ラウジャか」
月光を背負った影の正体は、歌姫の騒動で活躍し、チスイの荒野で頭角を現したラウジャという若者だった。
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