祈りの歌姫と紅き竜 40

 ふっ、とその場が凍り付くのが分かった。

 タジには、目の前にいる魔獣と称する人間の、血の気が引いていく音が聞こえるかのようだった。見開かれた目、瞳孔がピントを合わせるカメラのように激しく動く。唇が急激に乾き、舌で素早く舐めて固唾を飲む。だと言うのに、エダードの額には一筋の汗が流れていた。

 タジの言葉は、それほどにエダードを動揺させるものだった。

「アンタ、調停者バランサーじゃない、っていうの?」

「聞いたこともないな。そもそも俺にはこの世界の記憶がない」

「なんて事……この世界の者でないだけでなく、この世界のルールを知らないだなんて」

「……何のことだ?」

「……アンタは、この世界に何を求めてきたの?」

 幾分、平静を取り戻したエダードがタジを睨みつけた。

「アンタには、この世界に求めるものがあった。違う?」

 エダードの、別次元からの問いかけのような会話は、タジを困惑させた。それはまだ、誰にも教えていない秘密。この世界にタジがやってきた理由。それを魔獣側である目の前の存在に話すことで何になるのだろうか。そもそも、タジの語る理由など、この世界の人間が聞いたら荒唐無稽と断言するだろう。あるいは、正気を疑われるかのどちらかだ。

 だとしたら、魔獣に話す方がまだ分かってもらえるのではないだろうか。

「……かなり荒唐無稽な話だが、それでも聞くか?」

「笑いはしないわ。アタシはアンタのこの世にやってきた理由……出自が知りたいの」

 大した理由ではないぞ、と前置きをする。

「俺がこの世界に来た……いや、自分の意志でこの世界を選んだわけではないから、正確には来させられた、なのだろうが……その理由は、ある女の子を探すためだ」

「女の子?」

「そう。将来を誓い合い、幸せになろうと言って、死んだ俺の彼女。生まれ変わっても一緒になろうね、と言って死んでしまった女の子。その子を探している」

「死んだ女の子にもう一度出会うために、あなたはこの世界にやってきた、と?」

「そうだ」

 どうだ、荒唐無稽だろう?と自虐的に片方の口角をあげる。我ながら低俗な理由だ、とタジは思った。人間の情など、置かれた環境でいくらでも変化する。仮にその彼女が生きていたとして、この世界で生まれ変わっていたとして、どうしてそれがタジに分かるだろうか。

 あるいは女の子のことを分かったとして、生まれ変わった彼女がタジと再び愛し合うなどということがあるだろうか。

「アンタは、信じていたのね」

「そうだ」

「アンタの彼女が生まれ変わって、どこかの世界で生きているということを」

「そうだよ」

「元の世界でアンタは……?」

「……自殺した」

 タジは信じていた。

 一時の口約束のような、他愛ない褥の戯れのようなその会話を、タジは全く疑わず、彼女はどこかの世界に生まれ変わり、自分も同様にして彼女と再び出会う。そんな、年端もいかない乙女が空想するようなことを、タジは本気で信じて死んだのだ。

 本気で信じて、自殺したのだ。

「自殺した俺は、次の瞬間、謎の声に導かれるようにしてこの世界にやってきた」

「そう……。それなら何でその運命の彼女、そうね、そう呼ぶのが相応しいわ。運命の彼女を探すために時間を使わないのかしら?」

「使っているよ。俺は俺がこの世界に名声をとどろかせることができるだけの力をもってこの世界にやってきた。だから、俺はただ名声を上げて人口に膾炙するためにこうして戦っている」

「……単純なのに回りくどいのね」

「それで、この話が英単語と何の関係があるっていうんだ?」

「大ありよ、話を聞くとどうやらアンタは調停者バランサーではない。でも、この世界とは別の世界からやって来ている。それはきっと神の導き」

「どっちの神だ?」

 人間側の神か、魔獣側の神か。

「さあ、それはアタシにも分かんない。でも、アンタはとてつもない力を授かっている。それだけで世界を壊すことができるくらい」

 でもね、とエダードは言う。

「残念なことに、英語は私たちとは別種の力を秘めているの。この世界を根本から塗り替えてしまう力。だから、英語はこの世界では『禁忌の言語』になっている」

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