祈りの歌姫と紅き竜 29

 物の試しに、タジはエダードが女性であること、見つめ合っていたように見えた時間にエダードが一方的に状況報告をしたのをラウジャに伝えてみた。

「歌姫が帰らないとはどういうことなのでしょうか……」

「ああ、紅き竜が雌であることには驚かないのね」

「今はそのようなことを気にしている場合ではありません!」

 紅き竜が歌姫に恋をした、という想定がタジの心の裡に無いわけではなかったが、それを伝えても意味はない。頭をふって邪な想定をかき消すと、ラウジャの懸念に同意した。

「帰らない、という言葉の捉え方は二つだ。一つは、紅き竜が拘束して返さないという意味。一つは、歌姫が率先してその場に残るという意味」

「お二方や、一度天幕に戻りましょう。中でオルーロフも待っていますし、我々の勝利条件もまだタジ殿にお伝えしておりませんで」

 慰撫を終えたのか、へたりこむ傭兵たちの間からビジテが二人を呼んだ。二人はビジテの言われるがままに天幕に入り、地図の広げられたテーブルの前に座っているオルーロフに連なるようにして座った。

「紅き竜の用件は何と?」

 幾分正気を取り戻したオルーロフがタジに問う。

 ラウジャに語ったものと同じ内容を説明すると、それぞれ思案顔になった。

「……我々の定めた勝利条件は、祈りの歌姫の奪還、その一事です」

 夜を徹しての話し合いだったのかはタジには定かではなかったが、その結論は予想の範疇のものだった。

「紅き竜の討伐、ではないと」

「タジ殿であれば、紅き竜の討伐は造作もないこと……なのかも知れません」

「知れませんじゃあないな。勝利条件がそうであるならば、俺は必ず勝つ」

 不遜な物言いも、先ほどの二者の対峙を見ていたラウジャとビジテには絶大な説得力を孕んでいる。一蹴、と言わんばかりのエダードの一撃も、炎の吐息の一薙ぎも、タジには何のダメージにもなっていない。反撃こそしなかったが、タジは今の紅き竜と互角以上に渡り合えるだろう。

 その場は焦土と化すだろうが。

「タジ殿が『何を勝ちとするか』を私たちに委ねてくださったことは、僥倖としか言いようがありません」

 ラウジャが言う。

 タジと紅き竜の戦闘は、激戦になるだろう。例えば、あの場で二者が戦闘を開始すれば、周りの人間は強風に煽られる枯葉のようにあっけなく散るだろう。二者が周囲に及ぼす影響の大なるを怖れれば、まずは紅き竜に捕らわれた歌姫を救出することが先決である、と。

「彼女は、魔法を用いて味方を鼓舞することができる特殊な人間なのです」

「おお、そうだ。魔法について詳しく聞いていなかったな」

 イヨトンから聞かされていた魔法という言葉。獣が魔瘴を体内に取り入れて魔獣化するのに対して、人間の用いる魔法とはどのようなものなのか。

「……イヨトンはどこだ?」

 説明を後回しにしていたイヨトンは、天幕内にいなかった。

「彼女には、任務をこなしてもらっています」

 オルーロフが無表情に言う。

 オルーロフはイヨトンと面識があった。イヨトンのもつ技術についても知っていた節があり、それが役に立つことも知っている。気配を消しての隠密行動。タジ自身もイヨトンの技術を目の当たりにしたが、あれは気配を消すなどという生優しい代物ではなく、もっと概念的な「存在/非存在」を操っているようにすら思われる技術。

「……まさか、紅き竜の後を追っていったのか!?」

「人間側に損害を出さずにそれが可能なのは、この戦場でイヨトンだけでしたので」

 ビジテに尻を蹴り上げられる方の人間かとタジは思っていたが、なかなかに肝の据わっている人間だった。

 イヨトンは今、隠密技術を用いて紅き竜の後を追っているという。タジによる歌姫の救出を円滑に進めるためには必要なことだ。

「紅き竜が来ずとも、イヨトンにはその技術をもって紅き竜の居場所をつきとめてもらう手筈でした」

 無表情に隠れた強かさ!

「戦場にある以上、その貴重な技術は用いられなければなりません。タジ殿に同行されている以前に、彼女は騎士なのです」

 オルーロフの言葉がタジには空虚そのものに聞こえた。悪態の一つもついてやろうかと思ったが、ラウジャが説き、タジが糾弾した騎士の志を逆手にとられている以上、反論の余地はない。

「それは分かった。今は歌姫の使うという魔法について、説明してもらおう」

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