【番外編】川のぬしづかみ 9

「そもそも、川に魔獣が現れることを想定していなかったのです」

 村では珍しい陶製のポットから静かに茶を注ぎながらムヌーグは言った。

「それは俺も想像外だったよ」

「ええ。水棲の魔獣が存在していることは知っておりましたが、水棲の魔獣が現れたときには、独特の符号が現れるのです」

 基本的に魔獣は獰猛で貪欲だ。

 大抵の魔獣は他の同種の生物に比べて巨体であり、その巨体を維持するために用いられるエネルギーも多い。そのエネルギーを調達するために、ほとんどの魔獣は肉食寄りの雑食であり、特に水棲の魔獣はそれが顕著だという。

「彼らは縄張り意識が強く、そこに現れる生物を捕食します。それは人間も例外ではなく、子どもが魔獣に襲われていなかったのはほとんど奇跡に近い」

「とは言え、俺が見た魔獣はそんなに大きく無かったけどな」

「それもたまたまです」

 水棲の魔獣は、ほぼ必ず毒を持っている。魔獣の毒は一般的に有毒とされる他の水棲生物が持つ毒に比べて、即効性という点で非常に優れる。彼らは一噛みで患部をグズグズに溶かすような毒や、皮膚に触れただけで刺すような強い痛みを伴うような毒を有している。

 そのため、水棲の魔獣が現れた場合、有毒化した魚の死骸の一部がそこかしこに落ちていることがあるのだ。それは一種の示威行動であり、縄張りを主張するものであった。

「うげぇ……俺は運が良かったんだな」

「知っていてつかみ捕りなどしたのであれば、間違いなく命知らずでしたね」

「遠まわしに俺のことをバカと言うのをやめろ」

「被害妄想ですよ」

「防衛本能だ」

 タジがつかみ捕りしたぬしの特徴を聞くと、ムヌーグは一瞬考える様子をみせたものの、すぐに顔をあげた。

「やはり、知らない魔獣ですね」

「だろうな」

「そもそも私が魚型の魔獣に不勉強なところは認めますが」

「認めるんだ」

「私は高慢ではありません、話の腰を折らないでください。とにかく、魚型の魔獣に関して私の知っている知識と照らし合わせて、そのような種類を私は知らない、と言うことです。そもそも、私のもっている知識と合わせて考えれば、明らかに矛盾している点がありますでしょう?」

 高慢扱いされた意趣返しとばかりに、ムヌーグはわざと問いかけるように言った。そういうところに底意地の悪さが出ているんだ、と言いたくなる気持ちを抑え、ムヌーグの言葉を頭の中で整理する。

 水棲の魔獣は毒を持っており、縄張り意識が強い。示威行動のために自らが仕留めた獲物を有毒化した状態で放置することがある。

 一方、今回タジが捕まえたぬしにそのような符号は見当たらず、身を潜めて気配を消す技術を有していた。

「示威行動を取り、縄張りを主張したがる水棲魔獣の特徴に対して、身を潜めて気配を消す技術は不釣り合いと言うか、不似合いだな」

「ご名答」

「ご名答って言い方もなんか腑に落ちないな」

「まあ、過敏」

「口の中のできものみたいな感じなんだよなー」

「お望みとあらば頭をなでなでしてさしあげましょうか?」

「そーゆーとこだぞー」

「とにかく、魔獣の生態が既知のものとかけ離れておりましたので発見が後手に回ってしまった、ということなのです。簗さえ壊されなければ、私たちは魔獣の存在にすら気づかなかったでしょう」

 簗を壊したことによって足がつき、魔獣の存在がバレた。それがなければ、今頃は子どもたちが魔獣の毒牙にかかっていたかも知れない。そう考えると空恐ろしいことだ。

「初動は不十分でしたが、今後のことを考えると何らかの対処をしなければなりません。それまでは川への立ち入りは禁じるべきだと考えたのです」

「なるほど、理解した。で、なんで俺は熊扱いを受けなければならないんだ?」

「川にぬしがいないとバレないとも限らないからです。ぬしは川にしか棲むことができませんから、いないことが分かると子どもたちから不平の声が出ます。いないのに何でいると言うのか、大人は嘘つきだ、とね。その点、熊なら森から川を下って現れる可能性があります。可能性があればそれを根拠に説明がつきますからね」

「……それも限りなく黒に近い言い訳だけどな」

 黒い白鳥がいないとも限らない、というロジックが通用する純朴な子どもで良かった、と思いつつ、今後このような方法をネタばらしされてどのような反応をするのか、タジはわずかに不安になるのだった。

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