狼の尻尾亭 24
泣きつかれて眠るトーイを別室のベッドに横たえる。
泣き腫れた目の周りは月明かりを受けてわずかに赤みを帯びていた。その顔が、体が、どこか幼く見えたのはタジの勘違いではないだろう。トーイの身体は思い出したのだろう。自分が幼いころに失った、過ごすはずの彼女自身の時代を。
ニエの村にあった呪いは、トーイが受けた呪いだった。雁字搦めにされる体と心。知識と言う名の理性にのみあたかも正しそうな言葉を詰め込まされて、トーイは運命を受け入れるように教育された。
それが諦めることと同じ意味だと気づかされぬままに。
部屋に戻ると、アエリが燭台の蝋燭を取り換えていた。
「本当に、ありがとう」
戻ってきたタジの方を振り向いて述べられる感謝の言葉に、タジは思わず表情を苦笑いに歪めた。
「真面目な口調に戻るのやめろよ、気持ち悪い」
席に戻り、すっかり冷えた鶏の足を掴んでがぶりと噛んだ。口の中で温められる肉汁が風味を思い出させるように広がっていく。隣に座っていたムヌーグが、クスクスと笑うので、タジは思わず肩をすくめた。
「照れ隠しですって、アエリ殿」
「うるせえ」
過度に悪態をつくようにしてテーブル越しにムヌーグの足を小突くと、ムヌーグはくすぐったそうに笑った。よく見れば、足元には既に二本のワインボトルが転がっている。この姿を部下の誰かにでも見せておけばきっと大きな貸しになることだろう。
アエリは肩の荷が下りたのか、先ほどよりもずっと表情が柔らかくなっていた。外の騒ぎもだいぶ収束しており、空に煌々と輝く楕円の月が木窓の外を照らす。
「そう言えば、タジ様。私は後学のために聞きたいことがございました」
「ああ、何だ、ガルドを倒した時の話だったか?」
「そうです。ガルドを倒すときに、祝福と呼ばれるものを受けませんでしたか?」
祝福。
それはタジの身体を拘束した全身を覆う黒き呪いだ。
今思えば、それはトーイが受けていたものに似ているような気がした。
身動きをとれなくさせて、考える力だけは残し、しかしその思考は常に絶望へと誘う。攻撃をするものはそれを祝福と言い、一方的に与えてくるもの。
しかし、祝福とは神の授ける人への呪いそのものだった。
「受けたよ。全く身動きがとれずに難儀した」
その言葉を聞いたムヌーグが目を瞠った。
「祝福を受けて、生き残ったというのですか?」
「生き残っていなければここにいないだろ」
「それは……そうですが」
「あの泉の水がな、祝福を剥がしてくれたんだよ」
「泉の水……?」
ムヌーグが小首を傾げる。
「アエリから聞いてないのか?俺がどこでガルドと出会い、戦って倒したのかを」
「詳しくは言ってないちゃんね」
「アエリ殿、森の奥には泉があるのですか?」
「そう。ムヌーグちゃんたちにはまだ伝えていなかったけれど、森を結構進んだところに、禊の泉と呼ぶ場所があるちゃん」
「タジ様はその泉の水に助けられた、と」
「なぜかは知らないけれどな」
ガルドから祝福を受けたタジは、エッセに化けた獣を下敷きにして倒れた。その時にガルドから腹癒せとばかりに攻撃を受けたが、その反対側、泉に浸かっていた獣の体に接触していた側では、祝福で全く身動きがとれなくなっていたはずのタジの身体が、わずかに動く気配を感じた。
そこでタジはガルドを挑発し、畏怖させ、ガルドが泉にタジを沈めさせるよう誘導した。まんまと策に乗ったガルドは、タジを泉へ投げ入れ、そして祝福は泉水に溶けて消えた。
「なるほど……。アエリ殿、私にもその場所を教えていただくことは?」
「もちろん、出来るちゃんよ」
「行ってみるのか?」
「はい、色々と知りたいことが出来ましたので」
ムヌーグの酔いは、探求心か好奇心か分からないものの前に消えてしまったようだ。すまし顔ににじむ決意は、明日の朝一にでも泉へと調査にいくようにさえ感じられた。
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