狼の尻尾亭 22

「嘘……?」

 ムヌーグに支えられた上体をわずかに起こして、トーイはアエリを見た。その瞳には怯えが宿り、部屋を灯すろうそくの明かりが揺らめくと、同じように潤んだ。

「嘘と言っても、大きな嘘ではなかったはずです。それは他の人々と同じように生活を送ることが出来ながら、それでも他の人々と少しだけずれた認識を生み出すものであるはず」

「さすがに、ムヌーグちゃんはそういうことを知っているちゃんね」

「つまり、完全な嘘ではないが、全く正しいということではない、と言うことか」

「そういうこと。その認識のズレこそ、タジちゃんの違和感の正体ちゃん」

 外で一際大きな歓声が上がる。木窓の外から強い光が入った。何か火を使った催し物が起こっているのだろう。

「神について、どのように考えるか。それが違和感の根底」

「そこだ」

「タジちゃんは、おそらくガルドのことをトーイちゃんからこう聞かされていたはずちゃん。『神の代弁者』と。神は傷つけられず、反逆を許さず、絶対的な権力を持っている」

「それは……」

「そうだな、確かにトーイはそう言った。その時俺はその言葉に……」

 タジはふと考える。

 その時、タジは確かにその言葉にニエの村で聞かされた掟なのだと推測した。その言葉は、まるで暗記したかのように口から淀みなく出てきたものだから。そして、タジはその時……。

 確認しなかった。

 その言葉がどこから出てきたのか。あるいはその言葉が誰によって発せられたもので、それに習ってトーイが発したものなのか。

「そうか。つまり俺は、最初から思い違いをしていたんだな」

「そう。そしてそれはトーイちゃんへの真実の伝え方にもつながること。トーイちゃん、ちょっと聞いてほしいことがあるちゃん」

 自分の理解が追い付かない、と言った様子で狼狽するトーイに向かって、アエリは決定的な言葉を伝えた。

「『神は、絶対的なものじゃない』の」

「そういうことか」

「……え?絶対的なものじゃない、って……?」

「トーイちゃんの素性、教えられてきたこと。それを私は利用して、この村に生贄になるに良いように、トーイちゃんの考え方を歪めてきたの。子どもには教えられていない、人の力を超えた神と呼ばれる者たちへの真実……」

 アエリの言葉にようやくタジは事情の全てを理解した。

「つまりこの国の人間は、神と言う言葉を、力の象徴、畏怖の象徴、そして乗り越えるべき対象、噛み砕いて言うと、倒して人間の手に権力を取り戻すための対象として見ている、ということか」

「その通りちゃん」

 かつてタジ自身が考えたことだ。ガルドは神と言うにはあまりに陳腐だと。

 その考えは合っていたのだ。

 人間の手に負えないものを指し示して神とし、乗り越える対象として考えるのであれば、その性質に大小あって然るべきだ。地震の強さが数字で示されるように、数字に表れないまでも、人間が神と呼ぶものの中に強弱があるのは理解できる。

 脅威に対する心構えが、その人間にあるかどうか。

 生贄にそのような心構えなど必要ない。神が力の、畏怖の象徴としてのみ語られるのであれば、その生贄になることは運命として受け入れることも出来るだろう。実際にトーイはそのような思考をしていたし、アエリは上手くやっていたのだと思う。

 逆に生贄になる者が神を乗り越えるべき対象とみなしていた場合、生贄は犠牲と同義であり、抵抗なく受け入れるわけにはいかないだろう。乗り越えるために抵抗し、生き残るために抗い、ともあれば逃げることも厭わないかもしれない。

「トーイ嬢は、子どもの頃に孤児になった過去が?」

 ムヌーグは腕の中に収まるトーイにではなく、アエリに問うた。今ここで本人に聞くよりも、村長に聞いた方が間違いないと判断してのことだ。

「ええ。話を聞いていると、ちょうど通過儀礼の手前くらいで家を追い出されたちゃん、ってことが分かったから」

「だから利用した、と」

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