狼の尻尾亭 12

 アエリ村長がどこまで事情を話しているのかということを知るには、先ほどのムヌーグの言葉はかなりの情報を孕んでいる。

 第一に、ムヌーグがガルドを呼び捨てにし、あまつさえ竜と言ったことだ。

 眠りの国が人間の国だとして、神の眷属であるガルドを蔑ろにすることなど、今までのニエの村の人たちから語られる言葉からは想像がつかない。もっとも、ガルドの支配の仕方を知っており、一帯の野生の動物に対する支配力を行使することと人間を餌とすることとを天秤に乗せて理解していた、というのならば納得できないこともない。ニエの村周辺の安全を、年に数人――場合によってその数は変動するのかも知れないが――の生贄で保障すると言われれば、拒否した時に殺される人間の量までも勘案したうえで損得を計算すれば、道理にかなっていると言う場合もあろう。

 眠りの国は神を盲目的に信じているわけではない、ということだ。あくまで、その有用性を吟味したうえで、必要であればその力を借りる、という姿勢が見える。

 神の眷属を名乗るものとの共犯関係ともいえる仕組みを最初に描いたのは誰だ?

 タジの思考を霧消させるように、遠くから獣の声がこだました。

「ゲベントニス」

「はっ!」

「夕方の鐘が鳴るまで、警備を。イヨトンは手筈どおり獣除けを村境に撒いてきなさい」

「はい!」

「かかれ」

 置物のようになっていた甲冑姿の二人は、ムヌーグの短い言葉によって弾かれるようにその場を去った。ゲベントニスはこだまする獣の声の方へ、イヨトンは森と村との狭間を縫うように進み、適宜懐中から取り出した何かを撒いていく。

「獣除け?」

「一帯の獣が嫌う臭いのするものを撒くよう命じました。数日に一度、しばらく撒き続ければ、やがて獣は村を襲うのを諦めましょう」

「なんだよ、そんなものがあるのなら村に用意しておけばいいのに」

「必要ない程度には、この一帯はガルドの支配力がありましたので」

「それは嫌味かなにか?」

「滅相もありません。それに、獣除けは材料がかなり特殊なもので常備しておくには価値が高すぎるのです」

「コストの問題があるのね」

「そのとおりです。しかしガルドが倒された今、速やかにこの地を平らげなければニエの村が滅びるとはいかないまでも、かなりの害を被りますから」

「獣除けにかかるコスト以上に、この村が眠りの国にとって大切だったのはせめてもの救いだな」

「……はい。国民の命以上に尊いものなどない、と言うのが国王の言葉でもあります」

「……いや、その微妙な間の取り方はサァ、含みあるからやめてよ」

 ニエの村が眠りの国にとって大切かどうかが揺らいでしまえば、タジがわざわざガルドを倒した意味がない。国の一存で村の存亡が危ぶまれるようであれば、それもまた一種の生贄である。性質が悪いのは、いままで共犯関係にあった人外の者……神の眷属がわずかの人間を餌として行っていたことを、今度は人間同士が行ってしまうということだ。

 そのようなことが罷り通るのならば、タジの矛先はどこに向かうのか。ムヌーグの言葉遣いでその矛先の行方が決まると言っても過言ではない。

「失礼しました。決してニエの村が眠りの国にとって大切ではない、ということを表したいわけではありません」

「……まあ、実際に獣除けは持ってきているわけだからな」

「そのあたりのことも含めて、一度村に戻ってお話をしたいと思います。タジ様も、長期に渡って気を張っていてお疲れかと見受けられますが」

「今眠ったら三日は起きねぇぞ」

「ではその三日のうちに様々なことを済ませておきましょう。村の方も、色々と準備をしておりますので」

 何の準備なのか、と考える暇もなかった。脳にねばついた液体がドロリとかけられたように、思考に靄がかかる。ムヌーグの言葉と、甲冑姿が森へと駆けだす姿を見たこととで、緊張の糸がプツンと切れてしまったようだ。

「村へは私が運びましょう。タジ様……ありがとうございます」

 何の感謝かを考えることも出来なかった。瞼の重さに抗えなくなると、タジはその場に座り込むようにして、眠りにつくのだった。

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