狼の尻尾亭 10
それがタジの行動を誘導するものであったとしても、ムヌーグの不遜な物言いに頭に血が上ってしまうのが分かる。
「手加減してるからっていい気になりやがって……!」
口の端が上がり歯ぎしりするように言葉が漏れでる。タジが再び間合いを詰めようと体を傾けた瞬間、ムヌーグの方が先に駆け出してきた。
触れることも叶わないと前もって言うことで、ムヌーグからは動くことも、ましてや近づくこともしないと思わされていたタジは機先を制されたことに一瞬驚く。そしてその一瞬こそムヌーグの狙いであり、疾風のように己の間合いに飛び込んだ。
息つく暇もない刺突の連撃がタジを襲う。直線的な一撃と、振り下ろし、振り上げ、横薙ぎとを織り交ぜてタジを翻弄する。横にずれるように避けようとすると、刺突は深くなり、逃げる方の剣撃が壁のように濃くなる。後方に飛びのけば状況をリセットできるだろうが、それもムヌーグの思うつぼとしか思えなかった。
タジがどんな動きをしても、それがムヌーグによって誘導されたもののように思えてしまう。八方塞がりのようであるが、それ自体がタジの幻想であり、それもムヌーグによって思わされているのであれば……。
連撃は止まるところを知らず、むしろ加速しているようでさえある。刺突の奥にあるムヌーグの顔は寒さを感じるような笑みを浮かべており、この場を支配しているのが誰なのかを分からしめているようであった。
主導権の話。
そもそも場を支配するのが誰なのか、ということを賭けて争っているのだから、その天秤を自分の方に傾けようとするムヌーグのさまざまな方策は全く理にかなっている。タジ自身の行動が制限され、あるいは操られている時点で勝負は彼女の方が優勢なのだから、ひっくり返すのは並みならぬ方法でなければ難しい。それこそ膂力を用いてちゃぶ台を返すくらいのことをしなければ、この場は覆らない様にさえ思われる。
とにかく一度ムヌーグの剣を止めるために彼女の剣をつまもうと腕を上げると、動きを察知したムヌーグはすぐに連撃を止めて後方へ飛び退いた。
これだ、とタジは思う。
タジの事態を動かそうとする意思を見抜いて瞬時に次の手を考える、この対応の早さこそムヌーグを強かたらしめている。
再び間合いをとったムヌーグは、ほう、と大きく息を吐くと「言った通りでしょう」とばかりに微笑んだ。
「まだなさいますか?」
「もちろん、まだどころか俺は何もしてないからな」
「あまり長引かせないでいただけるとありがたく存じます。私はあまり体力のある方ではありませんから」
謙遜のようでいて、その言葉もまたタジを縛る鎖であった。
長引けば長引くほど、ムヌーグの評価は下がっていく。彼女の評価の三観点には時間というものがあった。戦闘に時間をかけすぎるのは非効率であり、次に影響する。
ムヌーグは先に時間の制約を設けることで、タジの無尽蔵の体力に任せた策を用いるのを防ぐと同時に、時間をかけ過ぎれば評価は下がる一方で、つまりはさらにムヌーグを納得させるのは難しくなると告げているのだ。
今この場は完全にムヌーグの手中にある。
タジが何をしてもその動作の意味するところを察知して後の先を取られることが容易に想像できた。だからと言ってそこで立ち止まっていては物事は進まず、時間ばかりが浪費されていく。
「じゃあやっぱり動くしかないよなァ!」
タジは片足で思い切り地面を踏み込んだ。
甲冑姿の二人がわずかに浮き上がる。ムヌーグはすでにタジに向かって跳躍していた。踏み込んだ足は地面にめり込み、それを蹴り上げると湿った土がムヌーグに向かって巻き上がる。
ムヌーグは当然察知していたとばかりに避けて、再び刺突の連撃をタジに向かって放った。
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