食人竜の村 44
泉の水面が波打ち、しぶきを上げてタジの体が水底へ沈んでいく。抵抗できない体はタジの肺に満たされた呼気のために浮かぶかと思われたが、体はなぜかズブズブと埋もれるように沈んでいく。
「普通は浮かぶだろっ」
かろうじて水面に顔を出して空気を吸うも、わずかの事だった。
完全にタジの体が沈むと、水面は波紋が残るのみとなった。大きな石が泉に投げ入れられたようなものだ。時々、水中から空気の泡が溢れてくる。ガルドはそれがタジの呼吸の跡だということを悟った。
溢れる空気の泡は、初めこそ周期的に溢れてきたが、しばらく待っていると突然大量の泡がボコボコと溢れ出てきた。そしてそれ以降、泉に一切の異変は起こらなかった。
「ぐっ、ふふふ……ふはははははは!!!」
ガルドの口の端から、あぶくのように笑い声が漏れる。やがてその笑い声は耐えきれなくなった、という様子で咆哮となった。大木はその咆哮に恐れをなすかのように騒めき、泉の水面は波立つ。
「ズの!ズのはどこだ!!」
ひとしきり笑ったのちに、ガルドは辺りを探るように呼び出し声をまき散らした。
言葉に応じるように大木の間を縫うように影が走り、普通の狼より一回り大きいくらいの狼がガルドの目の前に現れた。
その狼の背中には人間の子どもが乗っている。
「こちらに」
「特異点は死んだ、あっけなくな。今頃臓腑一杯に水を食らって絶望に命を諦めるだろう」
「なるほど、泉に沈めたのでありますね」
慧眼、とばかりにズのと呼ばれた狼が問うと、ガルドは大仰に頷いた。
「そうだ。あ奴が命を諦めるまで、泉の魚に観察させよう。ちょうどそこに死んだ獣がいるからな」
顎をしゃくる先には、偽エッセの死体があった。タジがガルドの爪による攻撃を受けているときに下敷きにしていたため、死体はボロ布のようになっている。ガルドは血と肉片と泥にまみれた毛皮をつまみ上げて、両掌で挟み込むように圧縮した。
パン、と掌を打ちつける音が響くと、後に残ったのは黒曜石のような光沢のある、ビー玉よりも少し小さい球。
ニエの村で二頭の狼を燃やした時に生じた黒球と同じものだった。
「泉の魚に大した知能はありませんが」
ズのが言うと、ガルドは頷いた。
「必要なのは観察と報告だ、よもやそれすら出来ぬような愚者にはなるまい」
「おっしゃる通りで」
ガルドがぞんざいに黒球を泉へと投げ入れると、小さな波紋が湖面を揺らす。ややあって、水中から黒い光が溢れた。光はカーテンのように面積をもって揺らめき、わずかに明滅を繰り返して消えた。
「これで良し。さて、それでその人間の子どもについてだが……」
「いかがいたしますか?」
ズのが伏せるようにして背中の荷物をそっと下ろす。ボロ布のようになっていた偽エッセの元の姿そっくりの人間の子ども。言うまでもなく、本物のエッセだった。
ずり落ちるように地面に下ろされると、既に目覚めかけていたのだろう、エッセはむずがるように体をよじり、目をこすった。
「ううん……」
何か、とても温かいものに包まれていた夢が、不意に終わった。そんな微睡みの中にいたエッセの耳に、低い遠雷のような声が響いた。
「人間の子ども……エッセと言ったか。起きろ」
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