番外編

籠井花の日常(1) 〜ヒラと同期です〜

 あ。捕まってる。


 休憩から戻ってきてオンステに出て、あたしはすぐにその状況に気がついた。

 本日はキャプテンのはずの同期、平澤ありすはどっかのゲストと向き合っていた。


 ありゃクレームだな。


 クレーム、というか、ゲストコンプレイン、というのが正しいんだけど、まぁクレームだ。ショー会場の前で、ヒラは背の高い男性ゲストを前にじっとその顔を見上げている。真剣な顔で。


「なした、あれ」


 傍にいた後輩キャストに小声で聞いてみる。後輩ーー瀬野は、あたしが休憩に行っている間もオンステにいたはずだし、状況も分かるかもしれない。


 瀬野はもとから若干タレ気味のまゆをさらに困ったように下げながら、小声で答えてくれた。


「クレームです」

「見りゃ分かる。内容は?」

「あの人が先にひとりで並んでたんですけど、奥さんとお子さんが合流しようとして」

「あー。止めたん誰?」

「わたしです」

「ふむ。あの人のときの最後尾は誰?」

「ダテくんです。わたしが止めてクレーム受けて、平さんが」

「うぃうぃ。だいたい分かった、ありがと」


 瀬野に軽くうなずいてあたしは話を切り上げた。


 うん。超典型的なクレームだわ。


 本来、このショーステージは「ご覧いただくお客様全員でそろってお待ちください」だ。ところが、まぁそれを守らないゲストも残念ながら多々いる。分かんだけどね。お父さん先に並んでて、奥さんと子供であとから来るって合理的だし。ただまぁそれやられると、会場収容人数を調整しているこっちも困るし、金で「待ち屋」雇って遊びまくる人も出てくるだろうし(いるんだこれが)。なにより不公平だしね。結局ルールとして、全員そろって待ってください。トイレとか行くときは声かけてください、になっている。


 で、そうは言ってもまぁ「知らねぇよ」なので、最後尾ーー列に並ぶときにいるキャストが、カウンタ片手にカチカチ人数数えながら、その辺のルールを説明する。で、ご理解いただいて初めて並んでもらうわけだけれど。


 ま、守らねぇやつは守らねぇんだわ。一人二人増えても大丈夫だろ、ってね。


 わたしがさっき瀬野に最後尾キャストを聞いたのは、こっちに落ち度があるかどうかの確認だ。本来あってはいけないことだけれど、まぁ、キャストにも質の違いがありはするので、どうにも最後尾の職責を果たせないーー端的に言えばルールを説明し損ないがちなキャストもいる。


 ところが今回はダテくんだ。

 ダテくんはあたしやヒラのひとつ後輩で、それなりにキャストとしての年数も経っているベテラン勢。

 本名は汐見悠。伊達くんではない。ただの「伊達メガネのダテくん」だ。

 生真面目で、丁寧。見た目はややひょろっとしてて、キャストとしてどうかとは思うが笑顔はどっちかというと下手くそだ。ただ、なぜかJKゲストとかには気に入られがち。

 ま、そんなダテくんなので、最後尾時にルールを説明しそこねたということはないだろう。


 ところが、だ。


 かのゲストが、おそらくキャストの目を盗んで合流しようとしたところを、止めたのが瀬野だ。

 瀬野がなぁ……。

 ちらり、と瀬野に視線を落としてみる。

 ちっちゃい。肩口でふたつに結った黒髪。化粧っ気もないし、垂れ気味の眉のせいで頼りなさげに見える。なにより童顔で、一度ゲストに「うわびっくりした! 中学生が働いてるのかと思った!」と叫ばれているのを聞いたことがある。

 こんな見た目だけどそれなりに仕事は出来る。が、こんな見た目、なのだ。


 あの手の輩は、だいたい人をみてる。みてる、というか、選ぶ。


 瀬野なら行ける、と思ったんだろうね。文句言えば、ゴネれば、なんとかなるって。

 ところが瀬野もけっこう頑固だし、まぁ頑固でなくてもキャストとしての役目なので不正を見つけた場合対処しないわけにはいかない。

 で、止めに入って。クレームになって。恐らく上の人間を出せとかになって。


 で、出てきたのがヒラ。と。


 同期の平澤ありすは、真面目で仕事も出来るし、わりと顔怖いし、まぁそこはいいんだけど、それでも見た目はまだまだ小娘だ。


 あの手のクレーマーは、上のもの、であたしら女子が出てくるのを極端に嫌う。その日の現場責任者は実際あたしらなんだけれど、お前らじゃ話にならんとか言い出す。違うんだよ。「引かない女子供に言い負かされる自分が惨めになる」から、男やそれなりの年のひとと話したいだけ。あたしらみたいな女子供が「現場責任者」であることが、クソみたいなプライドを勝手に傷つけられたと思うだけ。

 知ったこっちゃねぇや。


 そんなわけで。ヒラ、がんばれー。


 無責任に心の中でエールを送っておく。ま、ヒラ、ああいう輩のクレーム受け流さずに真正面から切り捨てるの得意だから大丈夫でしょ。


 で、そこは大丈夫なんだけど。


「どうします」


 いつの間にか近くに来ていたダテくんが、腕時計に目を落としながら呟いた。


 現在、15:40。

 開場は15:50。ショー開始は16:20。


 現在ヒラたちがいるところは、開場したときに入り口となってゲストが入っていく場所の真ん前だ。ぶっちゃけものすごい邪魔です。ヒラもたぶん時間を気にしているのだろう、ジーリジリ動いて入り口から離れようとしてはいるけど、カタツムリのほうがまだ動くの早そうだ。

 クレームって場所移動して話したほうが相手も落ち着くんだけど、それをヒラが先にゲストに言ってないわけもないので、多分拒否られたんだろうなぁ。そうすると動くのはあんな涙ぐましい行動するしかない。

 そしてさらに問題は。


「もうすぐパレード城前通過します」

「だよねぇ」


 パレード通過後、一気に人の波が動く。そのうちの何割かはこの会場めがけて走ってくる。

 本来はそれを見越して、列ーーキューラインのロープを伸ばしておきたいところなんだけれども。


「ヒラ、大概邪魔だわ」


 思わず呻く。

 なんでよりにもよってそこでクレーム受けたんかお前は。


 会場入り口前は、入り口である以外に列が伸びる先でもあったりするんだな、これが。

 そこにいるんだからまぁ邪魔だわ。

 キューに人を引き込めないと、それこそ割り込みやらなんやら発生しまくりになるし、どこに並べばいいのかゲストも迷う。キャストはそれに捕まってなおさら列が手薄になって……の悪循環を生む。ので、キュー内に人は引き込みたいんだけども。


 あたし今日キャプじゃないし、無線持ってないんだけど。指示も出せないんっすけど。


 とはいえそうも言ってらんない。

 現場に待ったはきかないのだ。


 件のクレーマーさんが、ちらりとこちらをみた。そこで気がつく。


「瀬野、いま中の一番通路って誰がいる?」


 会場の一番端の通路だ。


「えっと、剛くんかな」

「おっけ、変わってきて」

「え?」

「変に刺激しないように、中からそっとね」


 あたしの言葉に意図を察したのか、瀬野がこくんとうなずいて四番通路のチェーンを開けて会場内へ入っていく。


 あのゲスト、ちらちらこちらを見ていたのはあたしを見ていたわけじゃない。瀬野だ。大方、あいつが見つけなければ、とでも思ってるんだろう。


「逃したんですね」

「瀬野も怖いだろうしね」

「やさしいですね、カゴさん」

「だしょ。もっと言って」


 すぐに、瀬野と交代した剛くんがやってきた。

 入り口付近のヒラに目を留め、時計を見た。


「ヤバくないっすか」

「ヤバいんだなー。んなもんで、手伝ってね。あたしヒラに無線もらってくるわ」


 剛くんとダテくんが、そろって「は?」と声を上げた。


「話しかけるんっすか。勇気ありますね」

「んなわけないでしょうが」


 あの状態で「ちょっと無線もらいまーす」なんて入っていった日にはあたしも蜂の巣だわ。


「んじゃ、どうやって?」


 ダテくんの声に、あたしはウィンクをひとつとばした。


「ま、見てなって」

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