エピローグ
◆
帰り支度を整えるマキちゃんの横で、女王と鏡が抱き合って――というか女王が鏡に縋りついて泣いている。
まぁ、うん。娘が生き返ったのは嬉しくても、どうあがいても払えない虫がついたのは事実だからね。仕方ないね。
「ねぇ、ありすさん」
白雪姫がわたしを呼ぶ。……平澤って、何度お願いしても呼んでくれなかった。
「なんです?」
「これ、お持ちになって? 似合ってましたわよ」
白雪姫の服だ。
「……いや、いいです。自分の顔で着る気にはなれないので」
「そう?」
残念ですわ、と白雪姫が笑う。
――王子は今、自分の国に戻っていてここにはいない。白雪姫を目覚めさせてくれて、奇跡を起こした王子。白雪姫が言うまでもなく、口づけをしたのだから、とその場で結婚まで申し込んだんだからすごい。真面目か。
小人たちも一緒に隣国へ行くことになった。白雪姫の使用人として、だ。
結局なんだかんだ、丸く収まったようだった。
「ありすさん、マキさん。……本当に、ありがとうございました」
白雪姫が頭を下げる。
「そんな。結局、何とかなったから良かったものの……その、毒林檎食べさせちゃったわけですし」
一回、死なせてしまっているのだ。お礼を言われても気まずい。
「あら。あの林檎を食べたのはわたくし自身の意思ですわ。食べさせられたわけではありませんもの」
「それはそう、ですけど」
「――怖くなかったの?」
ふと、マキちゃんが訊いた。ぽす、っとわたしの頭に手を置く。
「食べた後のこの子、見たんでしょう? その上でよく食べたわよね」
――そっか。そう言えばそうだ。いくらなんとかする、と言われても、実際死を目の当たりにした状態でそれに手を伸ばせたのは、ものすごいことだ。わたしは、聞きかじりのお話だったからまだ出来ただけで、現実味を伴っていたら怖くて食べられる気はしない。
白雪姫はしれっとした顔で、唇に指をあてる。
「あら。だって、ありすさんがあの林檎をお食べになったのって、お母様を信頼したから、だったのでしょう?」
「まぁ……そう、です」
信頼した、というか無茶にかけただけ、とも言えるけれど。
わたしの曖昧な返事に、でも白雪姫はただただにっこりと笑った。
「ありすさんは、お母様を信頼してその身をかけてくださった。それなら、そのお母様の娘であるわたしが貴女を信頼しないわけにはいきませんわ」
美しく、力強く、笑っている。
「それが、わたくしの女の矜持ですわ」
――白雪姫はこの世界で一番可愛い。鏡は今もそう言うだろう。でも、きっと、この世界で一番、格好よくもある。
マキちゃんと顔を見合わせて、わたしたちはたまらず笑っていた。
「――さて、そろそろ帰ります、女王」
女王に微笑みかけると、彼女は涙ででろんでろんになった美しい顔をこちらに向けた。
「もう行っちゃうの?」
「長居しても、あれなんで」
「……さみしい……」
白雪もいなくなっちゃうし、とめそめそしだす。マキちゃんが慰めるようにぽんぽん肩を叩いた。
「まぁ、まぁ、いつでも逢えるわよ」
「ふええ……」
子どもか。
泣く女王と慰めるマキちゃんに呆れて、少し放っておくことにする。鏡を見上げる。
「鏡も。いろいろ面倒くさくしてくれたけど、最後はありがとね」
『いえ。とんでもない。すべてを美しく収めてくださって、感謝します』
「へへ。みんながなんとか、幸せになったカンジかな?」
女王を振り返る。泣いてはいるけれど、娘は生きているし、娘が抱いた誤解も解けている。鏡という友人も、失わずに済んでいる。きっとこれから、母娘関係は少し変化して、でも、仲良くはいられるはずだ。
『それを望んでいたんだ』
鏡から声がする。
――ん? なんか、声が違う、気がした。
振り返る。
『すべての
言葉とともに。
鏡の中に――ふわっと、誰かの顔が、浮かび上がった気がした。
――うん?
その顔はすぐに消えて、わたしの、曖昧な笑みがそこに映し出されていた。
「……かがみ?」
『はい』
「なんか、言った?」
『……? いえ?』
……。
なんか、うん、なんか聞こえた気がしたし、なんか見えた気がする。
わたし、あの顔、見たことある気がする。
研修のスライドショーとかで、見たことがある気が、するぞ。
わたしたちの職場の元を作った、創始者である『彼』によく似て――
「……いや、うん。なんでもない」
――オーケイ。オーケイ。気のせいということに、しておこう。深入りしたくない。なんとなく。
「平澤ー」
「あ。はい」
マキちゃんに呼ばれて、いろいろ振り切って駆け寄る。
マキちゃんは、美味しそうなパイを手にしていた。
「林檎」
「そ。女王が作ってくれたんですって。餞別に」
「……えーと」
戸惑うわたしに、鏡が言う。
『毒は、入っていませんよ。毒は入っていませんが、とびきり美味しい林檎を探しました』
「感謝を込めて、作ったの。受け取ってくれるかしら」
「わたくしも手伝いましたのよ」
女王と白雪姫にもそう言われて、わたしは笑って受け取るしかなかった。
「――ありがとうございます。いただきます」
そうして。
わたしとマキちゃんは女王にかるく殴られて。
白雪姫の世界を、後にした。
◆
マキちゃんの部屋について。二人で荷物を肩から降ろして。なんだかバカバカしくなってもう一回笑って。
少ししてから、マキちゃんが紅茶を入れてくれた。
お土産の、林檎のパイも切り分けてくれる。
「それにしても、本当に。今回はお疲れ様。平澤」
「マキちゃんも」
「ほーんと、疲れたわー。もう、さすがに仕事から外れすぎててどうしていいのか分かんなかったわ」
マキちゃんの愚痴を聞く。あたたかい紅茶を口に含んで、ふと、思いついたことをわたしは口にした。
「……そうでも、ないんじゃないですかね」
白いお皿に乗った林檎のパイに、フォークを突き立てる。
サクっと、いい音がした。
「どういうこと?」
「んー、だって」
パイを口に運ぶ。
サクサクのパイ生地に、しっとりとした煮林檎がよく溶け合っている。シナモンの香りが、幸せな香りになって鼻を抜けていく。
「ゲスコンの仕事内容ではなかったとは思いますけど。でも、キャストとしての仕事ではあった、って思うんです」
怪訝な顔をするマキちゃんに、笑いながら。
「だって」
――キャストの仕事。それは
林檎のパイをほおばりながら、わたしは言った。
「キャストの
あの入社初日の研修の日に、マキちゃんにも言われた言葉。
そしてたぶん、どこぞの『彼』も言っていた言葉。
「すべてのゲストにハピネスを――でしょ?」
わたしの言葉にマキちゃんは苦笑して。
それからぺちん、と軽くわたしの額を叩いた。
――ふたりで食べた女王の林檎のパイは、とびきり、とびっきり、美味しかった。
Fin.
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