第123話 『自己中心的な心中』 其ノ参

 私は包丁を喉元に当てた佳乃と対峙する。そして、恐る恐る、本の次のセリフを読んで見る。


「……『待て。早まらないでくれ』」


 私がそう言うと、佳乃は包丁を手元から取り落とした。この展開……これも『自己中心的な心中』と同じ展開だ。


「佳乃!」


 私は思わず駆け寄ってしまう。佳乃は目から大粒の涙を流している。


「『……いや。私はアナタとずっと一緒にいたいの。だから……お願い。私を殺して……』」


 口調ももはや佳乃のそれではない。小説の通りのセリフになってしまっている。


 私は佳乃が差し出した包丁を手に取る。


 小説では……包丁を渡された夫が『君が望むのならば……』というセリフと共に妻を刺し殺す。


 それならば、私の役目は佳乃を刺し殺すことだが……そんなことは、絶対に、あり得ない。


 そもそも『自己中心的な心中』はなんというか……あまりにも空想的なのだ。それこそ、作者が考えた空想上の心中……空想上の面倒事を、考えて書いただけの薄っぺらさだ。


 そして、私は今一度思い出す。あとがきに書いてあった「間違いのないように」という言葉……


「……『君が望むのならば』」


 私はセリフを口にして、包丁を手にしたまま佳乃に近づいていく。佳乃は嬉しそうな顔で私を見ている。


 そして、佳乃に喉元に向けて刃を当てる。佳乃は覚悟をしたかのように目を瞑る。


「……無理だ」


 私はそう言った。小説のセリフではない自分自身の台詞だった。


「え……何を言って……」


 佳乃も困惑している。私は佳乃の喉元に当てていた刃先を、瞬時に自分の喉元に当てる。


「君を殺すくらいならば……私だけが死ぬ!」


 そう叫んだ瞬間、佳乃は目を大きく見開き、私の手から包丁をひったくった。


「な、何を言っているの旦那!? っていうか、何してんの!?」


「……へ?」


 佳乃は大きくため息をついて私を見る。


「何言っているの? 心中ごっこでもしたいの? ゴメンだよ。アタシはまだ生きていたいからね」


「え……君……正気に戻ったのか?」


「は? 何言ってるの?」


 わけのわからないという言葉で私を見る佳乃。私は思わず落ちていた『自己中心的な心中』を手に取り、佳乃に見せる。


「これ! 君が買ってきた本だろう?」


「え? あー……そんな気がするけど……よく覚えてないや」


「覚えてないって……包丁を持ち出してきたのは……君だぞ?」


「え? アタシ? 嘘だ~」


 そう言って、佳乃は呆れ顔で包丁を持って台所に戻っていく。


「とにかく! もう料理道具で遊んじゃ駄目だよ! 分かった?」


 それこそ、何事もなかったかのように、佳乃はそう言った。


 なんだ? 夢……だったのか? そう思い、私は今一度小説を見てみる。


「あ」


 思わず私は声を漏らしてしまった。小説の最後のページ……あとがきの文章が全然違うものになっていたのである。


「『読者へ。考えた台詞、中々のモノ。夫婦として合格。次回作に乞うご期待』……なんだったんだ、これは……そもそも、合格って……」


「あ! 旦那!」


 と、私が披露していると、佳乃がまたしても店の奥から顔を出した。


「え……どうしたんだ?」


「あ、心中で考えたんだけどさ……旦那、もしアタシが一緒に死にたいって言ったら、死んじゃったりするの?」


 ニヤニヤしながら佳乃はそう言ってくる。もちろん、それが私をからかっていることはわかっていたが……私は思わず肩をすくませる。


「……ああ。君が望むのならば」


 私がそう言うと、佳乃はキョトンとした顔をした後で、少し恥ずかしそうにしながら店の奥に戻っていったのだった。

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