第110話 乙女鉄刀:弐之剣「一刀良男」 其ノ弐

「あの……それで……そろそろ、いいだろうか……?」


 私は恐る恐る目の前の女性に尋ねてみた。


 眼の前の女性は私に酒と肴になるものを買ってこいと言って怒鳴った。私は仕方なくその命令に従ってしまった。


 しかし、女性は十分に酒を飲み、肴を食べたようで満足しているようだった。


「ん? ああ……そうだったな」


 そういって、目の前の女性……私の妻である佳乃は少し頬を紅潮させて私の方に向き直る。


 いや……正確には、佳乃ではないのだ。佳乃の格好はしているが、中身は違う。


 そもそも、佳乃はこんな感じで浴びるように酒を飲むことなどできない。今目の前にいるのは……佳乃の姿をした別の存在、ということになる。


 ……というわけで、都合上、目の前にいる存在は佳乃、ではなく、ただの女性であると、私は認識することにする。


「で、何が聞きたいんだ?」


 女性はそう言って私にそう尋ねてきた。むしろ、今すぐにでもこの状況を私は説明してほしかったのだが……


「……君は……誰なんだ?」


 私がそう言うと、女性はつまらなそうな顔をして私を見る。


「なんだ……くだらない質問だな。言っただろ? 俺は『一刀良男』だって」


 そういって、得意げな顔をする女性……正確には「一刀良男」。


 私は思わず小さくため息をついてしまった。


「……ああ。それはわかっている。問題は……どうして、君は佳乃の中に入っている? 佳乃にはあれだけ刀には触るなと言ったんだが……」


「ああ……無駄だ。いいか? 俺たちは伝説の刀鍛冶、貫木鉄心が作ったんだ。普通の人間はダメだとわかっていても、その刀身を見たくなっちまう……アンタの奥さんだって駄目だってわかっていたけど、俺の誘惑に抗えなかった、ってわけだ」


 女性……一刀良男がそう言うのを聞いて、私は私の監督責任で、佳乃をまたしても危険な目に巻き込んでしまったのだということを理解した。


「……わかった。君が佳乃の身体の中に入っていることは理解できた。だが、それは私の妻の身体なんだ。申し訳ないが……刀の方に戻ってくれないか?」


 私がそう言うと、私がそういうのをすでに予想していたと言わんばかりに、一刀良男はニンマリと微笑む。


「……アンタ、俺が誰かってさっき聞いたよな? そうだな……正確には俺は一刀良男じゃねぇ」


「……何? しかし、先程、君は……」


「ああ。間違ってはいねぇ。だがな。俺は元々は人間だったんだ。しかも、これでも女だったんだぜ?」


 唐突にそう言ってきた一刀良男。私は思わず面食らってしまった。


「人間……それならば、なぜ刀に?」


 私がそう訊ねると、一刀良男は少し悲しそうな顔をしてから、遠い昔を思い出すかのように目を細める。


「俺は……一応、俺が生きた時代では名の通った剣客だったんだ。珍しい女の剣客だったしな。でも、ある時俺と結婚したい男ってのがいてよぉ……嬉しかったぜ。こんな俺でも女として見てくれるやつがいて……」


「……結婚、したのか?」


「ああ。したさ……そして……裏切られた」


 そういって、一刀良男は鋭い視線で私をにらみつける。それこそ、私に対して敵意を向けているかのごとく鋭い視線だった。


「俺と結婚するって言っておきながら……ソイツは他の女の所に行きやがった……当然、俺はソイツを見つけ出してたよ。俺が見つけた時、その男はあろうことか、俺に襲いかかってきやがった……だから、ぶった斬ってやったよ」


 自嘲気味に微笑む一刀良男。私は何も言えずにただ彼女の表情を見ていた。


「で、自暴自棄になっていた時に、貫木と出会った。アイツは俺を刀にしてくれるって言ったんだ。刀になれば、もう男に裏切られるような悲しい思いをしなくて済むからな。もちろん、俺はアイツの誘いに乗った……で、俺は今に至るってわけだ」


 暫くの間私と一刀良男の間には沈黙が流れた。しかし……ずっと黙っているわけにはいかない。


「……そ、そうか。それは……災難だったな。しかし……その身体は君のものではないんだ。だから……」


「おいおい。聞いてなかったのか?」


 そう言うと、一刀良男は立ち上がった。その右手には長い方の刀が鞘に入った状態で握られている。左手には短い方の刀がいつの間にか握られていた。


 私が呆然としていると、一刀良男は私に短い方の刀を投げてきた。私は思わずそれを受け止めてしまう。


「……俺はな。男に裏切られた哀れな女さ……だから、刀になってからは、俺を裏切ったような悪い男を何人も斬り捨ててきた……それこそ、今みたいな状況で、な」


 そういって、一刀良男は持っていた長い方の刀を鞘から抜き出す。銀色の鈍い刀身が、輝きながら姿を表す。


「さて……アンタは、どうなんだろうな?」


 狂気を孕んだ笑みを浮かべながら、一刀良男は私に剣先を向けてきた。


 私はその時になってようやく、私自身が非常な危険な状況にあることを理解したのだった。

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