第73話 悪夢の香り 其ノ伍

 私は買物に出かけた佳乃が帰って来るまで既に準備を整えていた。


 既に最悪の事態にならないように、保険はかけておいた……後は、考えを整理するだけだ。


 麻子が言った、自分と同じ存在……そうなると、私の思い当たる存在は一つだ。


 やつは今も私を狙っている。私が根をあげて降参するのを。


 私に降参がヤツの目的……だとするならば、降参だけはしてはいけない。


 しかし、長期戦は私にとって不利だ。既に精神の限界が来ている。


 だとするならば……


「……勝負は今日で決める」


 私は鈍っていた頭を覚醒させ、そう決意する。


「旦那~。帰ったよ~」


 佳乃が帰ってきた。最近は佳乃の顔を見るだけで気分が悪くなってきていたが……もう大丈夫だ。


「ああ……お帰り」


 私は敢えてあまり機嫌のよくなさそうな声を出した。佳乃は不安そうに私を見る。


「旦那……最近、元気ないよ? どうしたの?」


 心配そうにそう言う佳乃。私はわざと笑ってみせる。


「どうした……フッ……君は、自分が何をしているかわかっているのか?」


 佳乃はキョトンとした顔で私を見る。


「……え? 何? アタシ、何かした?」


「ああ……知っているんだよ? 私は。君が私に隠れて何をしているのかを」


 私がそう言うと佳乃は難しそうな顔をする。それこそ、自分が一体何をしたのか全く思い当たらない顔だ。


「え……何かしたかな……ちょっと思い当たらないんだけど……」


「とぼけなくていい。知っているんだ。君は……私以外の男性と付き合っているだろう?」


 私自身、胸が張り裂ける思いでそう言った。佳乃は目を丸くして私を見ている。


 それから、苦笑いする。


「え……何いってんの? 旦那」


「……とぼけなくていいと……言っているだろう!」


 私は柄にもなく大声で怒鳴った。佳乃は怯えた様子で私を見る。


「え……ほ、本気なの……? あ、アタシが旦那以外の男と……付き合う……あ、あはは……ば、馬鹿言わないでよ……そんなこと絶対にしないって……」


 佳乃は目からボロボロ涙を流している。私自身、今すぐにでも止めたい行為だった。


「……これ以上私を怒らせるな……今日から、私と君は……他人だ」


「そんな……ねぇ! 冗談って言ってよ! 旦那ぁ!」


 涙を流しながら私にすがってくる佳乃。本当ならこれは嘘で、今すぐにでも土下座して謝りたい……


 しかし……


「……すまない。出ていってくれ」


 私がそう言うと佳乃は大声で泣きながら外に飛び出していった。


 正直……腹の底が煮えくり返っている思いだった。


 無論、対象は私にこんなことをさせたあの黒い着物の女1人だけである。


「……私にこんなふざけた真似をさせたことへの支払は……高くつくぞ……!」


 怒りの感情を抑えながら、私は待った。


 やつが……私の撒いた餌に食いつくのを。

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