第58話 題名『待ち人』
「いやぁ、助かったよ」
その日、私は古島堂から少し離れた場所……1人の青年の家にやってきていた。
青年は何度か古島堂に来たことのある画家だ……といっても、売れない画家なので、家の中はかなり殺風景だ。
彼が言うには、自分が集めたコレクションの中でも数点を売りに出したいとのことである。そこで、私に鑑定をお願いしたいのだと。
「古島堂の旦那さんならちゃんと鑑定してくれるって評判だから……わざわざ家まできてもらって悪いね」
「いや……私は絵のことはあまりわからないぞ。だから、高値で売れそうなものを知り合いに紹介するだけなのだが……本当にいいのか?」
私がそう言っても青年は頷いた。
「ああ。問題ないさ。といっても、価値がある絵なんてあるかわからないけどね」
苦笑いしながら青年は私を自分の家、兼アトリエの中に案内した。アトリエの中はたくさんの絵だけでなく、大量の書きかけの絵が散乱していた。
「……自分が書いた絵も売りに出すのか?」
「ああ。まぁ……値段は期待していないけどね」
青年はそう言ってアトリエのドアの方に戻っていく。
「たぶん、気が散るだろうから、俺は外で待っているよ。適当に値がつけられそうなものがあったら、教えてくれ」
青年は呑気にそう言って扉から出ていってしまった。私は散乱……もとい適当に壁に賭けられている絵をとりあえず鑑定していく。
案の定……値段になりそうな絵はない。私は半ば気落ちしていた。
彼は売れない画家……絵を売りに出すということはかなり困窮しているということ。
それなのにこの状況で金銭を得られないとなると……
そう思っていた矢先だった。
「あら。お客さん?」
私は思わず絶句してしまった。アトリエの端……青空が書かれた絵の隣に、1人の女性が立っていたのである。
「え……失礼だが、アナタは……」
女性は白いドレス、そして、金色の髪……外人のようだった。
「私? 私は待ち人。あの人を待っているのよ」
「待ち人……彼の……恋人か何かか?」
そういうと、女性は首を横に振る。
「違うわ。私は待っているだけよ。彼が私に振り向いてくれるのを」
意味がわからなかったが、私はとりあえず落ち着くことにした。そして、今一度女性が立っていた近くにある絵を見てみる。
青い空……それがただ広がっているだけの絵。その下には広大な草原が広がっている。
そして、絵の端には小さく「R」と言う白い文字が書かれている。
「……もしかして、アナタは……この絵か?」
私がそう言うと女性はいたずらっぽく微笑む。
「アナタは見えるのよね。彼にはまだ見えない……それは彼がまだ未熟だから」
そういってから、女性は物憂げに絵の方に視線を向ける。
「でも、待っているの……私はこの絵の中で。私のことを迎えてくれる人を。彼のことを、ずっと」
「……この絵を書いたのは、彼なのか?」
私がそう言うと女性は首を横に振る。
「違うわ。別の人……でも、私を書いた人はもう私を待たせてはくれない……もう、いなくなってしまったから」
そう言うと、女性は今一度私の方を見る。
「彼には言わないでね。私の事。私……もう少しだけ、彼のことを待っていたいの」
私はそう言われて小さく頷いた。彼女は満足そうに微笑んでいた。
そして、私は扉の方に向かっていく。振り返ると女性は消えていた。代わりに、絵の中に、白いドレスの人影が見える。
「あ……どうだった? 旦那」
アトリエから出ると青年は興味津々で訊ねる。
「あ、ああ……悪いが、値段を付けられるものは……」
私がそう言うと青年は悲しそうというより、少し恥ずかしそうな顔をする。
「参ったな……彼女の家に示しがつかないなぁ」
「……彼女?」
「え? あはは……俺、結婚するんだ。だから、彼女の家に少しでもお金を持っていこうと思ったんだけど……ダメそうだな」
私は思わず絶句してしまった。それから、ゆっくりと彼に訊ねる。
「……アトリエの端にある絵はどうするんだ?」
「え? ああ。あれか……俺の爺さんが持っていた絵らしいけど……あれは高く売れそうなの?」
「あ、いや。値段は付けられないと思うんだが……君が持っているのか?」
私が聞くと彼は少し悩んでいたようだが、小さく頷いた。
「一応ね。家に古くからあるものみたいだし。とりあえず持っていくよ」
「……そうか」
それから、私は画家の青年とは別れた。帰り道、私は考える。
あの絵……あの彼女は『待ち人』を、これからも待つのだろうか。
振り向くことはないであろう待ち人を……
迎えに来てくれるかわからない彼のことを……
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