支配者 2
ラヴロフはもう一度、アースとの間合いを開けた。
少し、焦っている。こんなはずではなかった。まず一発アースの腹に入れてから、因果律を掌握するつもりだった。しかし一発目から外されてしまった。
「ラヴロフ、炎と氷を止めろ」
アースの声は、低かった。少し、怒っているだろうか。輝はアースのその感情が自分の中に流れ込んでくるような気がして、震えた。
「それはできない。あなたと私の、二人だけのリングを完成させるためには」
アースは横目でメティスとナリアの様子を見た。二人は、まだ大丈夫だというサインを送ってきている。だが、今は地球の因果律の中にいる二人には、この状態は危険なものだった。
再び、ラヴロフがアースのもとへ向かってくる。その時、アースも跳んだ。二人の拳は交わり、ほぼ互角に渡り合っていた。アースが全力を出しているのかは分からない。しかし、ラヴロフがいま、優位に立っていることに間違いはなかった。
「私は、地球のすべてをフル活用して、あなたに勝つ!」
そう言いながら、ラヴロフはアースの足を蹴った。しかし、それはよけられてしまい、逆におろそかになっていた顔に強烈なパンチを食らった。アースも無事ではなく、殴った瞬間に食らった腹への一発で、部屋の隅まで飛ばされていた。ラヴロフとアースの間合いは、酷く開いたり狭くなったりしていた。
「私たちには、なにもできないの?」
美沙が、悔しそうに唇をかんだ。それを聞いていた実花が、そんな美沙の手をぎゅっと握った。
「私たちにできることは何もないです。ただ、この戦いを邪魔しないように、人質に取られないようにするだけ。それと、この戦いが片付いた後に、ゴーレムともう一つのものを何とかする力を温存しておくことだけです」
「そうだったわ、ゴーレム!」
美沙は、口に手を当てた。
アースとラヴロフの戦いの行方に目を奪われていた他の人間も、ハッとして正面にいるゴーレムを見た。あんな大きなものを、どう倒したらいいのだろう。
そうこうしているうちに、アースもラヴロフも、息を荒げながら地面に手をついていた。ラヴロフは全力で当たっていた。地球上で、自分が勝利を得ることができるすべての要素を集めては、アースに向かっていくときにそれを使っていた。
「ラヴロフは、地球上のすべての勝利の法則を使って、アースと互角。一方、アースは因果律に触れていない。勝利は見えそうなものだが」
ソラートが、不安げに呟いた。それに答えたのは、なんと、セインやアーサーの父であるイーグニスだった。
「ラヴロフは地球因果律をフル活用している。だからこそアースは少しの油断が命とりになると知っている。力が互角である以上はどちらに死の刻印が押されても、おかしくはない。ソラート、見てみろ」
そう言って、イーグニスはソラートの視線をラヴロフに向けた。
見ると、ラヴロフがわずかであるが押している。それに加えて因果律をフル活用するものだから、全くそれを使っていないアースには分が悪かった。アースは床に転び、何度かラヴロフの攻撃を避けていたが、ついに捕まって首を絞められてしまった。
「見ろ、こうなる前に因果律に手を出さないからだ! これで地球上の支配者は私になる! これで、これで私はようやく理想をかなえられる!」
その時だった。余裕を決め込んでいたラヴロフの体が、勢いよく吹き飛んだ。ラヴロフは床にひどく叩きつけられて、それでも立ち上がってきた。
アースもよろけながら立ち上がっていた。首を絞められたので多少の酸欠に陥っていた。
「おじさん!」
輝がアースを呼んで前に出ようとした。しかし、イーグニスがそれを止めた。
「やめなさい、輝君。アースがなぜ今、こうして戦っているのかを理解しなさい」
「でも、これじゃあ俺たち何もできないまま終わってしまう!」
「そうだ。この戦いに私たちは手出しができない。次元が違うんだ。だが、見なさい」
イーグニスは、輝の視線をラヴロフに向けた。
ラヴロフは弱ってきてはいるが笑っている。一方、アースはここに来て一度たりとも笑っていない。瞳に光はあったが、正面にラヴロフを見据えたまま、こちらも気にしている。
「よそ見をするな!」
ラヴロフは、高速でアースのもとへ向かってきた。アースは腕を交差させてそれを防いだ。あまりの防御の固さにラヴロフはいったん退いた。
「あなたは、私だけを見ていればいい、地球のシリン!」
そう言って、もう一度地面を蹴る。すると、アースも同時に地面を蹴って、今度はラヴロフの懐に飛び込んだ。その時だった。
アースの瞳が、凍った。
ラヴロフの懐に飛び込んだ瞬間、アースは二本のナイフを手に持った状態で、腕を交差させた。そのままラヴロフの懐で手を開き、横をすり抜けた。
ラヴロフは、倒れた。
「なぜ、だ?」
ラヴロフは立ち上がることができなかった。腹に力が入らなかったからだ。鮮血の流れる腹を押さえて、床に伏せる。
「自分で傷も癒せないか」
アースは、そう言ってナイフを地面に捨てた。捨てられたナイフは地面に当たった瞬間に消えてしまった。
そして、そのナイフが落ちた音とともに、そこに一瞬にして美しい景色が現れた。地球のシリンの懐、環の中だった。
ここにいたすべての人間たちが、その光景を見た。どこまでも続く草原に、森の中にある湿地帯、虹のかかる小さな滝。青い空、白い雲。そして、命の水。
皆は、その美しさに見惚れていた。
そして、それはラヴロフも同じだった。
「因果律の外にいるのに、私はこのような光景を生み出すことはなかった」
ラヴロフは、腹の傷が癒えているのを何も不思議に思わずに、立ち上がった。
「因果律の外にいる、それだけでは惑星のシリンにはなれない」
アースは、そんなラヴロフに向き直った。
「私は、全ての人間の幸福を実現させようと思った。そう、幸福だ。すべての人間が幸福に暮らせる世界。それが私の理想だった」
ラヴロフは、その場にへたり込んだ。その理想も、もう実現不可能になってしまった。ラヴロフは、負けたのだ。
「ラヴロフ」
アースに呼ばれて、ラヴロフは顔を上げた。
「何をもって幸福と思うか、それは人によって違う。すべての人間が同じ考えを持つ世界など気味が悪い」
すると、皆の中から輝が出てきて、ラヴロフの手を取って、立ち上がらせた。
「あなたの考えはこの世界に矛盾を与えていた。そんな思考を持っている人が惑星を統括するシリンにはなれないんですよ。惑星のシリンは、その星のすべてを余すところなく持って生まれてくる存在。研究によって作り出す程度のものでは、因果律の外には行けても、惑星そのものにはなれない。俺たちシリンだってそうなんです。地球のシリンと同じ、その媒体のすべてを持ってきて生まれてくる。だから、あなたたちの作り出した人工シリンたちは完成体が一体たりともいない。クロードさんたちだって、結局環の中に入って、おじさんが媒体を探してくれたんですから」
「クロード達が、媒体を?」
気にかかってはいた。自分が開発したクロードやエリックたちがどんな風になっているのか。
「そうか、彼らも媒体を」
そう言って、ラヴロフはまた地面にへたり込んだ。
「私には媒体がなかった。因果律の外に出ることだけに固執して、シリンの本質を見ることを忘れていた」
地面に手をつき、ラヴロフは嘆いた。自分はいったい何をしてきたのだろう。何も結果を得ることがないまま、このまま死んでいくのか。
「ああ、私の命が尽きる」
ラヴロフは、自分の体がどんどん薄くなって消えかけていくのを感じた。周りから見てもそれがはっきり分かるくらいに、薄くなっていく。
環に、帰っていくのだ。
「アース、最後に一つだけ、私に教えてくれ」
ラヴロフは、そう言って、一粒の涙を流した。
「クロードとエリック、そしてルークの媒体は、何であったか」
アースは、少し表情をやわらげた。そして、消えゆくラヴロフに向かって、こう言った。
「クロードは竹、エリックは糸杉、ルークはサトウキビだ」
ラヴロフは、それを聞くと、満足げに笑って、そのあとは何も言わずに、静かに消えていった。
そして、空間が、元に戻った。
そこには今までの元気を取り戻してすくっと立っているナリアとメティスがいた。
「さあ、始めましょう」
ナリアは、緊張した面持ちの皆を見て、表情を硬くした。
メティスが、手のひらを正面に向ける。その先にいるのは、ゴーレムだった。
「気を抜いてはいけない。この先何があるのか分からない」
メティスは、そう言って開いた掌を閉じた。
すると、ゴーレムの外殻が一瞬にして割れて砕け散った。メティスはその先にあるコアを見て、唇をかんだ。
「ケン、君だったのか」
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