海 10

 輝とアースがどんな手を使ったのかは分からないが、アースが町子に使った手段は全く噂にならなかった。そもそも町子が噂にしなかったかもしれないが、不思議なことだった。

 そんな中、輝の刀の特訓とメルヴィンの鍛冶屋としての仕上げが始まりだした。なるべく早く月の箱舟を何とかしなければならない。そのためには焦らず急いでことを成さなければならない。そういう状況だった。

 メルヴィンの鍛冶屋としての修業は、通常の鍛冶屋とは違っていた。包丁やナイフを研ぐ部分は一緒だったが、アースの作ったムラサメやエクスカリバー、蛇矛などを鍛えるためのプログラムが普通と違っていたのだ。環に干渉することのできる武器は、空間を切り裂く力がある。どんなに腕の立つ職人でもそれを打つことはできない。メルヴィンはそのために、毎晩寝る前に精神の修養を行った。ヨガをやってみたり禅を組んでみたり、アロマテラピーで心を鎮めたりしたりもした。たまにアースが夢の中でメルヴィンを試すことがあったが、それも何とかクリアしていた。

「輝もメルヴィンも、調子いいみたい」

 宿題を終えたばかりのメリッサが、横にいた実花に話しかけた。おいしそうにスコーンを頬張っている。

「お互い、親友同士の役に立てるんだもの。私だったらすごく頑張っちゃうな」

 実花が嬉しそうに返した。ここのお茶は美味しい。朝美は最近お茶を淹れなくなったが、代わりに母が来て淹れてくれている。実花は、母が淹れてくれるお茶なら何でも好きだった。

「メルヴィンは輝の武器の手入れができるんだもん、そりゃ頑張るよね。私の弓や補充用の矢もそれくらい頑張ってほしいわ」

 朝美が、少し不満そうにしている。朝美は最近になってようやく短弓に慣れてきたところだ。その短弓につがえる矢は様々で、火を点けられるものから毒矢まで、多種多様に富んでいた。

 そんな皆のもとに、セインとアーサーの父親であるイーグニスが現れた。屋敷の入り口から現れて、様々な荷物を下ろしている。それもすべて食材だった。

 イーグニスは最近一週間分の買い物を町で済ませてくる。献立を一週間ごとに立てるので、買い物が多くなってしまうのだ。

「おお、勉強は終わったんだな、学生たちは」

 イーグニスが嬉しそうに皆を見渡す。マルコやルフィナが手伝いに出てきたので、何もやることのない実花やメリッサ、台所をよく知る友子も手伝った。

「それにしてもすごい量ですね」

 大きなハムを持ち上げながら友子がルフィナに尋ねると、彼女は笑ってこう答えた。

「この屋敷はもう満員ですから。これくらいはないと食事も賄えないんですよ」

 なるほど、と、皆が納得し始めたその時、町子がパン、と手を叩いて立ち上がり、その場にいた全員を見渡した。

「ねえ、みんなで海に行こうよ!」

 すると、皆はびっくりして、特に輝はあんぐりと口を開けたまま呆けていた。

「今になってどうして海?」

 友子がびっくりしながら町子に返すと、町子は嬉しそうに勝ち誇って胸を張った。何に勝ち誇っていたのかは分からないが、皆は町子の考えがなんとなく想像できた。

「ナギ先生、のことですね」

 実花が町子の言葉を代弁した。彼女は察しがいい。ナギのことを知ったとき、全てを理解したようなそぶりを見せていた。夢を紡ぐ者とは、他にどんな力を持っているのだろうか。

「うん、ナギ先生は海のシリンでしょ。だから、海に行けば何か分かるような気がして。それに、これから夏休みでしょ。剣術の稽古や鍛冶の練習のある輝やメルヴィンはともかく、私たちは行って行けないこともないし、ね!」

「海かあ」

 メリッサが、目を輝かせている。海水浴にはあまり行ったことがない。どこに行くのかは分からないが、きれいな海に行けるのなら行ってみたかった。

「水着がいりますね。今度町に買いに行きましょう!」

 メリッサはもう行く気でいる。男子二人は取り残されるのが嫌だったので、あからさまに嫌な顔をした。どうせ引率でフォーラ辺りが付いていくのなら、彼女の水着も見られるはずだ。ならば絶対行くしかない。なのに二人残って修行など、ひどすぎる。

「ちょっと待て、お前ら俺たちを置いていくつもりか? お前らそんなにひどい人間だったのか?」

 輝が女子に待ったをかけると、女子たちはくすくすと笑い合った。

「どうせ伯母さんの水着目当てなんだから、そういうよこしまな目的で海に行くんなら置いていくよ」

「そんなんじゃない! 水着は正義だ!」

 メルヴィンが興奮して息巻くと、女子はまたくすくすと笑った。

「やっぱそうじゃん。男子って嫌だなあ」

 そう言って、朝美が町子の肩に寄り掛かる。町子は、自分のほうに寄ってきた朝美の頭に自分の頭を寄せた。

「男子はここでお留守番。ねー」

 町子と朝美が仲良く輝たちをいじめていると、そこにフォーラとアースが現れた。往診から帰ってきたのだ。エルやモリモトもいる。

「なんのお話をしているの?」

 フォーラが屈託のない笑みでこちらを見ている。輝たちは悔しかった。フォーラの素晴らしい体のラインを拝めないなんてもったいない。そう考えると悔しくてたまらなかった。

 フォーラは一連の話を聞くと、アースと何か話し合っていた。そして、にこりと笑うとこういった。

「いいわよ、皆で行ってらっしゃい。輝君もメルヴィンも、もちろん一緒でいいって。でも、条件として、現地でも修業ができるように、アースと私もついていくわ。子供たちだけじゃ危ないから、引率者は必要でしょ?」

 フォーラの提案に、輝は両手を上げて喜んだ。やはりフォーラはついてきてくれる。素敵な水着が拝めるのだ。

「それで、海はどこへ行くの? まさか伊豆とか湘南とか、そういう混み混みの所じゃないよね?」

 町子が問うと、メリッサがそれに反論をした。

「泳げればどこでもいいです。日本でもどこでも」

 食い違う二人の意見に、フォーラはまた、アースと何か相談を始めた。後ろでエルがイライラしている。きっと彼も行きたいのだろう。海水浴など、したことがないのだろうから。

「赤道近くの無人島にしましょう」

 話し合いを終えると、フォーラがまた屈託のない笑顔でそう言った。

 無人島。

 そこなら、混雑を気にせずに存分に海水浴ができる。それに、アースが付いているから危なくない。いや、危ないことがあっても大丈夫だ。

「さて、そうとわかればみんな、次の休日は水着選びね!」

 フォーラの提案に、皆が賛成して声を上げた。月の箱舟の問題が山積しつつも、すこしだけの楽しみができた。ナギとケンのことはもうどうしようもない。動きようもない状態で、少しでもナギに近づくことができれば。

 みんなは、そう思いつつも、たまにしかない楽しみに心を躍らせていた。

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