記憶 7

朝食を食べ終わると、ついに、昼から始めるバーベキュー・パーティーの準備が始まった。それぞれが買ってきたものを町子と輝が仕込み、他の三人は会場の設営に入っていた。

 町子は、アースと輝が町へ行って買ってきたものの中から、チョコレート・ペーストのようなものを見つけた。見た目はかなりチョコレートのペースト状になったものだが、何かが怪しい。パッケージにチョコレートの文字がないのだ。食べてみようとすると、輝に止められた。

「やめたほうがいい。町子の言った通り、おじさんはかなり味オンチだったよ」

「どういうこと?」

 町子が訊き返すと、輝は悲しそうに首を振った。

「俺たちが日本人であることを、こんなに呪ったことはない。これは地獄の食べ物だ」

 輝があまりにも悲しそうにしているので、町子は英語で書かれているパッケージとその原材料を見てみた。

「マーマイト?」

 町子が原材料名を見ていると、輝がその横から冷凍した何かのベリーを取り出して、それを解凍しだした。

「あ、それボイセンベリーだ! それ使うの?」

「使い方は分からなかったけど、試食したらおいしかったんだ。そのペーストと違って」

「ボイセンベリーなら、私パイ作ってあげる! 粉がなかったら、このマーマイトで伯父さん脅してから作らせる! ちょっと、スタンリーさんに粉のありか聞いてくる!」

 パイ。

 町子のパイ。それもボイセンベリーのパイ。

 台所から出て庭先に向かう町子の姿を見送って、輝は胸がドキドキするのを覚えた。

町子の作ってくれるパイは、輝が目覚めた日以来だ。あの時のベーコンポテトパイは本当においしかった。町子の得意料理なのだろう。

 町子は、すぐに粉を持って戻ってきた。スタンリーから聞いたオーブンの位置と使い方を確かめる。そんな町子の姿がいとおしくて、輝は胸に熱いものがこみあげてくるのを感じた。

「町子」

 作業する手をいったん止めて、輝は町子に声をかけた。オーブンの中を確かめる町子と目が合って、ドキリとした。

「いや、いいんだ。外の様子はどうだった? 粉は結局あったんだな」

「うん!」

 町子は、元気よく答えた。その様子を見て、輝は自分の胸のドキドキが次第に収まっていくのを感じた。その代わりに嬉しい気持ちがこみあげてきて、気が付いたら自然と笑っていた。

「町子のボイセンベリーパイ、楽しみだ」

 そう言って、自分の作業に戻る。

 大体の野菜や肉を一口大に切って串に刺すと、庭先から三人が何かを話し合う声がしてきた。町子のパイが出来上がってからのパーティーになるため、少し火を遅らせてくれているのだ。

 輝は串に刺した材料を持って、下に行って準備だけをしておこうとした。火が付いたらすぐに始められるように。しかし、そんな輝の服の裾を、町子が握って離さなかった。

「輝、行かないで」

 少し寂しそうにしている町子を見て、輝は手に持ったバーベキュー串のトレーを元の場所に戻した。

「私、見る者として目覚めたら、いろんなことが怖くなってしまって。確かにいろいろ分かったし、色々な力が使えることも知った。でも、いきなりだもの」

「確かにな。でも、今は俺とおじさんがいる。町子をフォローできると思う。もっと安心して、心を預けてもいいんだ」

 輝がそう言うと、町子は輝の胸に頭を預け、その手を添えてきた。

「輝、お願いね」

 そんな町子を、輝は抱きしめた。愛おしかった。町子の体から不安と期待、両方の感情が流れ込んでくる。すこし、震えていた。

 強力な武器と戦闘能力を得てなお、こんなに小さく見える町子は、それでもまだ輝が守っていかなければならない存在だった。それは町子が弱いからではない。自分が強いというわけでもない。ただ、愛おしかったからだ。

 輝がそんなことを考えていると、町子が輝からそっと離れて笑顔を見せた。

「輝を、守り切れるか分からない。でも、私は、私の手の届くところにあるものは、できる限り守りたいから」

 町子は、そう言いながらパイの仕込みに戻っていった。

 輝は、そんな町子の姿に少し安心しながら、串を下の三人のもとに持っていった。

 すると、輝の顔を見るなりエルが走ってきて、トレーの上の串を取り上げた。それをまじまじと見ると、嬉しそうに輝を見た。

「輝、お前結構料理上手いんだな。俺は地球でこういうことするの初めてなんだ。よろしくな」

 そう言って、輝を他の二人のもとへ引っ張っていった。

 スタンリーとアースは何やら難しい顔をして話し合いをしていた。例のラヴロフと言う男のことだった。

「あれは、あいさつ程度のものだったというんですか?」

 スタンリーが驚いたような口調でアースに尋ねている。アースは少し考えていた。

「あれは、単純にこちらの戦力を探りに来たと考えたほうがいい。あの事件の後、確実に俺たちは変わっている。町子とアーサーの武器が露呈しなかっただけ良かった。あれは、ゴーレムに対抗できるかもしれない、貴重な武器だからな」

「ゴーレム、あの事件で最も皆さんが手を焼いたという化け物ですね」

 アースは、頷いた。

 その時、エルと輝が到着して、二人の中に入ってきた。

「おじさんは、あの事件でシリン封じや隕石に対する耐性ができて、さらにそれが進化しても大丈夫なように鍛えていますよね。皆も、あの時みたいに無力なままではいられないって、変わってきている」

 輝は、話ながらテーブルの真中に、トレーの上の串を並べていった。並べ終わると、深呼吸をして続けた。

「でも、今朝来たラヴロフってやつがおじさんのことを調べていたように、向こうも確実に進化していると考えたら、厄介なことになりますよ」

「そうだな」

 アースが、そう言って深く考えた。

 今はメンバーが未熟なままで環への干渉は使えない。それに、ラヴロフは干渉したところで変わるような人間でもない。ルフィナや自分たちのように、消極的態度をとっていたら、また誰かや、何かが持っていかれてそれを救うという形でしか戦えない。こちらから打って出るとしても、まだ準備は整っていない。

「敵の内情を探るか」

 アースが呟くと、輝たちが一斉にこちらを向いた。

「敵の内情? それってスパイを送るってことですか?」

 スタンリーが、また驚いた顔をした。

「そのようなものだ。もっとも、誰かを使ってやるわけではないが」

 アースは、そう言って少し笑った。何かの作戦があるのだろうか。そう考えて不思議そうな顔をしているスタンリーの肩を、輝が叩いた。

「地球全体が地球のシリンの管轄下にあるのなら、その管轄下にあるラヴロフって人の動きや、その周りの状態を知ることなど造作もないことだ。戦力の把握も難しいことじゃない。地球上でおよそ、地球のシリンにできないことはないんだ。同じシリンの君ならそれくらいのことは分かるはずだけど」

「しかし、それではちょっと卑怯だよ、輝。フェアじゃない」

「問題はそこじゃない、スタンリー。相手はそもそもフェアに戦うつもりなんてないんだ。地球のシリンを利用して世界征服を企むような連中なんだぞ」

「世界征服か、本当にそれだけかな」

 スタンリーは、そこまで言って深く考え込んだ。何かを知っているような仕草だ。

 しばらく、皆の中に静寂が訪れた。誰も何も言わなくなり、アースもまた何かを考えていた。スタンリーを見ると、次第にその瞳の色が変わっていった。緑から黄緑へ、そこから黄色へ、そして、フォーラと似たような金色へ。

「スタンリー」

 それに気が付いた輝が、スタンリーの肩に手を当てようとした、その時。

 スタンリーは、輝の手を勢いよく振りほどいて、にやりと笑った。そして、静かにテーブルの上のバーベキュー串から野菜や肉を抜き取ると、鋭いその先端を輝の喉元に突き付けた。

「スタンリー?」

何が起こったのか分からない。一体スタンリーはどうしてしまったのか。輝は串を突き付けられたまま固まってしまった。しかし、その串を持つ手は静かに下ろされ、スタンリーの瞳は一気に色を取り戻した。

「よせ」

 アースだった。金色の瞳のスタンリーに気づかれないようにそっと近づいてその手に触れた。そして、彼の瞳の色を緑に戻した。

「いったいどうしたんだ? スタンリーの瞳の色が変わったぞ?」

 エルが輝のほうへ駆け寄ってきた。輝は、生きた心地がしなかったが、それでもすぐに冷静さを取り戻していた。大丈夫かとエルが聞いてきたので、大丈夫だと答えた。

「僕は、瞳の色を変えることで正反対の力と性格を得ることができるんです。すこし、輝を試そうと考えていたらそうなっていました。結果は、思った通り。僕の変わりように取り乱さず、輝さんはすぐに冷静さを取り戻した。地球のシリンが見込んだ通りでした」

 スタンリーは、エルに向かってそう言って、串をテーブルの上に戻した。

「少し、甘い考えを持っているかと思っていましたよ。でも、甘かったのは僕のほうでした。輝、君はずいぶんと色々感じてきているんだな」

 そう言って、スタンリーは右手を差し出してきた。

「改めて、よろしく頼むよ、戻す者の高橋輝。そして、そこに立っている見る者の森高町子さんもね」

 スタンリーはそう言って、緑の瞳のまま笑いかけてきた。輝はその手を握り返し、町子も、手に持っていたパイをテーブルに置いて、スタンリーの手を取った。

「さて、スタンリーのことが分かったことだし、町子も来たことだし、パーティーを始めるか」

 静まり返っていた皆の空気を変えようと、エルが音頭を取り始めた。火がコンロに点けられて、焼き網がセットされる。それが温まってくると、バーベキューの串を皆が思い思いに持って焼き始めた。

 楽し気な会話とともに、いい匂いが周りに漂っていった。

 町子たちがニュージーランドから英国に帰還したのは、この一週間後のことだった。

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