緩やかな薬 6
メルヴィンは、クチャナの所に行くと、いきなり跪いて、濃い紫のストレートドレスを着ているクチャナの手を取った。
「クチャナさん、僕と一緒に踊ってください」
メルヴィンがそう言うものだから、クチャナも周りの人間も驚いてしまった。会場はざわめき、なにやらひそひそ話をする人も出始めた。ひそひそ話していたのは朝美と友子で、輝に睨まれると、それをぴたりとやめた。
「クチャナにはずっと昔、想い合う恋人がいた」
セインが、輝の横に出てきて腕を組んだ。
「クチャナは生涯彼のことを忘れることがないだろうし、そのおかげで今の彼女があるといっていい。彼女はもう恋はしないと決めている。メルヴィンが玉砕するのは目に見えているが、クチャナはどう出るかな」
セインはそう言って輝の肩を叩き、立ち去った。これを言うためだけにここに来たのだろうか。セインは輝に何を期待しているのだろう。
気を取り直してメルヴィンのほうを見ると、クチャナはメルヴィンの手を取って、ダンスの誘いを受けた。そして、一曲踊り終わって別れると、メルヴィンは肩を落として輝のものへ戻ってきた。すると、輝のもとへ来るもう一人の影があった。
メリッサだ。
彼女は、自分のドレスをたくし上げて、急いでこちらへやってきた。そして、メルヴィンの名前を呼ぶと、落ち込んでいる彼の肩にそっと手をやった。
「メルヴィン、大丈夫? クチャナさんと何があったの?」
「クチャナさんは悪くない。僕が何も知らなかっただけだ」
メルヴィンはそう言うと、いよいよ我慢が出来なくなってきて、目に涙を溜めた。
その姿を見て、メリッサがクチャナのほうへ駆けだそうとした。しかし、それを輝は止めた。
「メリッサ、目てみろ」
そう言ってクチャナのほうを向かせた。すると、彼女は頭を抱えていて、隣にいたクエナが懸命に励ましていた。
「クチャナさんは、あれでいて繊細な女性だと思う。瞳さんと同じで、強さの裏でもろい部分もあるんだ。メルヴィンを傷つけてしまったと思って自分を責めていることくらい、俺でも想像がつく」
「そんな、じゃあ、メルヴィンの気持ちはどこへ行けばいいの?」
メルヴィンの背中をさすりながら、メリッサが嘆く。傷ついたメルヴィンを見ているのは自分も辛かった。誰よりも、辛かった。メルヴィンはまだ肩を落としていた。それでも、前に進もうとしていた。涙を拭き、皆に笑顔を見せる。
「メルヴィン、無理してる」
その姿を見て、メリッサがメルヴィンのもとへ寄っていく。すると、そんなメリッサの手を、メルヴィンは振り払った。
「一人にしてくれ、今は」
少しいらだった口調でそう言って、メルヴィンは人ごみに紛れていってしまった。その姿を見ていた輝のもとに、また誰かが現れた。大きな影、モリモトだった。
確か、モリモトとエルはアースの護衛に付いていたのではなかったか。輝が頼んだから、覚えている。
「輝、あれどうするんだよ」
エルが、輝のもとへきて、耳打ちをした。
すると、その行動を見ていたモリモトが、エルの耳を引っ張った。
「イッテテテ! なにするんだよ、父さん!」
「こういう問題は他人がどうこうしたところで解決はしない。放っておきなさい。それより問題はクチャナさんだ。彼女のダメージのほうが大きいだろう」
「結局父さんも気になるんじゃないか」
そう言いながら、エルは口を尖らせた。二人がそういうやり取りをしていると、輝のもとにアースがやってきた。
「おじさん」
輝が呼び止めると、アースは輝のもとへやってきて、少し笑った。
「輝、どうだ?」
そう言って、アースは輝のほうに飲み物を差し出してくれた。酒を飲んだことのない輝に気を使って、冷えたジンジャーエールを出してくれた。
「いろいろあって疲れることがあります。メルヴィンやメリッサ、クチャナさんの件も出てきてしまいましたし。でも、その裏で、そんなごたごたを楽しんでいる部分もある。これでいいんでしょうか」
輝は、苦笑して受け取ったジンジャーエールを飲んだ。冷たくて、胸の中までスッキリする。日本で飲んでいたものより濃く、苦かった。
「いいかどうかは、誰にもわからない。だが、お前が楽しんでいる以上に、あいつらは今の状況を楽しんでいるのかもしれないな」
「楽しんでいる?」
アースは、微笑んだ。そして、自分が持っているウイスキーを口に含んだ。
「ああ。楽しんでいるからこそ、あんなに動ける」
そして、少し酔った、そう言って、ウイスキーをテーブルに置いた。
輝とアースがそうしているうちに、メリッサが泣きはらした目を真っ赤にして輝のもとに戻ってきた。
「輝、私どうしたらいいか分からない。私じゃ、メルヴィンの力になれないのかな。好きって気持ちだけじゃ、どうにもならないってことは分かるの。でも、好きだからできることがあるんじゃないかって期待しちゃう」
そう言って泣くメリッサの肩に、アースが手を置いた。
「メリッサ」
アースがそう声をかけると、メリッサはアースの胸を借りてわんわんと泣いた。しゃくりあげながら泣いた。自分の持っているハンカチが濡れてしまうほどに涙を流した。
そして、ひとしきり泣いてしまうと、何かを決意したかのように強い瞳で輝を、いや、輝だと思い込んでいたアースを見た。そして、真っ青になった。
「え?」
メリッサは泣くことを忘れて、手を震わせた。
「すみません! すみません! 私ったらなんてことを!」
そう言って震えた。そのメリッサの肩に、再びアースの手が触れる。
「メリッサ、まだお前に礼を言っていなかったな」
アースがそう言って笑うと、メリッサは何が何だかわからない、と言った表情をした。
「勇気を出して、薬を作ってくれて、ありがとう」
そう言って、アースはメリッサを抱いた。メリッサは、抱かれた暖かさが心地よくて、落ち着きを取り戻していった。近くに来ていたフォーラが、その光景を見て、優しく微笑んだ。
「いいの、フォーラ?」
クローディアがフォーラを小突く。怒りをつかさどる彼女は、フォーラの怒りに期待していた。しかし、フォーラは怒るどころか嬉しそうにしていた。
「まったく、フォーラも人がいいわね」
「私も、メリッサには助けられたから」
そう言って、フォーラは静かにその場を立ち去った。
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