緩やかな薬 2
輝たちの屋敷を訪れたのは、一組の夫婦だった。
夫婦は、ナギとアントニオに挨拶をして、屋敷へと入ってきた。アントニオはこの夫婦を知らないが、ナギは知っているようだった。
夫婦のうち、女性のほうは、きれいな布を体に巻き付けてドレスにしていた。色とりどりのその布は、その栗色の長い髪の後ろを覆い、背中のほうへと垂れていた。女性の瞳は緑色で、アイラとよく似た色だった。
男性のほうは、長身で、肩まで伸びた金の髪を後ろで束ねていた。白いスーツを着ていたが、よく似合っていて、少しも怖い印象はなかった。
「アイラが、こちらにお世話になっていると聞きました。それと、アースが大変なことになっているということでしたので、お見舞いも兼ねて参りました」
女性は、対応に出てきた朝美にそう言うと、ひとつ、土産物を手渡した。
「私は、イクシリアと申します」
イクシリアと名乗ったその女性は、自分の服の中から何かを取り出した。それは小さな香水瓶で、中には青い砂が入っていた。
そして、次にイクシリアの隣にいた男性が名乗った。
「アーサーと申します」
アーサーも、土産物とは別に、持っていたカバンの中から何かを取り出した。それは、一枚の紙で、何も書かれていなかった。
「パピルスの紙です。私の持っているもので一番古い。イクシリアのものは時の砂という代物です。これは、彼女の能力と深く関係しています」
アーサーは、優しそうに笑った。そして、カバンの中にパピルスをしまうと、ふと、朝美を見た。
「すみません。アースはどこにいらっしゃるのでしょう」
すると、朝美は急に表情をこわばらせた。ここにいる二人は突然来て、何を言っているのだろう。名乗ったはいいが味方とは限らない。もし、月の箱舟の人間だったら?
「あの、すみませんが素性のしれない方をこれ以上入れるわけにはいきません」
朝美ははっきり言い放った。すると、屋敷の奥のほうから声がかかった。
「朝美、その二人は我々の知り合いだ。入ってもらいなさい」
クチャナだった。
彼女は二階から降りてくると、イクシリアやアーサーと抱き合った。そして、朝美に二人を紹介した。
「イクシリアはアイラの姉で月桂樹のシリン。アーサーはラヴェンダーのシリンでセインの親友だ。朝美、誤解させてしまってすまない」
クチャナが謝ると、朝美は急いで手を振った。
「こちらこそ失礼なことを!」
すると、アーサーとイクシリアは、目を見合わせて笑い合った。そして、次には真剣な顔に戻って、クチャナと朝美の両方を見た。
「それで、クチャナ、アースの様子はどうなんです? 深手を負われたと聞いたのですが」
アーサーが問うと、クチャナは二人をロビーに案内した。そして、今までの経緯やシリン封じのこと、そして、ゴーレムと言う化け物のことに至るまで、詳しく説明をした。朝美はその説明の合間にお茶を淹れてきて、三人に出した。
「では、今は休まれているのですね」
イクシリアがホッと胸をなでおろすと、クチャナが手に持っていた湯飲みをそっと置いた。お茶は、梅昆布茶だった。
「体力が戻るまでは、しばらく眠っていたほうがいいそうだ。ところで、アーサーもイクシリアも、どうしてこんな場所へ? 見舞いだけが理由ではあるまい」
すると、二人は目を見合わせて首を傾げた。
「クチャナ、わたくしたちは招待されたのですよ、ここに」
イクシリアはそう言うと、一枚の招待状を出した。そこには確かにここの住所が書いてあって、パーティーへの招待と書いてもあった。中を読んでみると、このところのバタバタでやることのできなかったクリスマス・パーティーの代わりに、皆でパーティーを開こうということになったと書いてあった。そこにイクシリアやアーサーも招待してあった。
「署名は、セインか」
クチャナは招待状にある署名を見て、ため息をついた。
「確かに、パーティーを開くことにはなっているが、まだ先のことだ。セインも急いだものだな」
そう言って、クチャナは笑った。
「アーサー、イクシリア、今日はこの近辺で宿をとっているのか?」
クチャナが尋ねると、アーサーが答えた。
「いつのパーティーなのかは書いていなかったので、我々も早く来たまでです。宿は連泊の予定にしてありますから、ご安心を」
「そうか。今日はまだ時間があるのか?」
「チェックインは夕方ですから、時間はあります。ここへは、アースに会いに来ただけですので」
イクシリアは、そう言って笑った。そして、テーブルに置いてある梅昆布茶を口に運ぶ。
「これは!」
そう言って、ぬるくなったお茶をすぐに飲み干してしまった。
「クチャナもセインも、こんなおいしいものをいつも飲んでいるのですか?」
クチャナは、その問いに苦笑いをした。朝美の腕は上がっているとはいえ、失敗することもたまにあったからだ。
「毎日ではないけれどね。では、しばらくここに滞在していくといい。またお茶は出すから。アースも夕方までには一度は目を覚ますだろう」
そう言って、クチャナは立ち上がり、朝美に耳打ちをすると、奥へ行ってセインとアイラ、そしてクエナを呼んできた。久しぶりに会う家族や友人らとしばらく穏やかな時間を過ごしていると、次には他の客がやってきた。車ではなく徒歩で来たらしく、迎えに出ているナギと何か話し込んでいる様子だった。
「誰でしょう?」
イクシリアは相変わらず幸せそうな顔をしている。お茶をすすりながら朝美にお代わりをすると、ナギが新しく現れた三人の男性とともにロビーに入ってきた。
すると、クチャナとセインがびっくりして立ち上がった。
「エル!」
立ち上がった二人は、入ってきた三人の男性と挨拶を交わした。
三人のうち一人は中年の東洋人だった。東洋人なのに英語を話しているので、どこかに移民しているのだろうか。もう一人も同じだった、初老の男性で、ロマンスグレーなのに体はたくましく、しっかりとしていた。そして最後の男性は、若い美形の男性で、赤い瞳にプラチナブロンドが印象的だった。アルビノなのだろうか。
クチャナとセインには知り合いが多い。アースほどではないが多い。この人たちもその一種なのだろうか。
みんながあっけにとられていると、クチャナとセインが皆に新しく来た三人を紹介してくれた。中年男性の名はケン・コバヤシ。暁の星でアースの後を継いで医師として活躍している。もう一人のロマンスグレーのがっしりした男性は、タケシ・モリモト。彼は暁の星にあるマリンゴートと言う国で、その国の持つ救護隊の顧問をしているという。最後に、その救護隊の隊長をしているという美形の青年。彼は、暁の星の月のシリンで、名をエルと言った。事情があって暁の星のシリンと同じ顔をしている。少し背が小さいだけで、あとはほとんど同じだった。
「最初は、メティスが来たのかと思った」
セインは嬉しそうに、皆をお茶の席に招いた。ロビーにあるお茶の席はこれでいっぱいだ。そして今回は男性陣が急に増えた。その体格の違いでお茶の席は少し狭く感じて、クチャナは苦笑いをした。
「では、エルやモリモトさんたちも招待状を?」
「はい」
モリモトが、梅昆布茶に感動しながら答えた。
「もっとも、我々も、メティス殿に頼んでこの星に近々来る予定ではありました。ナギ先生をずっと慕っていたケンが、ナギ先生とついに結婚して帰還組になるというのでね。招待状の差出人はシリウスでした」
「そうだったのか。シリウスもセインも、どうして彼らを招いたのだ?」
その質問には、ここにいないシリウスの代わりにセインが答えた。
「アースのことです。彼に深くかかわっている人達ですからね、皆。それに、今後のこともあります。暁の星の人間の力を借りてでも、やらなければならないでしょう」
「月の箱舟」
小さな声で、クエナが呟いた。
「お姉さま、月の箱舟はこれからどういう動きをしてくるのでしょうか」
クエナが不安そうにしていると、クチャナは顎に手を当てて少し、考えた。
「どうやら私たちは、中枢部の人間にたどり着いていないようだからな。まだ何かをやらかすことに間違いはないだろう」
「では、また誰かが?」
「分からない。目下問題なのは、シリン封じの謎の金属と、あの、ゴーレムと言う化け物だ。あれらをどうにかしなければ前には進めない」
その言葉に、アイラは床に目を落とした。今回の件は大ごとになりすぎた。世間の目には触れていないとはいえ、傷も大きく、また、敗北感も多少はあった。
「シリン封じもゴーレムも、相手は相当強化してくるだろう。あの時、我々はゴーレムに全く歯が立たなかった。あれが強化されたら我々に勝ち目はない」
セインが説明を始めた。すると、ちょっと待ってとアイラがセインを止めた。
「この話、皆を集めてやったほうがいいと思うの。アースが回復するのを待って、パーティーが終わったらにしましょう。敵もそうすぐには動いてこないはず。ゴーレムを強化するのも、シリン封じを完全なものにするのも、時間がかかるはずだから」
セインは、アイラの話に一言、そうだな、と答えて、落ち着いた。お茶をすすると、肩をなでおろす。
「せっかくシリウスさんも暁の星からみなさんを呼んできてくださったのだから、いいパーティーにしないといけないわね」
アイラが笑うと、皆も笑って応えた。屈託のないアイラの笑顔は皆を元気にする力があった。皆がロビーでお茶をしていると、そのうち他の人間も突然の来客にびっくりして挨拶をした。帰還組であるシリウスやネイスも、久しぶりに会うケンたちと話し込んでいた。そこへナギが加わり、ケンと何かを話し始めた。その二人は笑顔で、互いのことをよく尊重し合っていることがよく伺えた。そして、パーティーの算段をつけるために、皆の中にマルコとバルトロ、そしてアントニオが入って要望を聞いていった。料理やお菓子、お茶を担当する芳江や友子、夏美も中に入ってきていた。
そんな屋敷の中は人でいっぱいになってきていた。そこでフェマルコート家の現在の当主であるガルセスが、もう一つの屋敷を隣の空き地に作ることを提案した。
皆は喜んだ。パーティーには間に合わないが、いずれ何人もの友人たちが家族同然に暮らせるようになるだろう。ここにメルヴィンやメリッサを呼んでもいいかもしれない。輝や町子たちはそう話して、皆の喜ぶ顔を見た。
パーティーは、三日後に迫っていた。
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