強さの温度 14
英国では、不安な気持ちを胸に、居残った人間たちがお茶をしていた。何人、生きて帰ることができるだろう。考えてはいけないのに、そんなことばかり考えてしまう。お菓子は誰も作る気力がなかった。だから、せめてお茶だけでもと、芳江や友子が気を使って出してくれていた。
そこに、突然、何かが現れた。
何の前触れもなく、突然ロビーの入り口側に誰かが現れたのだ。駆け寄っていくと、マルスだった。誰かを毛布にくるんで抱いている。
「やはり、僕の体力ではきついな、この転移は」
そう言って、額に汗をにじませる。
ロビーにいた全員がマルスのもとへ駆け寄ると、マルスは手を挙げて応えた。
「どうしたんです、どうしてこんなところにいきなり?」
メルヴィンが尋ねると、マルスは真剣な顔をして、毛布にくるんでいた誰かを抱いたまま、毛布を取った。すると、その誰かを見て、夏美が叫んだ。
「兄さん!」
夏美が泣きながらアースのもとへ駆け寄ると、マルスはアースを抱いたまま辰紀に手伝ってもらって二階に上がっていった。
「いったい何があったんです?」
辰紀が問うと、マルスは感情をなるべく出さないように気を付けながら、低い声で答えた。
「話はあとだ。夏美さん、部屋を暖めてくれませんか? 暖炉があるなら、エアコンより暖炉のほうがいい。芳江さんは水を汲んできてください。なるべく冷たいものを。タオルも三枚ほどあればいい。友子は飲み水を。これは白湯がいい。メルヴィンとネイスは、一緒に中に入っていてくれ。やることはたくさんある。とりあえず今は、僕の指示に従ってほしい」
何が何だか分からないが、状況は把握できた。六人全員は、それぞれ言われたとおりに動いた。素早く、正確に。
部屋の中に入ると、夏美が暖炉に薪をくべて焚き付けに入っていた。暖炉に火が付くと、夏美は外から何本もの薪を持ってきて部屋の中の薪入れに入れた。
メルヴィンはベッドを整えていた。アースの着せられていた薄い上着はところどころ破れたりくしゃくしゃになったりしていたので、着替えさせることになった。メルヴィンと辰紀で、大体身体を拭いてやると、寝間着に着替えさせてやって、ベッドにそっと寝かせた。
アースはずっと苦しそうにしていたが、あおむけに寝かせると少し苦しさが増したようだった。熱を測ると高熱で、誰もが一抹の不安を覚えた。
「おそらくは捕らえられてからずっと、水だけでもたせていたはずだ。まずは白湯を飲ませてやってほしい」
マルスの指示に、友子が白湯をもってやってきた。マルスがアースを起こしてやると、友子は、わずかに開いているその口に器を押し当てた。少しずつ、水が減っていく。一気にやると負担になるというので、少し飲ませては休む、これを三回ほど繰り返した。
「メリッサやカリーヌさんがいれば、解熱作用のある薬が作れるかもしれませんね」
メルヴィンはそう言って、一抹の不安を覚えた。彼女らが確実に帰ってくるという保証はないのに。しかし、マルスはこう答えた。
「皆、無事帰還するだろう。不安は分かるが、今ここで僕たちが折れてしまったら、それが伝染する。皆を信じよう」
「マルスさん、それで、兄さんはどうしてこんなことに?」
夏美が問うと、マルスは一連の事情を話して聞かせた。すると、夏美は口に手を当てて涙を流した。
その背中を支えたのは、芳江だった。
「マルスさんはまだ、怒りやすいシリウスさんや輝にはこのことを話していないんでしょう。私たちが先に知っていいこととは思えない。でも、こんなひどい仕打ちは許されません。私たちだけでも支えになってあげましょう、今は」
その言葉に、夏美は頷いた。そして、辰紀がその夏美の様子を見ながら、マルスに確認をする。
「いま僕たちにやれることは、彼の熱をこれ以上あげないことと、水分を絶やさないこと、それと、皆を信じることですね」
「ああ」
マルスは、そう言って、アースの様子を注視しながら、嘆く夏美をそっと、アースのもとへ近づけて、自分が座っていた椅子に座らせた。そして、夏美の手を、そっとアースの熱い手に重ねた。
「この中で彼に一番近いのは君だ。夏美、大変だと思うが、支えてやってくれ」
そう言って、マルスは外へ出ていった。
「マルスさん、疲れているなあ」
外に出ていくマルスの背を追いながら、友子が呟いた。
「マルスさんは、触れた相手の記憶が嫌でも見えてしまう。今回のものは恐ろしい記憶だった。だからとても、疲れると思う。僕も実際、あの話を聞いたときには、吐き気がしたからね」
メルヴィンが補足した。同じ男性として、イーゴルやサンドラがしてきたことは許されることではないと思ったからだ。
マルスの背を追うものは誰もいなかった。ここでやるべきことが山積していたからだ。暖炉の火が弱くなれば薪をくべなければならない。アースの額に乗せたタオルはすぐに熱くなってしまうから、冷たい水をしょっちゅう替えながらタオルを交換しなければならない。それに、水分を補給させなければならないし、白湯も作り置きしなければならなかった。それぞれが忙しく立ち回っていった。
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