粉挽き小屋 8

 ルフィナの父・バルトロは、烈火のように怒りながらアントニオの足を三回も踏みつけた。アントニオは情けない悲鳴を上げながら、足を庇って片足で跳びはねて、最後には地面に尻もちをついてしまった。

「救いようのないやつだ」

 バルトロはそう言って、尻もちをついているアントニオを見下ろした。悔しさに歯ぎしりをしたアントニオは、それでも、そのどこまでも高いプライドを捨てられなかった。

「この、因業じじい!」

 そう言って、アントニオは自分の懐から拳銃を出してバルトロに突き付けた。

「いけない!」

 セインが叫んだ。もしアントニオが本気ならこの距離では間に合わない。間に合うとすればセインやクチャナより前に出ていたマルコだけだ。セインがマルコのいたほうを見ると、そこにはもう誰もいなかった。

「死ね、クソジジイ」

 アントニオのその一言の後に、すぐ、銃声がした。

 鋭い銃声だった。アントニオは拳銃を持ってはいたが扱ったことはない。誰かがどこからか銃弾を打ち込んだのだろう。アントニオの拳銃は銃弾を出すことなく地面に落ちた。 

 かなり遠くからの狙撃だった。狙撃手は姿を見せないが、マルコやバルトロたちを助けてくれたことは確かだった。そして、拳銃を落とされたアントニオが、もう一度それを撃つために拾おうとした手を、セインが止めた。

「見なさい。あれでも君はルフィナの父親を撃てるのか?」

 アントニオが自分の目の前に目をやると、そこにいたバルトロは地面に転がっていて、そこにマルコが覆いかぶさっていた。銃弾を引き受けてもバルトロを守ろうとしていたのだ。そして、そのさらに手前には両手を広げて父親を庇い、涙を流すルフィナの姿があった。

 アントニオは、チッと舌打ちをした。

「とんだ茶番だな。ばかばかしい。そのきれいごとがいつまでも通じるとは思うなよ」

 そう吐き捨てて、アントニオは部下のボディーガードを全てたたき起こして、帰っていった。セインとクチャナは彼らを殺してはいなかった。槍の柄を使って気絶させただけだったのだ。

 五人が去っていくと、一時緊張していた空気がほぐれてきた。しかし今ここには気難しく頑固なバルトロがいる。その老人を見て、町子や輝は体に緊張が走るのを覚えた。しかし、セインやクチャナを見ると、二人で何かを話し合っているのが分かった。あの老人はどうでもいいのだろうか? そして、ルフィナとマルコを見ると、二人はバルトロを助け起こしている最中だった。

「お前たちの手は借りん」

 手を差し伸べたマルコとルフィナの手を振り払い、バルトロは自分で地面に立った。

「ひとをじじい扱いするな」

 すると、バルトロは一息ついてその場にいた人間たちをかき分けてパン屋に入っていった。

「こんなまずいパンの味の違いも分からんようじゃ、お前たちもまだまだじゃな」

 セインやクチャナに、バルトロはそう言った。二人は、面目ない、と一言返して苦笑いをした。

「日本人は舌が良いと聞いたが、本当にこんなパンがうまいと思ったのか?」

 老人は、次に町子と輝にそう尋ねた。町子は、老人よりはるか長い間生きているクチャナ達が折れたのを見て、この雰囲気を壊してはいけない、そう考えた。輝に目配せすると、輝は頷いて返してくれた。

「まだ子供ですから」

 町子はそう返した。

「やれやれ、このパンの味の違いが分かるのは、わしとマルコだけになってしまったな」

 バルトロは、そう言うとマルコのほうを向き直った。

「マルコ、お前が先程言ったことに嘘偽りはないだろう。陰で聞いていて、出てこなかったのは謝ろう。しかし、このこととルフィナのことは別じゃ」

「お父様!」

 ルフィナが抗議をしようと前に出てくるのを、セインが止めた。

「まあ、聞いていなさい」

 ほかならぬ二千年の長寿を誇る風の刻印の持ち主の意見に、ルフィナは足を止めた。

「うむ。人の話は最後まで聞けと言っておる。他ならぬわしの粉でなければならないといったマルコがこの店を盛り立てていくには、このまずいパンでは駄目だ。もし、粉をわしのものに戻しても、あのロベルタとかいう女がやってきて評判を落とすかもしれん。女を追い返すには女だ。ルフィナ」

 そう言って、バルトロはルフィナの肩をたたいた。

「このパン屋のことは、お前に任せよう。このノロマなマルコのことだ。自分一人で盛り返すのは無理だ。女のお前が手伝って、この店にわしのもの以外の粉が入ってきたら、マルコのやつの尻をひっぱたいてやれ。マルコ、お前はせいぜいわしの粉でいつも精いっぱいのパンを焼くことじゃな。でないと娘は返してもらう」

 バルトロはそこまで言うと、疲れたように店内の椅子の上に座った。

「お父様!」

 椅子に座ったままの父に、ルフィナは泣きながら抱きついた。その様子を見て、マルコも大泣きしていた。その二人を優しく見守りながら、バルトロは娘の背をトントン、と、叩いた。そして、それを見守っている輝たちを見て、ひとつ、頷いた。

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