無名の旅――はじまりの断片

しちみ

はじまりの断片

 かたい寝台で目を覚まし、いましめの感触を確かめて、区切られた窓から外をながめて過ごす。それが、彼にとってのあたりまえだった。もう長らく、そんな生活を送っている気がした。ここ二年は、音ににおいに温度、さらに人との会話が加わった。最初こそ新鮮味があったものの、時がたつと、質の悪い寝台にも、かび臭い牢獄にも慣れてくる。男はいつもどおり、手首にかかる重みを確かめ、のんびりと、しま模様の窓をながめていた。

 わずかに見える緑が、太陽の光を透かして輝く。そのみずみずしい色は、人工的な庭を美しく染めていた。遠くから鳥のさえずりが聞こえ、人の手で植えられた花々が風にそよぐ。

 いつもどおりの風景。けれどこの日は、少し違った。


 ここには時折、一人の娘がやってくる。法衣をまとっているのに、なぜかいつも、手にはさやに収まった剣がにぎられているのだ。そして、ひとけのない庭で気の済むまで、剣を振るって去ってゆく。男はそれを知っていて、あえて無言をつらぬいて、娘の様子をながめていた。彼女はときどきおもしろい動きをするのだ。見ていて飽きない。この楽しみを手放したくなかったから、声をかけなかった。

 だというのに。この日はなぜか、声をかけるまでもなく、娘のみどり色の瞳が彼を見つめていたのだ。

「こんなところに、人が……」

 娘の第一声は、それだった。まるくなった目は、鉄格子の先から彼をじっと見つめてくる。彼が息を殺してそこにいると、娘は脱ぎ捨てたばかりの法衣を脇に抱え、剣を置いて窓の方へ駆けてきた。鼻がこすれるのではないかというくらい、顔を近づけてくる。

 娘はしばらく難しい顔をしていたが、やがて天啓がひらめいたかのように、瞳を輝かせた。

「あっ、ひょっとして、噂の幽霊さんですか!?」

「――幽霊に、見えるのか」

 口をきくつもりなどなかった。そのはずなのだが、気が付けば呟いていた。当然娘は反応して、「しゃべった!」などと叫び、飛び跳ねる。

 よくわからない女だ。まるで、うさぎか小鹿のよう。不信感に眉を寄せつつ、彼は格子の隙間から腕をさし出す。あたりまえだが、鎖が重い音を立てて揺れた。

「幽霊だと思うなら、触れてみればいい。別に呪いはしない」

 開かれた翡翠ひすい色は、彼の腕をまじまじと見つめる。手首の枷に気づいたのだろう、わずかにひるんだような気配があった。それでも娘は、白い手をのばし、そっと腕に触れてくる。ああして剣を振っているからだろうか。まめだらけの、けれど優しい手だった。

「……冷たいですね」

 彼が、伝わる温度に目を細めていたとき、娘はぽつりと呟いた。

「そうか。まあ、この中は冷えるからな」

「なるほど。でも、冷たいですけど、幽霊の冷たさではないですね」

「では俺は、生身の人間ということでよろしいかな」

「そのようで」

 噛み合っているのかいないのか、よくわからない会話。そのあと娘は、ころころ笑う。ふつう、こんな「生身の人間」を目の当たりにしたら引くだろうに。本当に不思議な奴だ。彼は、かび臭い牢のなか、戸惑いに目を細めた。


 娘はフェライと名乗った。彼女の方から名乗ったので、彼もためらいながら、名を言った。

「メルト、ですか。いい名前ですね」

「それはどうも」

 メルトはぶっきらぼうに言い、顔をそむけた。名前を褒められることは数あったが、そのほとんどはお世辞であり、無邪気に言われることの方が少なかったのだ。純粋な賛辞とは、こうもこそばゆいものなのか。メルトは視線をさまよわせる。その間にも、フェライは、顔を突きだしてきた。鉄格子のさびを気にすることもなく。その天真爛漫な様を見ていると、単なる『月の輝きフェライ』よりも『陽気な月シェナイ』あたりの方が似合う気がする。もちろん、メルトは思っても口に出さなかった。

 やわらかい金色の髪は、間近で見ると不思議に光っているようにも思えた。西洋人との混血だろうか、と、メルトは首をかしげた。けれどもすぐに、そんな疑問は放棄する。言葉をかわして間もない女に、尋ねることではないだろう。

「――ところで、メルトはどうしてそんなところに?」

 せっかくメルトが配慮したのに、それをぶち壊すような質問が飛んできた。つかのま顔をひきつらせた青年は、すぐ元の無表情に戻って、唇だけを三日月形にゆがめる。同時に、重い両腕を持ちあげた。

「見てわかるだろう」

「うーん……その手枷だけ見ると、罪人のようにも見えますけど。でも、変ですよね」

 枷と鎖にひるむこともなく、フェライは首を傾ける。落ちついた反応が、メルトにとっては意外だった。

「変、とは?」

 だから、訊いていた。訊かなければよかったと、すぐに後悔した。

「そこは、私が騎士団に入る十年も前に閉鎖された、監獄塔の最下層ですよ。なんで、そんな場所に人がいるんだ、って話になるじゃないですか」


 閉鎖された、監獄塔。その言葉に、メルトは無意識にため息をついていた。ここが監獄なのはまだいい。石壁と、鉄格子に、あるのはかたい寝台と書き物机。そんな風景を最初に見たときから、わかっていたことだった。むしろ人を閉じこめておくにはもったいないくらいの環境だろう。しかし、ここはずいぶん前に閉鎖されたという。つまり、ここにいるのはメルトだけなのだ。すぐ近くにいる金色の娘ですら、鉄格子のむこうに手を伸ばさなければ、届かない。

「……これも、報いか」

 嘲りが浮かぶ。黒ずんだ鉄輪と鎖が、いつも以上に重々しく見えた。ふと、視線を感じて、メルトは顔を上げる。錆びた格子のむこうで、フェライが不安げに目を細めていた。

「どうかしました? あ、気を悪くされたなら、ごめんなさい」

「いや、そうじゃない」

 ぺこりと頭を下げるフェライに、ひらりと手を振ったメルトは、「気にするな」と続けた。



 それからフェライは、剣の鍛錬ついでにメルトのいる監獄塔の前に来るようになった。もともと、剣の鍛錬じたい、人目を忍んでやっていることらしい。「私は『聖女』ですからね。剣を振ってるってばれたら、怒られるんです」肩をすくめた彼女の言葉は、なんとなくしか理解できなかった。とりあえずそれ以降、メルトは退屈しなくなった。

「ここ、イェルセリア新王国は、聖教と国王が同程度の力を持っているともいわれているんです。聖女様は政治に口出しする権利まで、あるとかないとか」

「なるほど。いち宗教団体が、ずいぶん偉くなったものだな。――ところで聖女というのは、おまえのことではないのか?」

「私!? とんでもない、私は騎士団の中でそう呼ばれているだけですよ。

それにしても、メルトって、難しいこと知りたがりますね。そろそろ休憩にしませんか? 今日も甘いお菓子、持ってきたんです」

「……いただこう」

 この娘はなぜか、よく砂糖菓子や焼き菓子を持ってきた。自分で作っているのか、もらっているのか、くすねているのかはわからない。同時にいくつもの情報と刺激をメルトにもたらしてくれる。天真てんしん爛漫らんまんな笑顔の彼女と語らうことは、閉じ込められっぱなしの彼にとって、唯一の楽しみだった。


 けれど、その一か月後。ふいに、フェライが姿を現さなくなった。メルトはまったく動じなかった。愛想を尽かされたのだろう。もしくは、教団関係者にとがめられたか。いずれにせよ、きっともう、彼女がここに来ることはない。そう思うと、さびしくはあったがつらくはなかった。

 冷たい石の中で目を閉じる。いつものように寝台へと身をゆだねたとき、甲高く重い音を立てて、扉が開いた。珍しい出来事に、メルトは上半身を起こす。そして、鉄の扉の先から駆けてきた人物を見て――凍りついた。

「あ、メルト! すみません、今まで来られなくって」

「……なんで、おまえ、そっちから来るんだ」

 間抜けな言葉が、口から滑り出る。フェライは、きょとんと首をかしいだ。けれど、すぐに気を取り直したらしく、衣服やら何やらが詰まった籠を抱え直す。

「実は、監獄塔をのぞきこんでいたことがばれてしまって……謹慎は数日前に解けたんですけど、いきなり新しい仕事を言い渡されて。準備に忙しかったんです」

 フェライは、息をととのえながら言う。メルトは、はっと、息をのんだ。

「新しい仕事、って、まさか」

「はい。なぜか、メルトのお世話係を命じられました」

――巻き込んでしまった。メルトは命令の裏にひそむ思惑を読んで、歯噛みした。

 フェライは心底不思議そうにしている。何も気づいていないのだろう。

「これで、気がねなくお話しできますね!」

 屈託ない言葉に呆然としたメルトは、そのあと思いっきり吹き出した。フェライはますます彼の様子を訝しんだようだったが、すぐ笑顔になる。

「では、改めまして。ウラルハイト神聖騎士団のフェライです。よろしくお願いします」

「ああ、よろしく」

 こうして、いつもと違う一日が始まった。



 他人行儀な態度はもうやめよう、と言い出したのはフェライだ。メルトは、彼女を強く意識せざるを得なかった。『世話係』となってからは、よりいっそう。

 それでも娘はいつまでも、陽気な月のままだった。ときどき会話の内容に事務的なものが混ざることがあるくらいで、鉄格子越しのやり取りとなんら変わらぬ日々が続く。前のように、菓子を持ってくることさえ、あったのだ。

「メルト、これ、どうかな。市場のおばさんに教わったんだけど」

「……砂糖の味しかしなさそうだな」

 顔を合わせて、より近くで笑いあう。二人にとってそれは、まぎれもない幸福だっただろう。自らを異質と認識するメルトですら、ふつうの青年になったような気分だったのだから。

「だあっ、また負けた! なんでそんなに強いの?」

「昔から、この駒遊びは得意でな」

 このまま娘と言葉をかわしながら、穏やかに朽ちてゆくのもいいかもしれない。いつしか、そんなふうに思いはじめていた。

 しかし、それは決して許されないのだ。

 彼が、あるべき滅びから逃れてしまった存在である限り。



 目を開けると、彼は白い空間にいた。

 右も左も、天も白い。地にはなぜか、草原のような青々とした草が生えている。風もないのにそよぐ葉は、かえって現実味が薄かった。

 ああ、またこの場所だ。笑いがこぼれる。

 ただ一つの異物であるメルトは、この白い空間では、いつも椅子に座っている。天のようにまっ白い椅子だ。そして、どことも知れぬ天井から伸びてくる、光の鎖に両腕を縛されている。

 いつものことだ。冷たい自分が、そしてまったく別の誰かがささやく。いつものことだ、おまえはここから逃れられない。逃れるべきではない異質だと。

 腕を流れる見えない力が、鎖を伝って吸い上げられる感覚がある。全身が気だるくなって、手足から力が抜ける。自分の背を椅子の背に預けると、透明な鎖が澄んだ音を立てた。

 無遠慮に奪われる力は、あるいは魂と言い換えてもよいのかもしれない。

 命が削がれてゆく。しかしメルトは、気にしなかった。どうせもう、本来持つべきでないものが混ざった命だ。それをわざわざ取り除いてくれるのなら、文句をいうべきではない。冷えてゆく躰を抱いて、青年はそっと目を閉じた。



「――ト、メルト!」

 ひそめられた呼びかけに答えて体が跳ねた。同時に、急にまわりの空気が重みを増す。夜の暗がりが降りてきて、錆とかびの混じった臭気が立ち込める。メルトがそうっと目を開くと、涙のにじんだ翠の瞳がすぐそばにあった。

「ああ、よかった、気がついた……! このまま目ざめなかったら、どうしようかと……!」

「フェライ」

 翠の持ち主の名を呼ぶと、頭がさえた。メルトは上半身を起こし、かぶりを振る。

「死にはしないさ。死なれたら困るからな。じじいどもも加減しているんだろう」

「そういう問題じゃないわ!」

 自分の声が、熱を帯びてぼやけていることには気づいていた。体の中に、熱と寒気が同居していることにも。フェライも見ていて、メルトの具合がおかしいのには気づいているのだろう。涙目で憤慨し、手にしていた桶に勢いよく布をつっこんだ。

 水音を聞きながら、メルトは格子のむこうを見る。紺碧にいろどられた空の中、まるい月が、さえざえとした銀色の光をまとっている。――静かな夜だと、思った。

「――ところで」

 メルトは、窓の外を見たまま口を開く。水音が、止まった。

「おまえはなぜ、そんなに慌てているんだ。監視役せわがかりのくせに」

「なぜって……」

「こうなったのも、はじめてではないはずだぞ」

 そう、はじめてではないのだ。こうしてメルトが意識を失うことは。フェライが世話係に着任してからも、何度かあった。そのたびに彼女は泣きそうな顔をしたものだが、今日のようにうろたえてはいなかった。

「聞いたのだろう、俺のことを」

 答えはない。しかしそれが、何よりも雄弁な答えだった。

 メルトは己の目を敷布しきふに落とす。自分がどんな顔をしているのか、わからない。そんなことは、とうの昔に考えるのをやめた。

 しばしの沈黙のあと、こつん、とかたい音がする。桶を床に置いたのかもしれない。

「そんなに、詳しくは聞いていないわ。古王国の、人だとしか」

 娘の揺らぐ声を聞き、メルトは思わず笑ってしまった。

「相変わらず、嘘が下手だな」

 本当は、すべて聞いたはずだ。現在の教団が知りうるすべてを。

 新王国の前身、五百年近く前に存在したイェルセリア古王国で、彼がどんな立場にあったのかも。どうして今、生きているのかも。

「知っているのならば、情を傾けない方がいい。俺はいわば、亡霊だ。この時代にいるべきではない人間だ」

 心が冷える。石の監獄など、生ぬるいとさえ思えた。背後で響いた息をのむ音に、メルトの心は揺さぶられる。けれど、だめだ。今ここで彼女に寄りそえば――もう、耐えられなくなる。

「わかったら出ていけ」

 だからこそ、突き放すしかなかった。

 それきりメルトはフェライから背を向けて、じっと窓の外を見続けた。さしのべられた手を拒んで。相手が怒って去るのを待った。

 しかし、彼の背中を覆ったのは、冷えた空気ではなくやわらかなぬくもりだった。


「だめよ」


 間近で響いた声に、心臓をつかまれた気がした。メルトは顔をこわばらせたまま、振り返る。優しい腕は、ほどけない。フェライが涙のにじんだ目をそのままに、メルトに顔を預けていた。自分よりも大きな男を抱きしめた娘は、彼と目が合うと首を振る。

「だめ、メルト。そんなふうに一人になろうとしないで。……だって、こんなのおかしいわ。狂ってる。ご先祖様の命を守ってくれた人を、こんなふうに扱うなんて、どうかしている」

「それは」

「それに、私は、傷つくのを見たくない」

 翡翠色は、夜の中にあるにはまぶしすぎる。純粋な光に負けそうになって、メルトはきつく目を閉じた。

「ねえ。メルト――メルト・シャーヒ・イェルセリア殿下。私にもその重荷を分けて。ここにいるならそばにいるし、どこかへ行くなら私もついていく」

 自分でも忘れかけていた名を呼ばれ、メルトは息が止まりそうな思いを味わった。思わず、体に回された細い腕に触れる。

 彼女は変わらない。いつまでも明るく優しい月光フェライのままだ。暗がりに落ちた自分に、いつもあかりを見せてくれる。それが、たまらなくつらくていとおしい。

「それでいいのか」

「もちろん」

「――おまえは、馬鹿だ」

「よく言われます」

「俺とともにい続ければ、おまえも戻れなくなる。人ではない何かになってしまう」

「それでもいいわ。私は、私のままだもの」

 二人の声は闇に消え、石室には静寂が満ちる。フェライは目を閉じ、メルトは深く顔を伏せた。

 温かな雫が青年の頬を伝い、娘の腕に落ちてゆく。月の輝きの名をもつ娘は、それすらも、静かに受け入れた。

「……もう少し、よく考えろ。俺も……考える」

「わかりました。準備は、しておくから」

 逃げだすことを前提にはりきるフェライに、メルトは「考えろと言っただろう」と笑い含みの声を投げる。二人のささやかな笑い声を、白銀の月だけが聞いていた。



――この半月後、教団本部から、神聖騎士の娘と秘された青年が姿を消す。

 彼らが、もといた場所へ姿を現すことは、ついぞなかった。

 ただ、彼らの残す見えない足跡は、のちも大陸に刻まれることとなる。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援した人

応援すると応援コメントも書けます

無名の旅――はじまりの断片 しちみ @7310-428

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ

作者

しちみ @7310-428

生まれも育ちも神話の国。文も絵もかくファンタジー物書きです。でも、デザインセンスは微妙。誰かキャラクターデザイン手伝って。 作品を他者に見せた経験が少ないため、反応があっただけで涙流して狂喜乱舞しま…もっと見る

近況ノート

もっと見る

ビューワー設定

文字サイズ

背景色

フォント

機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。

一部のAndroid端末では
フォント設定が反映されません。

応援の気持ちを届けよう

カクヨムに登録すると作者に思いを届けられます。ぜひ応援してください。

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、気になる小説の更新を逃さずチェック!

アカウントをお持ちの方はログイン

フォロー機能を活用しよう

カクヨムに登録して、お気に入り作者の活動を追いかけよう!