第30日「せんぱいは、雨、好きですか?」

 # # #


「おはようございます。雨ですね」


「ああ、雨だな」


 濡れた傘を振って水滴を落としながら、後輩ちゃんは言った。


「でも今日はどっちでもよくないか」


「わたし体育あるんですよ。狭いの嫌です」


 なるほど。

 晴れならばグラウンドも使えるが、雨なら、同じ時間に体育をする全部のクラスで体育館を分け合わなければならない。自然と、動ける量も少なくなるんだろう。

 俺的には、広けりゃ広いで、試合とかをやるならたくさんできて嬉しいこともあるし、狭けりゃ狭いで体力をあまり使わなくていい分それも嬉しいんだけど。


「まあ降っちゃったものは仕方ない」


「ですね」


 アナウンスが流れて、ホームに電車がやってきた。


 # # #


 電車の中。いつもの場所で窓の方を向きました。

 外側には雨粒が次々と落ちてきて、窓の内側は温度の差で結露しています。指先で窓をこすると、透明になった窓には、後ろにいるせんぱいが映りました。


「『今日の一問』です。せんぱいは、雨は好きですか?」


「雨かあ」


 せんぱいも、ちらっと窓の外を見たようです。


「雨自体は嫌いじゃないかも。どちらかというと、寒い方が嫌いだ」


「今日、めっちゃ寒いですよね」


 上着を羽織ってこようかと、本気で検討しました。外を出歩く予定はあまりなかったので、やめましたが。


「寒いとな、布団から這い出すのが大変でな」


 まったく、この人は。


「せんぱい、ほんとに寝るのが好きですね」


「寝るのが嫌いな人類なんていないだろ」


「不眠症の人とか」


「あれはどちらかというと『寝たくても寝れない』じゃないの? なったことないから知らんけど」


「わたしもわかりませんよ」


 冬とか、足先が冷えて、ちょっと眠れないことはありますけど。


「それで、後輩ちゃんは? 雨好き? 『今日の一問』で」


 せんぱいに聞いておいて、自分の答えを考えていませんでした。

 雨、雨……

 いつだったかに聞いた、こんな言葉を思い出しました。


「雨は、いつか止むさ……」


 髪をかき上げて、やや低い声を出します。


「それお船のゲーム」


 そうだったんですね。


「んー、わかんないです」


「は?」


「いや、確かに、体育とかで場所がせまくなるのはいやですけど、別にきらいじゃないっていうか」


 あれ。わたし、せんぱいみたいなこと言ってるかもしれません。


「雨は雨でだいじ、というか、ちょっといい雰囲気、とか」


「わからん」


「とにかく。雨のそれ自体は、きらいじゃないです」


「俺といっしょの答えじゃねーか。パクるな」


 パクってないです。

 気付いたら、いっしょのこたえになっちゃっただけです。


 # # #


「ところで、せんぱい。飴いります?」


「飴は嫌いだ」


 あめ違いじゃねーか。


 ここで、自然に、会話が途切れた。別に無理に話すことなんてないのだ。俺は、かばんから、昨日届いた新刊を取り出す。


 取り出して、思い出した。


 そういえば、俺は、雨が嫌いだった。こんな理由、ひと月前の俺だったら、いの一番に挙げていただろうに。本を取り出すまで、とんと気が付かなかった。

 あれか。後輩ちゃんの影響が、こんなところにまで出てきているとでも言うのか。


「思い出したわ」


 切れた会話を、俺の方から呼び戻すことは、ほとんどない。

 スマホをいじり始めていた後輩ちゃんがぴくっとして、驚きの表情でこちらを見つめる。そんなにまっすぐに見つめられると照れるんだけど。


「雨、嫌いだった」


「はあ。さっき嫌いじゃないって」


「あれは嘘だ」


「契約違反ですね」


「あの答えの瞬間にはあれが真実だった。というか、本のことが頭から飛んでた」


 当に不意なことに、のことが、頭からきれいさっぱり飛んでいた。

 こいつと話している間、雨粒に、水濡れに弱い、紙の書籍のことを、すっかり忘れていた。


「本? 関係あるんですか?」


「大ありだよ。本をホームで読むじゃん? 電車に乗るじゃん?」


 後輩ちゃんは、よくわからない、という顔をしている。


「で、小さな駅だとホームの屋根がぎりぎりまでしか無くて、ちょっと当たるじゃん」


「雨がですか?」


「そう、雨が」


「それくらいふつうなんじゃ」


「本には当てたくなくない?」


 彼女が、ぱちぱちとまばたきをする。まつ毛が上下を往復する。


「えっ。あの。待ってください。一瞬ですよね? ほんの数滴ですよね?」


「まあ」


「すぐ乾きませんか? 電車の中、あったかいですし」


 んんん……


「そういう問題じゃないんだよ……そこじゃない……」


「せんぱいが本をたいへんだいじにしていることはわかりました」


 不承不承のようすで、後輩ちゃんが言う。


「第一、濡らしたくないなら、かばんの中にでも入れればいいじゃないですか」


「いいところで閉じたくないとかあるじゃん!」


「めんどくさい人ですね。もう読まなきゃいいんじゃ」


「電車の中は本読むって決めてるんだもん」


「今は? 電車の中ですよ」


 後輩ちゃんが、にやりとした。


「俺の登校時間の安寧を消し去ったのは誰だと思ってる」


 おかげで、読書量が最近減ってるんだよ。


「誰ですか?」


「お前だよ!」


「わかってますよ。でも、今はせんぱいから声をかけてきたと思うんですけど」


 後輩ちゃんは、手に持ったスマホをひらひらと振って、わたしはこれを見てましたとアピールする。

 あ。まずい。


せんぱいが・・・・・、わたしとおはなししたかったんですよね?」


 絶妙に嫌な言い回しを。逃げられないじゃないか。


「間違いじゃ、ないけどさぁ」


「ですよね?」


「……はい」


 また、負けた。

 しかも、口論をしているうちに、駅に電車が着いてしまった。俺の読書時間が……


 最悪だ。まったく。

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