4.ザシキワラシ 探偵篇



「え。ちょ、ちょっと待ってくださいよ。いったい何の話ですか」


 急速な展開に僕は困惑する。

 何故暮樫くれがし家や叔父のことが出てくるのか。

 叔父が僕を寄こしたとはどういうことか。

 それでは――あらかじめ怪異が起こることを予見していたみたいではないか。


「旅館を救うとか、僕に言われても分かりませんよ」

「それはまた、御謙遜を」


 苗内なわないさんは愛想笑いを交えつつ、伏した姿勢から起き上がる。


「いえ、謙遜とかではなく」

「先の私の話もすべて承知のうえで、敢えて一般人の私に話を合わせてくださっていたのですよね」

「あの」

「分かりますよ。亡是ぼうぜさんもおっしゃっておりました。祟りだ呪いだという非現実的な物事と渡り合う仕事は、世間の無理解も多いと。さぞかしご苦労されておられるのでしょう」

「いえですから」

「あらゆる怪異を司るという暮樫一族――評判はつねづね耳にしております。むろん、万象を見通すその力のことも。私も社長も、亡是さんには大変お世話になっておりまして……」


 苗内さんは叔父と交流があるらしい。会話に叔父の名前が出た途端、話題の主軸が僕のほうへと強引に引き寄せられてしまった。

 過去に何があったというのか。



                  *



「暮樫家のあなたの力をお借りできれば、この旅館に起こっている問題も、ううっ、ついに、きっと、きっと……」


 苗内さんが嗚咽を漏らす。

 根本的な部分で誤解があるようだ。


「ええ、こちらの暮樫さんは凄いのですよ。怪異関係の事件は暮樫さんにお任せすれば、ええ、まず間違いありません。私が保証しましょう!」


 針見はりみ先輩が横から煽り立てる。

 本当にどうしてそういう話になるのだろうか。

 妹ならともかく、僕にそのような評判は当てはまらない。

 怪異と対峙し、ときに退治するのは暮樫家の生業らしい。

 が、こと当代について言えば、それは僕の妹の専売特許であり、僕に怪異の闇を照射する力など微塵もないのである。



                  *



 妹――。

 そうだ、妹だ。

 この旅館で何が起こっているのかは知らない。

 怪異な事件を解決することも僕に為し得るとは思えない。

 僕はいなくなった妹を見つけなければならない。


 常日頃より僕を怪異から守ると公言して憚らない彼女のことである。凡百の化け物や心霊現象は物ともしないだろう。――がしかし、集団消失規模の事件が絡んでくるとなれば話は別だ。

 僕たちはあくまで家族旅行に来ているのである。家族水入らずの時間を最大限確保するためにも、そして愛する妹の安否を確かめるためにも、何とか夕飯までには妹を見つけ出したい。



                  *



「ええと、お話は分かりました」

「おおっ。分かっていただけますか!」

「はい……ので、僕は僕で妹を探しに――」


 と、僕は腰を浮かしかけたが、


「さすがは暮樫家の方でございます。話が早い」

「――……ええまあ。今回だけのことでもないですしね」


 そう、今回だけのことではない。妹が謎めいた失踪を遂げるのは、今までにもたびたび遭遇してきたことであった。それでも最終的には毎度何処からか無事に現れるのが我が妹ではあるのだが……。

 けれども、今回も等しく無事とは限らない。

 一刻も早くその消息を明瞭とさせる必要がある。


「……そうですか。言わずとも事の経緯はお見通しということですな」

「え」


 しかし僕が定見を示す暇もなく、苗内さんが何か語り始めてしまう。

 せめて話を噛み合わせていただきたい。


「如何にも。このようなことは、何も今日に始まった話ではございません――」

「いえ、僕は妹を……」

「――


 そして新たに明かされる衝撃の事実。

 噛み合わない。



                  *



「繰り返されている――……それは要するに、ええ、どういうことでしょうか?」


 率先して話を掘り下げようとするのは、僕ではなく針見先輩である。

 その姿勢は前のめり気味だった。

 僕のほうは、こうして話しているあいだにも妹が帰ってくるのではと想像すると気もそぞろになり、つい廊下の奥やロビーの隅などに目を遣ってしまう。妹もそろそろお腹を空かせている頃合いかもしれない。


「はい。今でこそ集客に困ることだけはなくなった当旅館でございますが……実のところを申しますと、ほんの半年ほど前まで、こんなことはありませんでした」


 苗内支配人も当然のように語り出す。

 、と支配人氏は言う。

 しかし実のところも何も、この旅館が現在は集客に困っていないという話が僕にはまず共有し難い。客が集団消失するというからには消失するだけの客がいたという前提が必要だと思うが、肝心の集団の客の姿というのを一目として、僕は見ていない。

 言説が現実を表していないのではないか。


「はい。切っ掛けは……ザシキワラシでした」

「ザシキワラシ?」


 ザシキワラシ。東北地方で云うところの子供の妖怪である。ザシキワラシがいる家は栄え、ザシキワラシが出て行ってしまった家は没落する――そのように伝わる。


「はい。当旅館がザシキワラシをアピールポイントとしていることは、既にご存知かと思いますが……」

「…………ああ。ありましたね。女の子の人形が」


 確か客室の机の上にも赤い着物のキャラクター人形があった。デフォルメされた丸っこいデザインは目立って印象深いものではなかったが、この旅館で見たザシキワラシらしき存在というと他に思い当たらない。あの人形のことで間違いないだろう。


「あれは、ザシキワラシをキャラクター化したものなのです」

「ええ、とても可愛いですよね。幸福を呼ぶザシキワラシの〝ワラシコちゃん〟。私もええ、一目見て気に入りました」


 そんな名前だったのか。針見先輩はにこやかに言うが、言うほど可愛らしいものだったとも僕には思えない。〝ワラシコちゃん〟なるネーミングにも絶妙なずれを感じる。


「ありがとうございます。幸福を呼ぶザシキワラシは現在のあかやしお荘のメインテーマのひとつでございまして……」

「ということは――あるのですか、ザシキワラシの伝承が」


 僕は少し興趣を惹かれた。

 山奥の鄙びた温泉旅館。秘かに伝わるザシキワラシの伝説。そこで繰り返される謎の大量消失事件……。要素だけ並べると、一気にJホラーめいてくる。

 常套に則れば、そのザシキワラシ伝説に隠された因縁が旅館に災いをもたらしている――というような筋書きとなろうか。



                  *



「はい。あると言えばある、と申しましょうか」


 苗内さんは再び汗を拭う。


「ほう。それはどんな伝承なのですか?」

「いえ、ないと言えばないのですが……」


 どっちだ。


「この旅館は古くから皆様に愛されて参りました。しかしそれもただ古いだけで、伝説や曰くなどといったものとは、およそ無縁だったのです」

「……? では、どうしてザシキワラシをアピールポイントに……?」

「それは……一言で申し上げますと、からです」

「それっぽいから」

「あかやしお荘のような和風の旅館には、旧家に宿る妖怪というザシキワラシのイメージは相応しいと考えたのです。

「雰囲気的に」


 話の方向性があやしくなってきた。



                  *



「当旅館は、長く常連のお客様を主要な客層として営業を続けて参りました。しかし、それで経営が思わしくなかったのもまた事実で……見ての通りの田舎の旅館です。客足は年々遠のき、業績は厳しくなるばかり……」


 現社長は明治の創業から数えて五代目になるという。伝統あるあかやしお荘を如何に継続していくか。みな、困窮する旅館の現状を苦々しく感じていた。

 勿論、その問題意識は支配人である苗内さんも共有するところであった。

 このままではいけない――。

 そう思いつつも、往年の客からは今まで通りの『あかやしお荘』であってほしいという要望も根強い。行き詰まる経営状況に、あかやしお荘は揺れていた。


「そんなときです――がこの旅館に現れたのは」

「あの方?」

「はい。慎重になるべきだという社長の意を押し切り、あの方にすべてを任せたのは私だったのです。ああっ、何ということか……!」


 苗内さんは頭髪を掻きむしった。整ったオールバックが乱れる。

 必死に頭を抱えるその体勢は、見えない幻影に恐怖しているかのようだった。


「え、ちょっと何です。あの方というのは……」

「ああ……、申し訳ございません。あのとき私たちは経営的に逼迫し、お客を多く呼びたいと思うがあまり……本当の怪異を呼び寄せてしまったのです――」



                  *



 半年と少し前のことだそうだ――。

 旅館『あかやしお荘』に、ある男が経営改善の話を持ちかけてきた。

 男は自分を、観光コンサルタントと自称した。


『この旅館に幸福を授けて御覧に入れましょう』


 物腰の柔らかい、若い男だったという。最初こそ疑わしい目が向けられたものの、根気強く改革プランを語る男の誠意を前に、次第に旅館側も説得されていった。


「よくよく考えれば、あんな話は断るべきでした」


 交渉の末、男の熱意に折れた旅館側は男が持ちかけた改革案を受け入れた。


『これだけ古い物件であるのに、伝説も伝承もない。謂れや由緒が殆どない。ある意味、素晴らしいポテンシャルを秘めたコンテンツですよ、これは』


『ではこうしましょう。



『そうですね……では、ザシキワラシなど如何でしょう?』


『ザシキワラシ、ご存知ですよね』


『そうです、憑いた家に富と繁栄をもたらすという精霊です』


『こちらのような古くて歴史ある旅館には、ザシキワラシのひとつやふたつ、いたとしても何らおかしくはない』


『幸いなことに、ザシキワラシと旅館という組み合わせには、世間的には既に一定のポジティブな文脈が形成されています』


『その文脈に乗るのです』


『事実、この旅館にはそういう雰囲気がある』


『ザシキワラシの謂れがあるという体で宣伝すれば、集客も充分に見込めますよ』


『それでも、ただ文脈に便乗するだけでは決定打に欠けますが……そうですね』


 男は一個の小箱を取り出して見せた。

 その小箱には、ザシキワラシが宿るのだと男は告げた。


『幸福を呼ぶザシキワラシ。このはこには、その力がある』


『それはもう霊験あらたかな品でしてね。必ずや商売繫盛を約束しますよ』



                  *



 男の提案に従い、経営改革は着々と進行した。

 ザシキワラシが幸福を呼ぶ。設定に沿った宿泊プランが用意され、簡易な改装も施した。料理のメニューを一新し、それらしいマスコットキャラクターも作った。


 男は旅館を連日訪問し、身を粉にしてプランニングに取り組んでいた。

 最終的に男は泊まり込みで仕事を進めるまでに至った。男は旅館の奥座敷を仕事場として借り、昼夜問わず、従業員たちと一体となって事業に注力した。

 その間、二か月足らず。

 すべてが順調であるかに見えた。

 しかしある日――、男が消えた。


「消えた?」

「はい。それは煙のように、ぱたと」

「ええと……どういうことです」

「それは――私も、何が起きたのか未だに分からないのですが――」


 最初に気づいたのは若い従業員であったという。奥座敷に泊まっていた男が、昼前になっても現れない。前日まで熱心に計画の指揮を執っていた姿があっただけに、みな不思議に思った。男が部屋の中で何をしているのか、旅館の人びとは知らなかった。持ち込んだ仕事があるからと、男は他の人間が部屋に入ることを断っていた。

 よもや部屋で体調を崩しているのかもしない、あるいは過労で倒れているのでは。

 心配した従業員のひとりが直接確認に向かったところ――――、

 座敷に、男の存在は跡形もなくなっていた。



                  *



「それは……夜のうちにこっそり出ていってしまったとかでは?」

「お泊りになっていたのは、旅館の最も奥にある座敷です。ご存知かと思いますが、この旅館は少々入り組んだ造りになっておりまして。あの部屋から旅館の誰にも気づかれずに外へ出ることは……考えづらいかと」

「ううん……では、その部屋に抜け道があったとかは……」

「それもございません。なにぶん古い旅館です。代々増改築を繰り返しておりますが、中でもあの奥座敷は建築当初から残る部屋です。今更、従業員も知らぬ抜け道など……」


 苗内さんの顔つきは、嘘を言っているようには見えない。

 結局、男はそれきり見つからなかったという。



                  *



「その翌日からです。急にお客様が増えたのは」


 コンサルタントの男の計画の通り、宿泊客は目に見えて増加した。客が押し寄せ、部屋は満室が続いた。問い合わせの電話が引っ切りなしに鳴り、予約メールが絶えなかった。まさしく千客万来、門前成市。あかやしお荘は開業以来の活況を見せた。

 

 しかし――、異変は程なく明るみとなる。

 あるとき、客がいなくなったのだ。


 それは客の予約が途絶えたという意味ではない。

 宿

 白昼の旅館で起こった変事。従業員たちは騒然とした。というのも、旅館からは、客の姿も、その荷物も、宿泊記録も、およそ宿泊客がいたことを示すあらゆる痕跡が、一瞬にしてなくなっていたのである。



                  *



「そのことは、警察には……」

「むろんすぐに連絡しました。しかし警察が来たころにはもう、お客様が宿泊されていた証拠は……従業員の記憶以外に残っていなかったのです」


 旅館側は事件発生の直後にこそ、消失について特定の犯人がいる線も考慮した。しかし、それが超常にしか為せぬ現象と悟るのに然程の時間は要さなかった。


「気味悪がって、従業員の何人かは辞めてしまいました。若い働き手はいなくなり、今も残っているのは勤務して数十年になる古参の方々ばかりです」


 しかしそのような異常事態を経ても、旅館の活況が衰亡することはなかった。

 訪れたお客が泊まった端から消えていく――。

 そんなことが常態化すれば、悪評が広まり、客足は遠のきそうなものだった。にもかかわらず、その後も宿泊の予約は後を絶たない。


「私は不気味で仕方がないのです」


 吐息を零すように言う苗内さんの相貌は、酷く疲弊して見えた。



                  *



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