怪奇!非推理サスペンス!! あやかし旅館異人殺し伝説観光化計画無人事件

1.ザシキワラシ 旅情篇



すなわち、この託宣を〝真実〟と村びとが信じた、村びとの意識のなかに、〝歴史的事実〟としての「異人殺害事件」がといえるであろう。私たち研究者には、「異人殺し」は、つまりシャーマンの語りによって発生したのであって、発生したものではないのだ。

                (小松和彦『異人論 民俗社会の心性』より)




                  *



「……こ……とり――……、言鳥ことり……」

「ん……」


 兄が呼ぶ声に、私は目を覚ました。

 山間部を走るローカル線。二両編成車両のボックスシートで、私と兄は向かい合って座っていた。


「言鳥、もうじき到着だよ」

「うん……」


 僅かに開いた窓から風が吹き込む。車窓を流れる山々の稜線は果てしなく、新緑の山野と田園風景が交互に現れては消えていく。

 車内に乗客はまばらだった。都会の喧騒は遠くなって久しく、時折鳴らされる警笛と一定間隔で続く車輪の音ばかりが旅路を賑やかした。

 五月初旬。

 大型連休某日の昼前のことだった。


「よく寝ていたね」


 目を擦る私に、兄は柔らかに微笑みかけた。


「……なに」


 その視線に含みを感じて私は睨み返すが、


「ん。いや、眠っている妹の顔も可愛いなあと思ってね」

「なっ……」


 そういうことを恥ずかしげもなく言ってのける。

 その癖、今日のためにとおろした春物のブラウスにも、普段は着ないチェック柄のハイウエストスカートにも、今朝整えたばかりの前髪にも、今に至るまで一言として言及がない。何かしら感情の重要な部分が欠落しているのではないだろうか。

 押し黙る私を、何が嬉しいのか兄はにこにこと見つめている。

 それ以上兄の顔を直視し続けることができず、私は目を逸らした。



                  *





 私たち兄妹が休日に揃って列車に肩を並べているのには理由がある。

 数日前の話だ。

 四月。学校中を混乱の渦に陥れた〝学校の怪談〟騒動。その騒動が一通り収束し、私が高校生活にも順応してきた頃合いだった。

 叔父が温泉旅行を提案してきたのだ。

 怪談騒動の慰労も兼ねた家族旅行だと叔父は説明した。


 ――叔父が提案する旅行など、どうせ碌なものではない。


 私は不参加を決め込むつもりだった。

 誰に何と言われようと、安易な誘いには乗らない。

 進んで我が身を危機に晒すなど愚の骨頂。

 故に「旅館の部屋はもう予約済みだからね」という叔父の先回りも、私にとっては想定の範囲内であった。

 叔父の事情なぞ知ったことではない。

 旅行なりなんなり、私のいないところで好きにすればよいと思った。

 が、話題を切り上げようとした私に重ねて叔父は言った。


「あと、私は今回行かないから、


 斯くして、叔父の甘言に私は敢え無く篭絡されたのだった。

 我が事ながらどうかしている。



                  *



 私たちの住む市から鉄道で一時間半、途中で私鉄に乗り換えて更に一時間。山あいの無人駅で、私たちは下車した。

 ホームに私たち以外の乗降客はなかった。

 駅を出れば、正面に山。振り返っても、また山。山に閉ざされた土地だ。

 山裾に霧がかかっている。

 空が遠い。

 見上げると、山林が鬱蒼と視野を狭める。駅周辺に人の往来はなかった。雑木林に交じって廃屋や物置小屋が幾つか見えるが、人家らしいものの存在は窺えない。樹木に埋もれた景観は暮樫くれがしの実家を思い起こさせた。

 山は嫌いだ。

 じっと眺めていると気分が憂鬱になる。

 山壁を覆う木々の重なりに目を奪われているうちに、瞬間、頭の奥の痛痒が掻き立つような奇妙な感覚に襲われる。畏怖とも恐怖ともつかない、記憶の深部で得体の知れない何ものかが蠢動しているようで、にわかに自身の意識が混濁しかけるが――、


「さあ行こうか、言鳥」


 兄の呼びかけで、つと気を持ち直す。


 ――うん、大丈夫。大丈夫だ。


 曰く、旅館まではここからもう一時間程度歩くのだという。何の厭がらせか。もっとも、今回の旅行プランを立案したのは叔父であるから、邪推ではなく本当に厭がらせである可能性が捨て切れない。憂鬱になる。

 私が尻込みしていると、兄が怪訝な顔をして荷物が重いなら持とうかと訊く。そういう問題ではない。荷が軽くなるからと言って、気分まで軽くなる道理わけではないのだ。まだ何か言いたげな兄を無視し、未舗装の田舎道へと私は足を向けた。



                  *



 目的の旅館にたどり着くころには正午を大きく回っていた。

 緩い勾配の山の中腹。進むにつれ、薄暗い山道は鮮やかな躑躅つつじの林に変わる。やがて視界が開けたかと思うと突如、眼前に古風な木造建築が現れる。そこには、奥行きのある四階建てが花樹林に隠されるようにして建っていた。


「なかなか素敵なところじゃないか」


 旅館入口正面の破風を見上げて、兄が言う。

 黒々とした瓦屋根の風格ある構え。石畳の先では連子格子れんじこうしと紋入りの提灯が出迎えている。川が近いのか、微かに水の流れる音が聞こえる。靄が立ち込めていて、木立ちの遠くまでは見通せない。ただ無数の躑躅が乱れ咲き、辺りを薄紅色に染めているさまに幻惑される。

 さながら精巧な箱庭の世界に迷い込んだかのようだった。


「こんな山の中に、こんないい感じの旅館があるなんて。ねえ、言鳥」

「え。あ、うん」


 私も些か驚いた。てっきり簡素な民宿のようなものを想像していたのに。

 玄関口の古びた格子戸の上には木目の看板が掲げられており、そこには、


『旅館 あかやしお荘』


 筆文字でそう記されていた。


 ――何となく、厭な名前だ。


 一転、私は顔をしかめたが、兄は然して気にも留めず戸を開く。

 仕方なく、私も兄の後に続いた。



                  *



 旅館の中は存外に多くの宿泊客で賑わっていた。温泉宿というので年配の客ばかりかと思えばそうではなく、子連れの夫婦や若い一人客の姿もある。中庭に面した窓際では若いカップルが談笑しており、その横を浴衣の子供がとたとたと駆けていく。

 ロビー脇には、この旅館のマスコットキャラクターなのか、デフォルメされた市松人形に似た赤い着物の女の子の人形と、それを描いた絵看板が飾られている。看板には幸福を呼ぶ云々といったキャッチコピーらしい文言が添えられていた。

 一見して、和やかな雰囲気が場に満ちていた。


 ……しかし、胸につかえるこの違和感は何だろうか。


 車道も通じていないような、人里離れた山奥にある旅館だ。連休のただ中とは言え、お世辞にも交通の便がよいとは評し難い。事実、駅から旅館までの道程では、観光客どころか地元の人間すら見かけなかったのだ。

 にもかかわらず、旅館は盛況を呈している。どういうことか。

 加えて、何処からともなく感じる怪異の気配――。

 山中で怪異に遭うこと自体はめずらしくない。

 しかし旅館に到着してからずっと、誰かに見られているような悪寒が消えない。気配の大元が感じ取れないのも不可解だ。


 ――やはり、何かが不自然だ。


 そんなことを漠然と考えていると、兄が帳場で手続きを済ませて戻ってくる。


「僕たちの部屋は上の階だってさ……言鳥? どうしたんだい?」

「……別に何でもないし」


 どうも今日はぼうっとしがちだ。



                  *



 通されたのは最上階の角部屋だった。広縁ひろえん付きの十五畳ほどの和室。黒塗りの座卓の上には、下の階でも見かけた赤い着物のキャラクター人形が控えめに置かれていた。二人で泊まる空間としては、やや広すぎるようにも思うが……旅行の経験が乏しいために、ものの程度はよく分からない。

 そして今回、私たちは家族旅行としてここに来ている。当然、止宿する部屋はひと部屋――ひと部屋なのだ。それはつまり、宿泊中は兄と同じ部屋、同じ空間で昼夜を過ごすことを意味する、のだが……。


「いい部屋だね。広くて静かで、遠くの山までよく見える」


 荷物を下ろして兄が言う。

 否、家族であるのだから何もおかしいことはない。そう、何もおかしいことはないのだ。幼い時分は兄妹で布団をともにしたこともあった。それを思えば、部屋が同じであることくらいなんてことはない。ただ普段のように、平然としていれば――、


「でも、言鳥と同じ部屋で寝るなんて随分久しぶりだねぇ。小学校の低学年以来じゃないかな」

「ひゃんっ!?」

「……言鳥?」


 思考を読まれた気がして、思わず変な声が出てしまった。

 否、察しの悪い兄が、私が何を考えているかなど解するはずがない。解されて堪るものか。鈍感な兄のことだ。いつものように、単に考えなしに発言しただけのことだろう。私もいつも通りにしていればよいのだ。

 何もおかしなことはない。



                  *






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