屍霊 後篇



「はい……、確かに兄さんには死霊の群衆は見えていなかったのだと思います」

「ああ」

「ですけど、いくら兄さんが鈍感と言っても――、ほんの直前まで人で埋め尽くされていたショッピングモールが急に無人になっていたら……、さすがに何かおかしいと思ってもいいのじゃないかって」

「それは……そうだな」


 暮樫くれがし或人あるとは怪異がまったく見えないし聞こえない。

 しかしそれはあくまで怪異に限定したことであって、周囲の異変に何も気づかないというのではない。

 怪異以外の状況変化は普通に見えるのである。そこに体質や能力は関係ない。


 …………いや、そうでもないな。

 何が起こっていてもだいたい気づかないよな、あの男は……。

 あの度を越した鈍感っぷりには、俺も毎回苦労させられてきた。



                  *



 だがまあ――それを勘案しても、だ。


 休日の混雑したショッピングモールから一瞬で人間がいなくなっているのを目の当たりにして――怪異が視えない或人からすれば凝集する死霊の群れもまた視えないのであるから尚のことひと気のなさが際立つことだろう――、その閑散とした空間に少しも違和感を覚えないということは……ちょっと考えづらいのではないか。

 或人だってそれくらいの常識は持ち合わせているはずだ(たぶん)。


「それで思ったんです。私には死霊が群れているようにしか見えないけど、――と」



                  *



 結論から言えば、言鳥ことりちゃんの推測は当たっていたらしい。

 試しに死霊の何体かを取り押さえて検めてみたところ、表面は強い瘴気のようなオーラに覆われていた。

 が、その瘴気を取り除いてしまえば、。中の人たちはみな苦悶の声を発してはいたものの、目立った外傷等は見当たらなかったという。さしずめ着ぐるみ状のゾンビもどきと言ったところか。


 つまりですね――と、言い置いて言鳥ちゃんは続ける。


「ショッピングモール全体が突然異界へと変化しただとか、死霊の群れがショッピングモールを襲って人々をどこかへ追いやっていたのではなかったんです。それまでそこにいたお客さんたちが一斉にとり憑かれて、表面的に死霊のように見えていただけだったのですよ」


 言鳥ちゃんはあらゆる怪異を知覚することができる。

 しかしその強力すぎる能力ゆえの弊害もあった。


 普段から怪異をあまりに見慣れすぎているのだ。


 言鳥ちゃんは怪異の察知には敏感だし、たいていの怪異には対処もできる……が、幽霊や妖怪と普通の人間とを見分けることには、まだ不慣れな部分が残ることもあるのだという。


 オリジナルの怪異と、怪異にとり憑かれた人間。

 その日のショッピングモールで、彼女は両者の見分けがつかなかった。

 或人の反応を見るまで、生者と死者の違いに思い当たらなかった。



                  *



「私が、私が兄さんを守らなきゃって、そう決めたのに……」

「言鳥ちゃん……」


 歯がゆそうに顔を曇らせる言鳥ちゃんに、俺は何も言うことができなかった。

 咄嗟に怪異の正体に気づけなかったことを、彼女は悔いているようだった。

 それほどまでに、そのときの彼女は動揺していた……ということか。


 これは俺の想像だが……、

 兄妹水入らずの休日を邪魔され、彼女も必要以上に気が立っていた――というのも判断が遅れた一因としてあったのではないだろうか。クールそうに見えて兄のこととなると冷静さを失いがちだからなあ、この怪異系妹は。



                  *



「それで――兄さんに訊いてみたんですよ」

「或人に?」

「はい。このショッピングモールの近辺に大量の死霊――大勢の人が死んだとか何か強い怨念があるような怪異の話は残っていないのか、って」


 なるほど。地元の怪異話全般の情報を尋ねるのに、俺たちの身近で或人ほど適任の人物もそういない。


「それで、或人はなんだって?」

「嬉々として話してくれましたよ……、周辺地域の民話や史跡の話について」


 言鳥ちゃんはややうんざりとして呟く。



                  *



 或人によれば、そこの土地にはかつて古いがあったのだという。それが近年の再開発にともない、その塚を潰して建設されたのが――あのショッピングモールであるということだった。


 ――なんでも、古戦場跡だったって話もあるんだよね。塚はその跡地のほぼ真ん中に建てられていたらしいよ。地方の伝説としてはよくある話だね。


 ――でも……、合戦場となる以前から塚はそこにあったいう伝承もあってさ。


 ――その塚が、いつかの昔の合戦で死んだ者たちを弔っていたのか、はたまたもっと古い別の〝何か〟を鎮めるものだったのか……、その辺の関連性は、どうもよく分かっていないみたいだけど。


 そのように、或人は説明したという。



                  *



「そこからはまあ、早かったです」


 原因が分かれば対処もできる。

 実動的な怪異退治は暮樫言鳥の十八番である。


 或人の話から考えるに、死霊は個々人の霊というよりその土地全体に由来する怪異。それは死霊がゾンビのごとく一体ずつ現れたのではなく、泉のように湧き上がった怨念がベール状に人々に覆いかぶさっていると見たほうが適切であるということを意味する――と、言鳥ちゃんは努めて淡白に解説した。


 怨念の流れを直感で手繰ることで、怪異の泉源はすぐに発見できたらしい。


 そして死霊発生の根幹となっていた部分――元々の塚が建っていたと思しきポイントへ(ちなみにそのモールの地下駐車場の一角だったそうだ)、勘が示すまま足の赴くままに一直線でたどり着く。


 あとは言鳥ちゃんが持つなんかよく分からん暮樫流スーパーミラクルゴーストバスター的パワーを籠めた打擲パンチを見舞うことで、事態は一挙に収束したそうな。死霊にとり憑かれていた人々も、程なく意識を取り戻したということだった。



                  *



 うんうんと聞いてはいたが、最後の怪異退治のくだりは言鳥ちゃんの体感によるかなり感覚的な話で、ぶっちゃけその理屈も仕組みもよくは理解できなかった。

 というかあれ、刀でなくても構わないんだ……。

 てか、パンチ一発って……。


「正体が分かれば、私に怖いものはありません」


 フンスと胸を張る言鳥ちゃん。

 それはそれで怖い。別の意味で。


「――しかしそうか、そんなことがなぁ。貴重な休日だったのにな」


 それは確かに、誰かに吐露したくなるのも道理である。

 俺でよければ幾らでも聞き手に徹しよう。

 これで彼女の気が少しでも晴れるのなら――、



                  *



「はい。まったく散々でした。でもそのこと自体は……、まあいいんです」

「うん……?」


 それも違うのか。

 では、いったい何が問題だったと言うのだろうか?


「いえあの――……、ショッピングモールに行く前にですね、一応、叔父に連絡を入れまして……」

「ああ」

「あれでも保護者なので……。その、兄さんと二人で出かける旨を伝えたんです」

「……うん」

「思えば、そのときに電話口の叔父の声がどこか弾んでいたような感じがしたんですよね……。とか、とかなんとか、そんなことを言っていましたが……」

「ああ……」


 怪異に対する役割を兄妹で分担させる。

 兄のほうを語りの面で、妹のほうをアクションの面で対処させる。

 そうして兄妹ともに暮樫家の外部で修業を積ませる――。

 四月の〝学校の怪談〟騒動と同じ構図だ。

 またしても、すべては暮樫本家の思惑のうちということか……。


「幾らなんでも気にし過ぎかとも思ったのですが――……、今考えるとあの電話の時点で何かあるということに気づくべきでした……」

「それはなんと言うか……」


 ご愁傷さまとしか。

 それにしても、結局またあの叔父さんが黒幕かよ。

 まだ会ったことないけど何者なんだ、その人。

 午後の六畳間に言鳥ちゃんと二人、憂いのため息を漏らす。



                  *



 鬱憤やら後悔やら哀愁やらが入り混じった何か複雑な思いに苛まれているらしい彼女にどう声をかけたものか、あるいは或人から買って貰ったというアクセサリーの話題について振ってみようか、いやしかし……、などと、俺はぐるぐるとした気まずさを感じていたのだが――――、


「あれ、布津ふつ、来てたのかい?」


 と、そこで件の兄が帰宅した。

 小脇には図書館で借りてきたのであろう書籍が数冊抱えられている。


「ああ或人、ちょいと待たせてもらっていたよ」

「それは悪いことをしたなあ」

「いやいいさ。言鳥ちゃんとゆっくり話もできたしな、退屈はしなかった」

「そうなのかい、言鳥?」


 或人が訊ねると、


「はい、私も楽しかったです。布津先輩は話の分かる方なので……兄さんと違って」


 問われた言鳥ちゃんは、つんと澄まして答える。


「え。なんだい、二人して何の話をしてたの?」


 或人は畳に腰を下ろしつつ、困惑した様子で俺と言鳥ちゃんとを見比べる。



                  *



「……兄さんには教えてあげない」

「ええ、そんな……」

「くくっ。そうだな、或人に言っても仕方がないな」


 言鳥ちゃんの対応に俺も苦笑して追随させてもらう。


「なんだい、布津までそんなことを言うのかい」

「俺のことより妹へのフォローを優先するこったな」

「こ、言鳥、僕が何かしたかな……」

「…………知らない」


 言鳥ちゃんは或人をつれなく突き放す。横で右往左往する兄を遠ざけるかのように、不機嫌な態度を固めている。まあ、いつもの光景だ。



                  *



 やれやれと肩をすくめた俺は、そこでふと、言鳥ちゃんの制服の左袖の隙間から何かきらりと光るものが覗いているのに気づく。

 それは細く綺麗な、緋色の飾り紐であった。

 俺の脳裡に先程の言鳥ちゃんのことばが甦った――。


『でも、雑貨屋に寄ったら兄さんがアクセ買ってくれて……、その、赤い、手首に巻くヤツ……』


「……ああ」


 思わず声が漏れる。

 まだ真新しく見えるそれを或人の目から隠すように、言鳥ちゃんは必死にそっぽを向いている。或人はまだ何か見当違いな釈明を試みているようだった。

 本当に面倒臭い兄妹である。

 二人の様子を眺めつつ、俺はまたひとつため息をついた。



                  *








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