閑話

無自覚ホリデイ・オブ・ザ・デッド

屍霊 前篇



 怪を見てあやしまざれば其怪おのづから壊る。徳にかつ事あたわざる也。


                       (藤貞陸 編『雉鼎会談』序)



                  *



 五月下旬。

 とある休日の昼下がりのことであった。

 俺――布津ふつ智久ともひさが友人である暮樫くれがし或人あるとの下宿を訪れると、果たして部屋の主は不在であった。


 その代わりに……と言うか、案の定と言うべきか、或人の妹の言鳥ことりちゃんが出迎えてくれた。彼女は休みだというにもかかわらず、制服の黒セーラーに身を包んでいた。鋭利な瞳。人形のように整った顔立ち。見目形の何もかもが非現実的だ。切り揃えられた姫カットの黒髪が、初夏の柔らかな陽光に映えている。



                  *



 俺が投げた「よう」という些かぶっきらぼうな挨拶に、言鳥ちゃんは座ったまま軽く会釈をして返した。


「なんだ、或人は留守だったか」

「はい。なにか郷土の民話関係で調べたいことができたとかで図書館に」

「ああ、いつもの奴な」

「午前中に出たので、もうじき戻るかと思いますけど……」


 言鳥ちゃんが時計を気にしながら答える。



                  *



「そうか。じゃあ、ちょっと待たせてもらおうかな」

「すみません。マイペースな兄で……」

「いやいや、言鳥ちゃんが謝ることじゃないよ」

「もうっ、お昼も食べないで何をしているのかって感じですよね!」

「はは、そうかもな……」


 そんな社交辞令を交わしつつ、時間潰しも兼ねてしばし世間話に興じる。穏やかな午後の時間。はじめは天気がどうとか学校がどうだとか、お互いとりとめのない話題が続いた。が、その途中で言鳥ちゃんがふと何か思いついたような、あるいは何か思い詰めたような顔をして、


「――少し、聞いてもらってもいいですか」


 と、やや緊張気味に切り出した。



                  *



 俺も彼女のその雰囲気からどうやら真面目な話かと思い、「いいよ、なんでも言ってくれ」と背筋を伸ばして応じた。

 頷いて、言鳥ちゃんが「あのですね」と、口を開く。


「……こないだ兄さんと買い物に行ったんです」

「ふむ……?」

「あっ、えっと、郊外の、大きめのショッピングモールに行ったんですけど」

「ああ――……うん。あそこな、分かるよ」




                  *



 おそらくは隣接市との境界付近にある、あのいっとう大きなモールのことだろう。

 数年前、幹線道路の拡張と周辺地域の再開発に伴って誕生した巨大複合商業施設。あのショッピングモールが出来たことで、田園ばかりであった一帯にも急激に宅地化の波が押し寄せている――というのは昨今、ここらの地方ニュースを賑わす主要トピックのひとつでもあった。


「日曜日だったこともあって、結構混雑してて……」

「まあ、そうだろうな」

「ああいうトコ、私も兄さんもあまり行かないもので、着いたときは少し戸惑っちゃいまして」


 確かに言鳥ちゃんも或人も、そういった繁華な場所は似合わなそうだ。

 中学まではろくに実家の外へ出ることもなかったと聞くし、さしずめ暮樫兄妹の休日版高校デビュー……とまで言ったら言い過ぎだろうか。



                  *



「話には分かっていたつもりだったんですけど、ショッピングモールってすごい人出なんですね。ちょっと人酔いしそうになりましたよ……」


 言鳥ちゃんはぼうっと遠くを見るような表情をする。

 その面持ちには少し疲労が見て取れた。


「うむ? じゃあなんだ、慣れない人混みで或人とはぐれたとか?」

「いっ、いえ。そういうことはなかったです」


 手振りを交えて否定される。

 違うのか。

 では、何が問題だったのだろう。



                  *



「最初はちょっとぐるっとお店を見て回って……」

「ほう」

「服とか帽子とかを見たりしてですね……、兄さんは興味なさそうでしたけど……」

「まあ、あいつはそうだろうな」

「あっ。でも、雑貨屋に寄ったら兄さんがアクセ買ってくれて……、その、赤い、手首に巻くヤツ……」

「そりゃあ、よかったじゃないか」

「えへへ……」


 答えて、照れたように笑いかけた彼女だったが、


「い、いえ! そんなもので私が喜ぶと思われているなら大間違いです。だいたい、女子にはとりあえずアクセサリー買っておけばいいみたいな底の浅さがミエミエなんですよ兄さんは。まったくセンスがないです度し難いです」


 捲し立てるような早口で否定される。

 だが、悪しざまな台詞とは裏腹に、その面貌は随分と嬉しそうに見える。

 緩み切った口元がまるで隠せていない。

 ……いや、ホントに嬉しそうだな。

 いつもは他人と目が合ってもそのまま視線で射殺しそうな仏頂面だというのに。



                  *



 言鳥ちゃんが俺たちの高校に入学して、早くも二か月近くが経とうとしている。

 思えば、新学期当初から言鳥ちゃんは学園の有名人の位置を占めていた。四月の入学式の直後から、一年生に比類なき美人がいるという噂が疾風の如くに校内を駆け巡ったのだ。


 それもどうやらただの美人ではないらしい――というどこからか加わった付加情報が噂に拍車をかけた。その伝聞は驚異的な速度で全校に浸透し、学年男女問わず〈暮樫言鳥〉の名を知らぬ者なしと称せられる状況が形成されるのに、そう時間は要さなかった。


 その美貌に魅せられた者たちの中でも、無謀にも初対面で告白に挑もうとした生徒十名(ちなみに男子七名、女子三名の内わけであった)のうち全員を、その一顧のみで玉砕に追い込んだとは、今もまことしやかに語られる伝説のひとつである。

 なお、玉砕どころか彼女の視界に入ることすら叶わなかった者も含めれば、その数は倍以上に増えるらしいとは世人の言だが、さすがに眉唾と思いたい。


 ――閑話休題。



                  *



「――で、お昼はフードコートで一緒に食べたんですね」

「ふむ」


 俺は黙って相槌を打つ。

 今のところ至って平穏な休日の一幕だ。

 何もおかしな点はない。

 しかし、当然それで終わるわけもなく――、


「そうしていたら……、いつの間にやら

「えっ」


 まさかの急展開、いや超展開である。

 何をどうしたら休日のショッピングモールが一瞬でホーンテッド・サイトに転じるというのだろう。


「どうも引き寄せられてしまったらしいんですよね、私たち兄妹に……」

「ああ……」


 そういや、二人ともそういう体質なんだっけ。

 つくづく面倒の多いことだと思う。



                  *



「よく見たら窓とか割れていて……、でも兄さんは全然気づいてなくて……」


 言鳥ちゃんの表情が次第に暗くなる。

 心なしか肩がわなわなと震えて見えた。


「私が慌てて早く行こうと言ったら、食事くらいゆっくりさせてくれとか言うし……ああもうっ、思い出したら苛々してきた……」

「気持ちは察するよ……」


 溢れ返る怪異に目もくれず悠長に食事を続ける兄と、それを急かす妹――。

 話を聞いているだけで、光景がありありと目に浮かぶようだった。


「それでのんびりテーブルに着いている兄さんを無理くりに引っ張り上げて、逃げるようにフードコートを出たんですよ」



                  *



 どうにかして兄をつれ出すことには成功したものの、先には右を見ても左を見ても死霊、死霊、死霊、死霊の群れ。

 それら死霊は辛うじてヒトに似たカタチを成してはいたらしいが、その姿はどれも灰色に濁った泥人形のようであり、更にはそれぞれが吐き気を催すほどの酷い屍臭を放っていた。

 それが、施設内一面に蠢いている。

 まさに日常の突然の異界化。


「ですけど、一体一体にさほどの脅威は感じなかったんですよ」


 言鳥ちゃんは語る。

 彼女の能力の前では、たいていの妖怪は敵ではないのだろう。

 とは言え、突如現れた正体不明の怪異であることに変わりはない。

 辺りの空気は澱んでいた。

 黒ずんだ霧がフロアを満たす。

 視界を瘴気にさえぎられ、何度も死霊とぶつかりそうになるなか、或人の手を引いて言鳥ちゃんは必死に走ったのだという。



                  *



「死霊が集まってくるのをかわしつつ元来た通路を戻ったのですけど……、あんなにお客でごった返していたのがほとんど誰もいなくなっているし、いつのまにかフロアの入り口にはありあわせで寄せて作ったバリケードが出来ているし、兄さんは役に立たないし……」


 淡々と語る声が後半になるほど弱々しくなる。

 まるでパニック映画の実況を聞いているかのようだ。

 臨場感がハンパない。

 あと、憐情感も。


「そりゃあ大変だったなあ……」

「そうなんです、大変でしたよっ! 本当に……っ!」


 何かが極まったのか、声を張り上げる言鳥ちゃん。

 俺に怒鳴られても困る。


「あ、すみません……」

「……いや、気にしてないよ」


 我に返り、途端にしゅんとなる言鳥ちゃん。

 その目にはうっすら涙が浮かんでいた。



                  *



 しかしまあ彼女の憤りも分かるのだ。彼女が怒っているのは鈍感な兄に向けてもそうなのだろうが、それは折角の休日を台無しにしてしまった怪異集団に向けてでもあり、またきっとそれ以上に怪異と不離不可分な自身の体質と能力そのものに向けてでもあるのだろう。その全方位に対する感情の行き場のなさに、言鳥ちゃんは憤慨しているのだ。


「あっちに行ってもこっちに行っても死霊がうろうろしていて、うーとかあーとか呻き声しか聞こえなくて。もう、さっきまでの賑やかさが夢だったんじゃないかって……」


 それは夢は夢でも悪夢だなあ……。

 そのときのことを思い出しているのか、言鳥ちゃんは心細そうに身を縮める。


「――でも、そこで少しヘンだなと思いまして」

「うむ? ヘン、とは?」


 言鳥ちゃんの瞳が思慮に翳る。

 俺は息を呑んで、彼女の次の言葉を待った。



                  *









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