8.エピローグ
1.
後日のことである。
廃病院での一件から週が明けた、月曜日の放課後。
利用者のない図書室の一角で、僕と
「ねえ布津、さっき見ていた地図なのだけど……」
「おう、これだろ?」
「ああ、ありがとう」
僕は布津がすかさず差し出した
*
「
「それは――そうだね、まだそこに置いておいてくれないかな」
「ん、了解」
目下取り組んでいるのは、むろん民話や怪異譚の蒐集及び整理に関する作業である。先週はすっかり
しかし、その時間が僕にとり、まったくの無価値あるいは損失だったかと問えば、そうではないと明確に答えることが出来よう。
須奧さんと市内の心霊スポット各所を巡った経験は、僕の怪異譚探求活動にも大いに刺激を与える結果となった。やはり、フィールドワークは調査研究の基本だ。
先週の市内探訪の日々に思いを馳せつつ、僕は地元の郷土資料にあらためて目を通す。これまで学校内で聞き集めた噂話と併せて、いまいちど情報をデータベース化しておくべきだろうと、僕は考えていた。
*
「だから、図書室は二人の妖怪研究所じゃないんだけど?」
ややうんざりとした口調で告げてきたのは、本日の図書室当番、
「まあ
布津がなだめるような声で弁解する。
「誰かしらの邪魔になるときには身を引くくらいの分別は、俺たちにもあるさ」
五筒井さんは若干に頬を膨らませていたが、
「……現状、授業以外で最も図書室を活用しているのが
僕のほうを眺めて言う。その眼差しにはどこか渋々と難物を扱うような、また何か気の毒なものを見るような意図が含まれているふうだった。
「暮樫君はいいとしても……、妹さんのほうはどうしてそこで寝てるわけ」
「ああこれは……」
僕の隣では、
頬をうずめた腕の中から、くぅくぅと気持ちのよさそうな寝息が漏れている。
*
過日の騒動で言鳥は酷く疲弊していた。廃病院から帰り着いて以来、言鳥は死んだように眠りに就いていた。
しかし幸い目立った外傷等はなかったようで、土日を経て今朝には元気な姿を取り戻していた――のだが、
「寝てるじゃねえか」
布津の批判を
「いや違うんだよ」
「何が違うんだよ」
「言鳥が言うにはさ、なんでも、放っておくと僕はどんな厄介事に巻き込まれるか分からないから、当面はなるべく近くにいることにしたのだと、そういう目的あっての行動なんだ」
「近くにいることにしたって言ったってなぁ……」
*
妹の安息が保たれている。
それだけで僕としては幸福の至りであり、他に憂慮すべきことなどない。が、他人から見れば理由としてはそれも不十分なのだろうか。
「昔から夜型なんだよね、言鳥は」
言鳥が昼間が苦手なのは、子供の頃から続く習慣であった。
夜中に突然部屋を飛び出して行ったり、かと思えば、夜明け前には知らぬ間に寝室に戻っていたりする――言鳥にはそういうことがたびたびあった。故に、日中は眠そうにしていることはめずらしくなかった。今更気にすることはない。
「それは夜型っつうか何つうか……まあ、物は言いようか」
布津は諦め気味に言葉を濁した。
*
「まあいいんだけどね……」
眠り込む言鳥から視線を逸らし、軽く嘆息した五筒井さんだったが、
「そういえば――、こないだ来てた子のことはどうなったの。解決したの?」
「こないだの?」
ふいに訊かれる。
「ほら、何か騒がしい二人組と一緒に来ていた女子」
「ああ、須奧さんだね。あれは――」
あれは、解決したものと考えてよいのだろうか。
*
――私、幽霊なんです。
彼女は言った。
思い返すに、あの一言を聞いてしまったがために僕は彼女の「相談」にずるずるとかかわっていくことになった。
だけれども、肝心の彼女が抱えているという問題の核心らしい部分が何であったのかは、結局よく分からないままであった。
当初的には何が問題で、最終的に何が解決したのだろう。
僕は思索を巡らせるままにおのが視線を
「俺を見るな」
「いや、でも布津」
確かに、須奧さんの相談は一旦には解決を見たのかもしれない。
だが一方で、別個の懸念が生じていた。
例の二人――五筒井さんが言うところの〝騒がしい二人組〟の消失である。
*
それだけであればまだ、たまたま両名の欠席が被っただけとも考えられる。
しかし、他のクラスメイトの反応を見るに、そのような名前の生徒が僕たちの教室にいたこと自体が端から無かったかのように扱われていた。あれだけ教室できらきらとした存在感を放っていた二人が収まる位置は、今やどこにも見えなかった。
洞ノ木悠星と烏目いと。
集会が終わったあの後、二人がどうなったのか――という僕の問いに対して、
「誰だそいつら」
とは、とあるクラスメイトの回答である。
他の生徒の答えも同様であった。
*
二人の生徒が忽然と姿を消してしまった。
それとも、すべてが白昼夢だったとでも言うのだろうか。
まるで魔法がいっぺんに解けてしまったような心地であった。
もっとも、あれ、と僕が二人の不在に気づいたのも、朝のホームルームが過ぎ、午前中の授業が過ぎ、更に昼休みを迎えて
*
兎にも角にも。
須奧さんの相談が解決したらしいことは、また本人の様子からも窺えた。今朝の教室で見かけた彼女は、それこそ憑き物が落ちたように晴れやかな表情をしていた。
身体の具合はいいのと僕が訊ねると、
「うん、もう大丈夫だよ」
何でもないことのように応じて笑っていた。
須奧さんの中で何かが吹っ切れたのだろうか。
彼女の心境の転換に、洞ノ木君と烏目さんの「応援」がどの程度かかわっているのかまでは知れなかった。
僕が相談に乗っていたときの須奧さんは、何事にも始終おどおどしていたように思う。情緒不安定な面も多々見受けられ、クラス内の人間関係においても距離を取りがちであった。
が、それにも変化が芽生えているようだった。
今日いち日の教室での彼女の行動を見ていた限りでは、クラスの他の生徒とも交流を持とうとする努力が看取された。
何が彼女を変えたのか。
僕の取り組みの何かしらが功を奏したのであれば
*
須奧さんの心配だけではない。あの夜のクラス親睦会の混乱――洞ノ木君いわく〝交霊会〟だったか――についても、廃病院を会場に使用していたことや、集団パニックと見られる事態に陥っていたこと等、学生の行動としても問題点含みとも思うのだが、最後に生徒会が強制介入してきたことで、すべてはうやむやとなってしまっていた。
「私は言ったはずですよ。暮樫さん流の話型分類に照らし合わせて考えていく方法も、暮樫さんらしくて私は好きですと」
*
「しかしあれだよなあ、或人が自分から
布津が感慨深げに言う。
「うん? 何のことだい、布津?」
「何ってほら……あの金曜の夜のときだよ。あれは最終的には、或人にも幽霊が見えていたってことでいいのだろ?」
幽霊。
幽霊の女子生徒。
「物語のクライマックスで、どこからか死んだあの人の声が聞こえた気がした……みたいなの、よくある展開っちゃあそうだけど、まさか或人がなぁ――」
「見えてないよ?」
「へ?」
布津が隙をつかれた顔をした。
*
「僕は――幽霊なんて見ていないよ、布津」
「だって或人お前……、あのとき確か言っていたじゃないか。気づかなくてごめん――とか何とか……」
「いやだからさ。あそこで僕が認めるに至ったのは、幽霊がそこに〝いる〟とする価値観に過ぎないんだよ」
「ああ……、うむ?」
「何しろ僕には実在する霊は見えないし、幽霊がいるかどうかということには確証が持てない。でも、あのとき、言鳥や須奧さんが――それに他のクラスメイトたちが、そこに幽霊が〝いる〟という前提を共有しているのは何となく分かった」
「うーん……」
「あの夜の段階で僕が得ていたのは、ほら、山の神社に行ったときに須奧さんから聞いていた怪談『教室のリリーさん』の話だけだったからね。それは、教室にいるはずのない生徒がいて、その生徒が幽霊の女子だっていう話だった」
「ああ……、〝話〟――、か」
「うん。だから、今回はそのハナシの価値観に従うことにしたんだ。あくまで話の枠組みとしてね。幽霊が本当にいるかどうかっていうと、それはまた分けて考えるべきなのじゃないかな」
「お前の言うことは相変わらずよく分からん」
「そう言いつつも真面目に聞いてくれるのは布津くらいのものだよ」
「う、ううむ……」
布津は渋面を拵えて、低く唸った。
*
そうこうしているうちに、やがて下校の時間が近くなる。
五筒井さんに
校舎に夜の闇が差し迫る。
窓の外では街灯が点き始めていた。
「あれ――……、私、寝ちゃって……」
慌ただしい音に気づいて、言鳥も目を覚ました。
「ああ言鳥、待たせてごめんよ」
「兄さ、ん――あっ、えっ!?」
言鳥は僕に気づくなり、素早く身を捻って顔をそむけた。
「え、言鳥、ちょっとどうし――」
「だ、だめっ!」
刹那。言鳥の拳が僕の胸部を鋭く
目覚めからの、間断なき激しい拒絶。
妹の大抵の言動は受け入れる覚悟があると自負する僕であるが、さすがに少々傷つく。
言鳥は僕に背を向け、何やら
ぜんたい、何事だと言うのか。
「お。言鳥ちゃん、おはよう」
書棚から戻ってきた布津が軽く声を掛ける。
「結構ぐっすりだったな。先週は結果的にかなりのハードスケジュールだったし、疲れが溜まっていたんだろうよ」
「いえ、別に……」
励ますように言う布津を、言鳥は素っ気なく受け流した。
僕への対応と比して幾分か温度差が感じられる。
解せない。
*
「しかし――幽霊、か」
図書室からの帰り際。
廊下の途上で、布津がつと思い出したふうにして呟いた。
「なあに、トモヒサ。それはもう済んだのじゃなかったの」
五筒井さんが怪訝そうに布津を見上げた。
「ああいや、こんなこと言うのも蒸し返すようでアレかもしれんが……あいつらが言っていた〝理想〟っていうのも、俺はあながち分からいでもないんだよな。そりゃあ、やり方は許されるもんじゃなかったが……」
「……意外ですね。仮にも一般人サイドの布津先輩が、そんなことを言うなんて」
言鳥は布津の言葉に少し首を傾げて見せた。
五筒井さんも幼馴染の意図を測りかねているようだった。
何の話をしているのだろうか。
「いやな。誰もが幽霊的な存在が見えるのが当り前の環境っていうのは、ある意味じゃあ、言鳥ちゃんたち暮樫の能力者にとっても――、そう悪いものでもないのでないかって」
「そうですかね……」
「ああ。つまり、霊が見えたり見えなかったりすることで、要らぬ誤解や軋轢が生じることもなくなるってことだろ」
「それは――同意し難いですね。価値観の相違です」
「ふむ……というと?」
「残念ながら、私は
「言鳥ちゃんは、怪異の声はなんでも聞こえるのじゃあないのか」
「怪異の声が聞こえることと、怪異に
「そういうもんかね……」
何の話をしているのだろうか。
僕はみぞおちに残る痛みに気を遣りつつ、二人の会話を漫然と聞き流していた。
*
須奧さんの相談は解決した。
あるべき日常は回復された。
何より妹とともにあるこの時間が脅かされることがないのであれば、僕はそれでじゅうぶんなのだ。これ以上に、何を思い悩むことがあるだろう。
「――というかだな或人。こういう話にこそ食いつくべきだろうよ、お前は」
「え?」
唐突に話を振られて、僕は間の抜けた反応をしてしまう。
「無駄ですよ、布津先輩。なんたって、兄さんですから」
「まあ――それもそうだ」
「え、なになに」
些か取り残されたような気分になり、僕は一抹の寂しさを憶えたが――、
「あのう、暮樫先輩……ですよね?」
背後から声が掛かった。
振り返ると、ジャージ姿の女子生徒が廊下に佇んでいた。
ジャージの色と直前の呼び方からして、恐らくは一年生だろう。
薄暗がりの中、どこか困り顔でこちらを窺っている。
「ああうん。暮樫は僕だけど」
僕の返答に安堵したのか、その生徒はほっとした様子で続けた。
「よかった。実は私、先輩に相談したいことがありまして……」
このシチュエーションに遭うのも何度目になるだろう。
どうやら簡単に落ち着かせてはもらえないようだ。
僕は短く頷いて応じる。
「うん、構わないよ。僕は人の話はなるべく聞くようにしているんだ」
*
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