12.



「く……っ。この場の共同幻想は催眠効果によって強化されているんだ……そうさ、こんな脅威にはとても敵わない――という絶望感が総数として勝れば、その支配は揺るぎないものへと転じる――そうだ、そのはずだ……」


 洞ノ木どうのき君はスクリーンの前に立ち尽くしたまま、ぶつぶつと誰に向けるでもなく呟きに耽り始める。その洞ノ木君の様子を見て、烏目からすめさんが不安げに彼を見上げる。


「ねえ、悠星ゆうせい……?」


 烏目さんの声に、洞ノ木君は答えなかった。



                  *



「……機は十二分に熟していたんだ。それを幹部連中や諜報部の奴らは理解しない。……だから今こそ、そのロールモデルをここに提示し、前例を以て計画を推し進めるべきと判断した。すべては上手く運んでいた。上手く進んでいたんだ。というのに、だというのに……っ」

「ねえ……、悠星って」

「この条件づけられた狭い空間の中で如何にして……。そのためにはそうだな……物語の枠としての……分かりやすさ、そう、分かりやすさが足りないか……」

「ねぇっ、悠星ってば、ねっ!」


 みたび烏目さんから呼びかけられたところで、洞ノ木君はハッと我に返った。

 傍らでは、烏目さんが不満そうに眉根を寄せている。



                  *



「あ……、ああ、いとか」

「いと子か、じゃないでしょ!」

「いやうん。悪い」

「……うん。で、これからどーする?」


 烏目さんはすぐに態度を軟化させて訊く。


「ふむ。そうさな……、今はまだ状況は変化していない。その間にどうにか、より分かりやすい枠を構築して……」


 洞ノ木君は、やや落ち着きを取り戻したようだった。顎に手を当て、思案する仕草をとる。



                  *



「…………分かりやすさが必要なの?」

「ああ。誰の目にも分かるような、インパクトのある脅威を設定したいな」

「ふぅん。じゃあいっそ――」


 そして、烏目さんはきゅっと首を傾げ、


「――、解除しちゃう?」 

「そうだな、やはりリミッターを……って、うむ?」

「それともあるいは、隠された最終形態の解放? 装置の暴走? あ、大穴で爆発オチは?」

「……いや待ていと子。リミッターとか最終形態とか、別にそういうの、用意してなかったろう」


 烏目さんの提案に、洞ノ木君は呆気にとられた様子で訊き返す。



                  *



「でもさ、どっちも物語のクライマックスにはでしょ? ね?」

「それは……その通りだが」

「ねっ、そうだよね! だから、こんなこともあろうかと!」


 烏目さんは陽気に言い放ち、教壇の裏を何やらガサゴソと探り始めた。かと思うと、今度は大きく分厚いタブレットに似た装置を取り出す――その無骨な外見は先の心霊写真撮影カメラのそれを連想させた。


「じゃじゃーん! すでに出来上がった物がこちらのプログラムになります!」

「えッ!? いやいやいや、そんなものいつの間に――」

「はいっ! じゃあ〝分かりやすい脅威〟、早速発動しちゃいますねっ!」


 はしゃぐように声を弾ませ、烏目さんは手元でスッスッとタブレットの画面を操作する。彼女の指先の動作に応じて、ピピッ、と軽やかな電子音が鳴った。


 そして数秒。

 教室の壁の向こう側から、何かが動く重低音がした。



                  *



 それは金属製の物体同士が擦れ合うような硬い音だった。

 やがて間を置かず、壁自体がミシミシと震動を開始する。

 震動は一過性の現象かとも思ったが、残念ながらその予想は外れる。

 揺れていた。

 教室そのものが微動していた。


「よしよしっ、正常だねー。あとは――」


 烏目さんはそして、床にうずくまっていた須奧すおうさんの耳元に顔を寄せ、


「――もうちょっと頑張ってね、三埜奈みのなちゃん」


 刹那、須奧さんの身体が、びくんっと痙攣して見えた。

 その瞬間だった。


 バチ――ッ!


 何かが弾ける音がして、暗闇に閃光が走った。

 と同時に、目に見えて教室の震動が激しさを増す。

 明滅する蛍光灯。白く波打つスクリーン。天井が軋み、壁と床の継ぎ目から火花が散る。微かに焦げたような匂いが鼻腔をくすぐった。



                  *



 周囲の悲鳴が強まり、喚き声が交錯する。

 生徒たちは狼狽し、幾人かは床を這うようにして逃げ惑っていた。

 更にそのうちの窓側に行き当たった幾人かが、窓を覆うカーテンを闇雲に引っ張り下げた。必然、敢え無くカーテンは引き剥がされ、窓と外の景色が現れ――、

 否。

 そこに――

 窓があると思われた教室側面は、。四角く切り抜かれた壁面の空白に、みっしりと種々の機械が埋め込まれている。

 機械の壁は熱を帯びているようだった。



                  *



「この教室はね、部屋全体が強力な催眠装置なの」


 烏目さんはタブレットに目を落としつつ、淡々と述べる。


「いずれは、市全域まで催眠電波を拡大させる計画だったし……ほら、よくあるじゃない? 『過去の〈 大災厄 〉以降、セカイは変わってしまった――』ってやつ。リリーちゃんと三埜奈ちゃんには、になってもらう予定だったのね?」


 烏目さんの説明を、洞ノ木君さえもが半ば唖然として聞いていた。もとい、ほとんどの観衆キャストには、まともに説明を聞いている余裕はなかった。


「だから本来の計画よりだいぶ早いけど……、これもその予行演習だと思えば、ね、何でも無いよね?」


 僕には彼女の言葉が少しも理解できなかった。



                  *



 教室の揺れがいっそう増す。

 どうにも、ただ帰りたいと言っていられる場合でもないらしい。

 今直面している現実が、周到な陰謀ゆえの惨事なのか、あるいはオカルト的な怪奇の発露なのか、あるいは凝集した集団心理による狂騒の帰結であるのか、はたまたさまざまな事象が重なった末の偶発的事故であるのか、僕には詳らかには分からない。

 しかし、胸中に押し寄せる非日常の感覚を抑止することは、さすがに難しくなってしまっていた。



                  *



 僕に縋りつく妹の手に力がこもる。

 須奧さんはカメラを抱えた体勢のまま苦悶の声を漏らしており、背後ではクラスメイトたちがパニックに陥っているのが見ずとも窺えた。

 僕にはどうすることもできない。

 僕はどうすればよいのだろうか。

 しかし――、


「さっきも言っただろ、お前が解決するんだ」


 僕の左隣に並んで、布津ふつが言う。


「僕が……」

「そうだ」


 布津の落ち着いた声が、妙にしっかりと耳に届いた。


「行けよ或人あると、俺が――見ている。なァ、みんなもそう思うよな?」


 布津は肩越しにクラスメイトたちのほうを振り返る。

 すると、それまで教室の後方に固まって怯えていたクラスメイト一同が恐る恐る僕たち兄妹に関心の焦点を集中させた。



                  *



 次第に「布津がそう言うなら……」「私も暮樫くれがし君に助けてもらったことあるし……」などという声が上がる。

 僕の背に向けられる皆のまなざしに、ひしひしと期待感が上乗せされていくのを、厭でも感じざるを得ない。


「そうだな! 暮樫なら何とかしてくれるよな!」

「怪異のことで何とかしてくれる人なんて、他にいないでしょ!」

「頼りにしてるよ!」

「頑張って、暮樫君!」


 何だか憶えのある言葉の数々を投げかけられ、僕は引くに引けない状況に追い込まれていた。他でもない僕こそが現状を打破するのだという空気が醸造されていく。

 ……結局これも、同調圧力に変わりはないのではないか?



                  *



「なに、要は怪異退治っぽいポーズがあればいいそうだからな――言鳥ことりちゃん」


 布津は次に、言鳥へ呼びかける。


「あの刀、今日も持っているのだろ?」

「ええ、ありますけど……」


 問われた言鳥は、どこから取り出したのか――僕が見たときにはすでに、その右手に古風な日本刀を携えていた。

 金属の刃。

 場に似つかわしくなくさらけ出された刀身が、薄暗がりの中で鈍い光沢を放つ。


「それだそれだ。その刀でさ、あのカメラを貫いてやればいいのでないんかね。むろん、お前たち兄妹の手でな」

「わ、私が、に、に、兄さんと……、一緒に……」


 柄を握りしめた言鳥は顔を伏せ、もじもじと身をくねらせていた。

 そして時たま僕のほうを一瞥してはまた目を逸らす、という謎の挙動を繰り返す。

 恐らくは、意図不明確な行動を求められるこの状況に、妹も困惑しているのだろう。無理もないことだと思う。



                  *





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