11.



 友達から聞いた話なんだけどね――。

 そう言い置いて、須奧すおうさんは語り始めた。



                  *



 一番後ろのリリーさん。

 それはある女子生徒の幽霊の話だった。

 リリーさんはいつも教室にいる。

 リリーさんがどれくらい前からそこにいるのか。どうして幽霊になってまで学校の教室に留まっているのか。それは誰も――リリーさん本人でさえ、何も知らないのだという。


 彼女の死の真相もまた謎に包まれている。教室で自殺したのだとも、病気で亡くなったのだとも、はたまた違法な薬物実験の犠牲になったなどともいうが、本当のところは不明だ。彼女が自身を意識したとき、すでに彼女は教室にいた。



                  *



 リリーさんはいつでもそこにいる。

 リリーさんは普段クラスの生徒の中に溶け込んでいる。そして生徒たちも、リリーさんが教室にいるのを当たり前に受け入れている。


 たとえば、教室で友人と集まっておしゃべりをしているとき、クラスメイト同士でグループをつくるとき、前の席から順にプリントを配るとき――何故か人数を一人多く数えてしまうことがある。それはリリーさんが紛れ込んでいるからなのだ。


 リリーさんは教室の窓際の列の一番後ろの席にいて、いつも生徒たちを見ている。だからその席はリリーさんのために必ず空けておかなければいけない。万が一、その席に座ってしまえば――、その生徒はリリーさんにとり憑かれてしまうという。



                  *



 リリーさんはいつも教室にいる。

 しかし一歩教室を出ると、リリーさんはみんなの記憶から忘れ去られてしまう。もうそれが誰だったのかも分からなくなってしまう。

 教室にいるときにだけ、彼女はその存在をみんなから認めてもらえるのだ。



                  *



 誰でも知っているのに、誰も知らない。

 そこにいると分かっているのに、それが誰かは気づかない。

 リリーさんは今日もひとり、一番後ろの席に座っている――。



                  *



「――って、私が知ってるお話はそういう感じかな」


 語り終えて、須奧さんは一息ついたようだった。


「あっ、でもホントに友達から聞いた話だからあれかもなんだけど……」


 その点を強調して、申し訳なさそうに弁解される。


「いや、そんなことはないよ。すごく参考になった」


 僕が感謝の言葉を述べて微笑むと、須奧さんは「えへへ。暮樫くれがし君にそう言われるとなんか照れちゃうな……」と、恥ずかしそうに顔を赤らめた。



                  *



 いわゆる『友人から聞いた話』というのは怪談語りの常套である。むしろ最短の伝達経路であると言ってもよい。事例としては珍重すべき部類に入るだろう。

 怪異譚蒐集の立場からすると、彼女の話はひじょうにありがたかった。

 恥ずかしがる理由は何もないと思う。



                  *



「この話はずっとしようかどうか迷ってたのだけれど……でも、言鳥ことりちゃんにはバレちゃってるみたいだったし、今話せてよかったかなとも思って――」

「言鳥が?」


 僕のクラスに纏わる幽霊話を――それも他学年の生徒のあいだで語られているであろう話を、まだ入学して日の浅い言鳥が知っているものだろうか。

 あるいは、それだけ有名な怪談だということか。

 しかし、〝バレている〟とは――。



                  *



「え、梨々りりちゃんなあに? あっ、そっか! これは暮樫君には言わなくてもよかったんだっけ……うん、ごめん、ごめん」

「須奧さん……?」

「えっと、暮樫君もごめんね! なんでもないの!」

「いや、別にいいんだけど――」


 須奧さんはまたあたふたと挙動不審な動きを見せる。

 かと思えば、一転、意気消沈して、


「あはは、ダメだね私……。暮樫君と話してると何を話したらいいか分からなくなっちゃって……」


 そんなことを言う。



                  *



「須奧さんがそこまで緊張する必要は全然ないと思うよ、僕なんかを相手にさ」

「だって、暮樫君って人気者じゃない?」


 そうなのだろうか。

 よく分からない。


「お化けとか怪談とかに詳しくて、相談すれば何でも解決してくれるって。学校じゃ、みんな言っているよ」

「それは買い被り過ぎだよ」


 僕が人気者などと、ぜんたいどうしてそんな話になっているのか。どうにも虚像が膨らんでいるらしい。自分のドッペルゲンガーが巷間をひとり歩きしているような奇妙な心地すら覚える。



                  *



「ううん、どこでそんなに評判が広まっているのかなあ……」

「え、それは生徒会長さんが――……」


 僕の呟きを拾って、須奧さんが何か言いかけた――、

 そのとき。

 会話の流れを断ち切るように、山の上のほうから鈍い爆発音がした。

 どおんっ――と地響きにも似たその大音に続いて、メキメキと樹木が倒れる音、そして多数の鳥の羽ばたきが重なって辺りを震撼させた。



                  *



「なっ、なんだ――?」


 揺れにつられて振り返ると、言鳥と布津ふつが石段を下りてきたところだった。

 二人ともどういうわけか全身があちこち枯れ草や泥にまみれている。日本刀を握りしめて階段を下りてくる言鳥は、少し息が上がっているようにも見えた。


「――布津先輩、お疲れさまでした。つき合わせてしまってすみません」

「いやあ、俺はただ横で見てただけだったしなあ」


 言鳥のねぎらいに、布津がぼやくように返す。


「いえ、布津先輩があのタイミングでカメラのシャッターを鳴らしてくださらなかったら私も危なかったですよ」

「そうかね……。しかし、山の動植物が一斉に襲ってくるのは反則だろうよ……」

「深山の最奥にいる怪異は、あんなものでは済みませんよ」

「マジでか……」


 ……何の話をしているのだろうか。



                  *



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