4.



 その日の昼休み。

 僕は校舎一階の廊下の――保健室の前に来ていた。

 片手には先ほど渡された心霊写真撮影用カメラが抱えられている。


 保健室を訪れるのは先月の〝学校の怪談〟騒動のとき以来だった。

 あのときは「事件」の真っただ中での訪室だったが今回は――さて。



                  *



 入口に立ってドアをノックする。

 しばし待つも返事はなかった。中には確かに人がいる気配がある。

 扉越しにわずかにではあるが、話し声と物音が聞こえた。


 ……これは、入ってもよいものか。


 しかしいつまでもこうして時間を無為にするのも得策ではなかろう。仕方なしに僕は失礼しますと小声で告げつつ、中へと身を滑らせた。



                  *



 保健室はがらんとしていた。

 そこには生徒の姿はむろんのこと、常駐しているはずの養護教諭の姿もない。

 ただ、消毒液のにおいだけが午後の室内を満たしている。



                  *



 この学校の保健室にはベッドが三台備え付けられている。僕が来たとき、そのうち手前の二台は無人であった。が、いちばん奥の――窓際のベッドにだけ、周囲が白いカーテンでぴっちりと閉じられているのが認められた。


 そして、件の話し声はそのカーテンの内側からしているらしかった。



                  *



 カーテンに中の人影が映ってゆらゆらと揺れる。窓からの陽光が何かに反射しているのか、差し込む光が白いスクリーンに不思議な斜影をつくり出していた。


 僕は声のするほうへとそっと近づき、耳をそばだてる。


「――…………うん……そう……だよね…………ううん……――――」

「……それは私こそ……――……そうかな……えへへっ…………――」

「…………ええっそんな……ときも……梨々りりちゃんは悪くないよ……だって…………私が……から……――」

「……うふふっ…………そうだね……――……あははっ…………――――」


 間違いない、須奧すおうさんの声だ。

 会話の内容までは明瞭ではないが、カーテンの向こう側で誰かにしきりに話しかけている。そのさまは大層楽しげで、時折笑い合う声が混じる。かなり親密な者同士の会話という印象があった。



                  *



「……須奧さん? 暮樫くれがしだけど……そこにいる?」


 談笑の途切れる隙を狙って、薄布の隔たりの中へ僕は呼びかけた。


「ひゃっ! えっ……、く、暮樫君!?」


 間髪挟まず、彼女の慌てた声が返ってきた。


「うん。須奧さんに用事があって……今、大丈夫だった?」

「あっ、あのそのっ! ちょっと待って……!」


 そうしてシーツのめくれる音がしたかと思うと――、ややしてさっとカーテンが引かれた。開かれた視界の先にはベッドから下りかけた制服姿の須奧さんがいた。肩ほどまである髪は少し乱れているようだった。



                  *



 四方をカーテンに囲まれた白い空間。

 縦長のベッドの端に須奧さんがひとり腰かけている。

 だが――、そこには彼女以外の人物は見えなかった。


 はて。てっきり、親しい女子の友人か誰かと並んで話しているものとばかり思っていたが……。


「あれ? 須奧さん一人だけ?」

「そ、そそ、そうだけど……どうして?」

「いやさ、今そこに誰かがいたような気がして……」

「べ、べつに誰もいなかったよ!? ずっと私しか来てなかったし……」


 あたふたと否定する須奧さんだったが、その目は明らかに動揺していた。

 くりくりとした瞳が動いて、視線を宙にさまよわせている。



                  *



「……あ、もしかして電話中だった、とか?」

「え、電話? してないよ?」


 首を横に振る須奧さん。


「だって暮樫君、保健室では勝手に電話しちゃダメなんだよ?」


 何故か僕が諭されてしまった。


「え……、ああうん。そうだよね」

「もー、おかしなこと言うんだから」


 くすくすと笑われてしまう。

 何か釈然としないものがあったが――、こういうとき、何と言って話を継ぐのが適当なのか。あるいは洞ノ木どうのき君あたりなら強引にでも話題を転換できるのだろうが、僕にはそれも高等な技術であった。



                  *



「あの、さ」

「あ、うん! なあに!?」


 僕の言葉に反応して、須奧さんもびくりと肩を震わせる。


「須奧さんは保健室で過ごすことが多いって聞いたけど……、そうなの?」


 なるべく当たり障りのなさそうな話題を出してみる。


「……うん。私、人が多い場所に長くいると気持ち悪くなっちゃって……。学校まで来ても、教室でわいわいするのがなんか苦手って言うか……」

「……そうなんだ」

「うん……。だからいつも、ついつい保健室に逃げ込むような感じでね、今じゃすっかりここの常連さんだよ。あははっ……――」

「そっか……」

「うん……」


 沈黙。

 話下手はお互い様のようだった。



                  *



 そうして須奧さんはベッドに座ったまま、気まずそうにもじもじとしていたが、


「……あの、暮樫君。昨日はごめんね」


 と、静かに口を開いた。


「えっ、ああ――いや」

「約束してたのに行けなくて……。私から言ったことだったのに……」

「それは慥かに心配したけどさ、相談を引き受けておきながら連絡先を確認してなかった僕にも非があるし」

「そんな……ううん。折角暮樫君が話を聞いてくれるって言ってくれたのに……ごめん、ごめんね」


 須奧さんは謝罪の言葉を重ねた。



                  *



「ダメだよね、こんなんじゃ……。私、私……」

「須奧さん……?」

「こんなことになってるのも、私がっ、私がとして未熟だから……。だから、みんなが……っ」


 独白する須奧さんは次第に痛切な様相を帯びていった。

 苦しそうに、ときに息を詰まらせる。


 メディウム……とは何のことだろう。またよく分からない語が出てきてしまった。みんなというのはクラスメイトたちのことかとも思うが――、意味を問いただそうにも、とても冷静に話を聞けるような状態とは思えなかった。



                  *



 しかしこれではいっこうに問題解決に進まない。

 僕はまたもや相談の対応に苦慮していた。

 事態が再び暗礁に乗り上げかけた、そのとき――。


 バンッと保健室のドアが大きく開かれた。


「……あれ、言鳥ことり?」

「兄さん……!!」


 そこでは、妹の言鳥が鋭い目つきでこちらを睨んでいた。



                  *







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