6.



千里眼せんりがん事件……ですか?」

「ええ」


 針見はりみ先輩の口振りは、さも当然に知っているだろうとでも言うが如くだ。

 一方、僕のほうは何と答えてよいか分からずにいた。例えるなら、授業中に教師から前触れなく問題の解答を求められている、しかもそれが先週の授業の復習だと言われているのに咄嗟のことで頭が追いついていない――それに近い心境であった。



                  *



 つい、時間を稼ぐみたいに訊き返す。


「……ですけど、どうして突然そんな話を?」

「ひとつの寓意だと思ってください。それで――暮樫くれがしさん、ご存知でしょうか?」


 逃げ場がない。

 まあ、既知かどうかと問われれば…………首肯する他にないのだが。


「知っているには知っていますけど、それほど深くには調べたことはないです。辞書的な意味でしか分からないといいますか」

「ええ、それで充分ですよ」


 僕の返答に、針見先輩は我が意を得たりといった表情で目を細めた。



                  *



 千里眼事件。それはかつて実際にあった、を巡る騒動である。


 ときは二十世紀初頭。明治も終わりに差しかかっていた時代の出来事だった。「千里眼」という超常的な能力について、東京帝国大学福来友吉ふくらいともきち博士をはじめとした当時の学界の錚々たる面子が集まり、その真偽成否を争ったのである。


 明治四十三年九月。千里眼能力者の御船みふね千鶴子ちづこを被験者とした公開実験が行われた。その実験の様子が新聞紙面を賑わせるや否や、たちまち全国に反響が広がる。「千里眼」は国民的ブームとなり、自称千里眼能力者が各地で続出した。


 千里眼研究は新時代の科学として一躍注目を浴びることとなる。



                  *



「千里眼はすべてを見通す力であるといいます」


 針見先輩は長閑のどかな調子で告げる。


「ですが、このときの千里眼というのは……、ええ、ほぼ透視能力のことと言い換えてしまっても構わないでしょうね。御船千鶴子は義兄のによって能力に開眼したともいわれていますが――」

「催眠術……」


 その言葉に僕は何かしらのひっかかりを感じた。現在の僕の身に起こっている事態にかかわる含みを持っているような直感があった。

 何がどこにひっかかったのか……。

 なんだろう。今にも分かりそうな、しかしまったく分からないような……。



                  *



「先輩、その催眠術というのは……」

「――あっ」


 先輩がふいに声を漏らした。


「……何かありましたか?」

「いえ。下らないことなのですけど……、ふふっ」


 先輩は笑い堪えているようだった。


「ええ、〝〟ってちょっと面白いですね。ふふっ。ふふふっ」

「それは……」


 本当に下らなかった。

 こんなギャグを言うキャラだったろうか。

 いまいちつかめない人だなと思う。



                  *




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