第百四十話 赤に染まる

 赤い月は、闇夜を真っ赤に照らす。いや、覆い尽くすと言っても過言ではないだろう。

 聖印京は、再び、地獄の時を迎えたのだ。

 赤い月が、出現した瞬間、人々は悲鳴にも似た声を上げて、赤い月を見上げた。


「赤い月だわ!」


「赤い月が出現したぞ!」


 人々は、戸惑い、騒めきだした。


「ど、どうして……」


「と、とにかく、逃げるんだ!」


 人々は、逃げ惑い始める。我先にと逃げていく。子供が転ぼうが、老人が動けなくなてしまっても、誰よりも早く、建物の中へと入っていく。

 早く逃げなければ、妖が聖印京に侵入してしまう。そうなれば、終わりだ。自分達は、妖に殺される。

 聖印京は、混乱に陥っていた。五年前のように。

 隊士達は、月読から言い渡された配置先へと向かっていく。

 これは、月読の作戦だ。討伐隊、警護隊、陰陽隊、密偵隊をまんべんなく配置させ、妖の襲撃に備えようとしている。被害を最小限に抑えるために。


 

 そんな中、外で赤い月を見上げた綾姫は驚愕し、愕然としていた。

 予知していた日よりも早く出現したからだ。

 原因は、不明。

 綾姫は、戸惑い、呆然と立ち尽くしていた。


「こんなにも早く、来てしまうなんて……」


「綾姫様!お気を確かに!今は、一刻も早く、聖水の泉へ向かうべきです!」


 赤い月が出現したことに衝撃を受け、呆然と立ち尽くす綾姫。

 だが、夏乃が、姉のように綾姫を叱咤した。

 こうなった以上、綾姫は儀式を始めなければならない。

 そうしなければ、被害は拡大するばかりだ。

 最悪の場合、聖印京は、滅んでしまうかもしれない。そうあっては、ならなかった。


「そ、そうだったわね」


 夏乃に叱咤された綾姫は、冷静さを取り戻す。

 夏乃が側にいてくれたことで、綾姫は本来の目的を取り戻したのだ。

 綾姫は、覚悟を決めたかのように、息を大きく吸い込んだ。


「……夏乃、行くわよ!」


「はい!」


 綾姫と夏乃は、聖水の泉へと向かった。

 聖印京の人々を、柚月達を守るために。



 柚月達、特殊部隊も、指定された配属先へと向かっていた。今回は、朧も一緒だ。

 朧には、屋敷で安全な場所で隠れていて欲しかった柚月であったが、天鬼がいつ、朧を襲撃するかもわからない。

 そのため、朧は、柚月達と共に、行動するようにと月読から命じられていた。

 もちろん、朧もそのつもりであった。

 まだ、未熟ではあるが、陰陽術も習得している。柚月達を守るために、戦おうと決意しているのだ。

 柚月は、朧の決意をくみ取り、朧と共に聖印京を駆けていった。


「急ぐぞ!」


 妖達は迫ってきている。

 それまでに、ある場所へ向かわなければならない。

 柚月達は、焦燥にかられ、先を急いだ。

 だが、その時であった。


「くっ!」


 九十九が、うめき声を上げて、頭を押さえる。

 柚月達は、九十九の様子に気付き、九十九の元へ駆け寄った。


「つ、九十九?」


 朧は、心配そうに、九十九を見ている。

 九十九は、荒い息を繰り返し、額には汗をかいている。

 まるで、意識が乗っ取られないように、無理やり抑え込んでいるようだ。

 柚月達は、九十九の異変に気付いた。


「もしかして、赤い月の影響なのか!?」


「九十九君……」


 九十九は、赤い月の影響を受けているようだ。

 殺戮衝動に駆られた九十九は、必死に耐えている。自我を乗っ取られないように。

 歯を食いしばり、体を震わせた九十九は、柚月に視線を送った。


「ゆ、柚月……」


「どうした?」


「俺を……殴れ」


「なっ!」


 九十九に懇願された柚月は、動揺する。いきなり、自分を殴れと言うのだ。

 おそらく、衝撃を受けることで自我を保とうとしたかったのであろう。

 このままでは、自我を乗っ取られ、柚月達に襲い掛かってしまう。

 いくら、九十九が半妖であるからと言って、赤い月の影響は避けられない。

 だが、柚月は、そんな事ができるはずがなかった。


「なに言って……」


「いいから、殴れ!」


 九十九は、必死になって、柚月に向かって叫ぶ。自分を殴るように。

 今にも自我が乗っ取られそうだ。そうでもしなければ、今にも柚月達を襲い始めてしまうことを恐れたのだろう。

 九十九の心情を察した柚月は、こぶしを握りしめ、意を決したように九十九の頬を思いっきり殴りつけた。

 九十九は、数歩さがり、よろめくが、立ち止まり、動かなくなる。乗っ取られてしまったのだろうか。間に合わなかったというのだろうか。

 柚月達は、不安に駆られ、九十九を覗き込むように見ていた。


「ってぇ……。なんとか、なったか……」


 柚月に殴られた九十九は、頬を手で抑える。

 どうやら、自我を保てたようだ。

 赤い月の影響を退けたらしい。

 彼の様子を見た柚月達は、安堵していた。


「九十九、大丈夫?」


「おう。意識を乗っ取られそうになったけど、柚月のおかげで、何とかなったぜ」


「あ、ああ」


 九十九は、いつものように、豪快ににっと笑う。

 柚月は、あっけにとられていた。

 

「正直、どうなるかと思ったぜ」


「でも、良かったね。九十九君」


 景時も透馬も、安堵した様子を見せている。

 九十九が、意識を乗っ取られなくて、良かったと心の底から思っているようだ。

 それもそのはず、仲間に刃を向けたくなどないだろう。

 九十九は、もはや、辛苦を共にしてきた仲間だ。

 それは、妖であっても関係ない。

 九十九だからこそ、彼らは仲間として認めているのだから。


「ほら、何してんだよ。さっさと行くぞ」


「ああ」


 柚月達は、再び走りだす。

 戦場を駆け巡るように。



 勝吏は、外に出て、隊士達に、指示を出している。

 虎徹も、同様に外に出て、構えていた。妖を迎え撃つために。

 突然の赤い月の出現に動揺こそはあれど、すぐに冷静さを取り戻した。

 五年前のようには、ならないようにと心に決めていたのだ。今度こそ、自分の子供達を守るために。

 勝吏に支持された隊士達は、急いで指定された配属先へと向かう。戦いに備えるべく。


「全員、配置につけ!確実を妖を仕留めろ!一匹残らず、逃がすな!」


 勝吏は、指示を繰り返す。

 そこへ、月読が、慌てて勝吏の元へ駆け寄った。


「月読。どうだ?」


「勝吏様、隊士達は、全員指定された配置先に向かったようです。妖が来る前に、到着するでしょう」


「そうか。特殊部隊は?」


「……向かっているようです。天城家の屋敷へ」


 柚月達が向かっていた場所は、なんと天城家の屋敷であった。

 月読が指定した配属先は、天城家の聖水の泉。

 綾姫達を守らせるべく、柚月達にそこへ向かうよう命じたのだ。

 綾姫が殺されてしまっては、聖印京は滅んでしまう。

 そうならないようにするためにも、柚月達の力が必要不可欠であった。

 月読は、信頼していたのだ。柚月達なら、綾姫達を守り抜くと。


「わかった」


 月読の報告を受けた勝吏は、静かにうなずく。 

 そして、妖を迎え撃つために。

 宝刀を鞘から抜き、構えた。

 しかし、空を見上げていた虎徹が、動揺し始めた。


「お、おい、勝吏……。なんだ、あれは?」


「ん?」


 虎徹が、指を指しながら、動揺している。

 こんな虎徹を見るのは、初めてだ。

 いつもの虎徹は、何があっても、動じることはない肝の据わった男だ。

 その虎徹が、動揺を見せている。

 彼の様子を見ていた勝吏は、不吉な予感がし、上を見上げた。


「あ、あれは……」


 勝吏も、動揺し始める。

 なぜなら、上空で二人の青年が、勝吏達を見下ろしていたからだ。

 彼らを発見した直後、妖達は、一斉に結界を破壊し、聖印京へと侵入した。

 聖印京は瞬く間に戦場と化したが、勝吏達は、周囲を見回せない。

 上空にいる青年二人が、今にも自分達を殺そうとしているように見える。

 彼らは、風塵と雷塵だ。見たこともない二人。

 だが、異様な力を感じる。

 その力を感じ取ったため、勝吏達は、動揺していたのだ。

 風塵と雷塵は、余裕の笑みを見せて、勝吏達を見ていた。


「あっれ?お前が、大将?」


「そうだが、お前達は……」


 勝吏は、問いただそうとするが、その前に、風塵と雷塵が、一瞬にして勝吏達の目の前に、降り立つ。

 誰も目で追えないほどの速さだ。

 勝吏達は、驚愕し、目を見開いていた。

 だが、隙を作ったというのに、風塵と雷塵は、襲い掛かろうとしない。

 まるで、勝吏達の様子を楽しんでみているかのようだ。


「俺の名は、風塵だ」


「僕の名前は、雷塵。天鬼の部下だよ」


 風塵と雷塵は、余裕があるからなのか、名を名乗った。


「天鬼の?」


「四天王のほかにも部下がいたというのか……」


 勝吏達は、二人が天鬼の部下だと聞いて、驚く。 

 なぜなら、天鬼の直属の部下は、四天王のみだからだ。

 この二人が、部下だという事は、知らない。

 動揺を隠せない勝吏達に、風塵は、説明をし始めた。


「四天王か……。そうか、お前達は、知らないんだったな」


「何がだ?」


「四天王は、死んだんだよ。いや、殺された」


「何!?」


 勝吏達は、驚愕する。あの四天王が殺されたというのだ。

 柚月に殺されかけた四天王達は、姿を消してしまった。行方はわかってなかった。誰も、予想していなかったであろう。四天王が何者かに殺されたということなど。

 しかし、誰が四天王を殺したというのであろうか。勝吏達は、思考を巡らせた。

 その様子を見ていた風塵と雷塵は、笑みを浮かべていた。


「殺したのは、天鬼だ」


「まぁ、当然だよね。命令に従わなかったんだからな」


 四天王について淡々と説明する風塵と雷塵。

 だが、勝吏達は、未だに信じられなかった。

 四天王が本当に天鬼に殺されたなどと。

 まだ、生きている可能性だってある。

 彼らの言うことを信じるべきか否か、迷っていた。


「安心したのか?」


「戯言を」


 風塵に挑発された勝吏は、怒りを露わにする。

 だが、風塵と雷塵は、怖気づくことはなかった。


「まぁ、そうだよな。四天王がいなくなったってことは、戦力が落ちたって思いたいんだよね?」


「だが、それは、大間違いだ」


 勝吏達に向かってさらに挑発する風塵と雷塵は、構えた。武器を持たずに。

 これは、一体どういうことなのか。

 武器を持たずに、自分達を殺そうとしているのか。

 勝吏達は、戸惑ったが、それでも、構えた。

 そうでなければ、自分達は、殺されてしまう。

 なんとしても、生き抜かなければならなかった。


「僕達が、いるからね」


「さあ、覚悟しろ!」


 風塵と雷塵は、勝吏達に襲い掛かった。



 綾姫と夏乃は、聖水の泉へと到着した。

 まだ、妖達は侵入していない。

 儀式を行うなら、今のうちであった。


「綾姫様、お願いします!」


「ええ」


綾姫は、聖水の中へ入り、祈り始めた。

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