第七十三話 傷ついた鬼の心
「くそ!失敗した!」
柚月達が妖を討伐したころ、真谷は怒りに身を任せて握ったこぶしを振るい、畳にたたきつけた。
真谷は、あの黒い石を通して人食い妖の動向を見てきた。
この合同討伐戦を提案したのは、真谷だ。人食いの妖は、危険すぎると。合同で任務をしなければ、再び全滅する恐れがあると勝吏を説得し、勝吏は同意した。
特殊部隊が他の隊と合同で討伐することが決定した時、心底喜んだのだ。これで、特殊部隊の秘密を暴き、つぶせると。
だが、特殊部隊の秘密を暴くことなく、妖は討伐されてしまった。
本来、一族にとっては喜ばしいことのはずなのだが、真谷にとっては悔しさが残った結果となってしまった。
「まさか、討伐してしまうとは……。陰陽隊と密偵隊は何をやっている!共に討伐してどうする!あの二人は何を指示した!」
真谷は巧與と逢琵には指示しておいた。陰陽隊と密偵隊に彼らの様子を監視させるようにと。
証人がいなければ、追い込むことは不可能。それゆえに、彼らには指示したはずなのだが、陰陽隊と密偵隊は柚月達に協力して、妖を討伐したのであった。
これで、作戦は失敗したかのように思えた。
しかし……。
――落ち着け、真谷。
突然、頭の中から誰かの声が聞こえる。まがまがしく、冷酷でぞっとするような低い声が……。
この声は間違いなく天鬼の声だ。
天鬼の声が聞こえ、真谷は動揺した。
「そ、その声は、天鬼か!?なぜ、どこにいる!?」
真谷は立ち上がり、周辺を見回す。
だが、天鬼の姿はどこにもない。ましてや、結界が張られているのに天鬼が侵入できるはずがない。
だが、今の真谷は、動揺し、冷静さを失っている。
天鬼がどこかに潜んでいるのではないかと形相の顔で探し始めた。
――慌てるな。見苦しいぞ。
「貴様、どこで見ている!?姿を現せ!」
――私は、聖印京にはいない。貴様が持っているその石の中にいる妖の目を通して、見ている。
「こ、これか!?」
真谷は自分が手にした黒い石を見る。
石から妖の姿は、映しだされていないが、まるでみられているようで、背筋に悪寒が走る。
今まで見られたかと思うと嫌悪感に押しつぶされそうだ。
だが、天鬼は真谷の心情など気にすることなく話を続けた。
――真谷。まだ、貴様の野望は終わってはいないぞ。
「なぜ、そう言いきれる?あの醜い人食いの妖は討伐されたのだぞ!」
――まぁ、待っていろ。そのうち良い知らせが来るはずだ。貴様にとってな。
「……」
真谷は、黙る。
なぜ、天鬼は、そのようなことが言えるのか、見当もつかない。
天鬼の言うことなど信用できないのであろう。そういって、自分を騙すつもりではないかと。
そうでなければ、そのようなことが言えるはずがない。
真谷は、疑いのまなざしで黒い石を見ていた。
――信用できないというなら、好きにすればいい。私は貴様がどうなろうと構わん。
「……貴様の言うことを信用してやろう」
冷静さを取り戻した真谷は、観念したように天鬼を信用することにしたようだ。
今は、天鬼に縋りつくしかない。手段を選んでなどいられない。
野望を叶えるためには、天鬼を信用するしかなさそうだ。
真谷は、息を吐き、黒い石を
「何が始まるというんだ?まぁ、いい。あいつにかけてみるか」
真谷は不敵な笑みを浮かべる。
天鬼の信用していれば、野望を叶えられると思っているようだ。
だが、真谷は何も気付いていなかった。彼の様子を一人の女性が、ひそかに見ていたことに。
「真谷様……」
欲におぼれていく真谷を心配するような顔つきで女性は見ていた。
とても、悲しそうに……。
朧は、奈鬼と遭遇していた。
細く鋭利な二本の角。目と髪は、同じ黄金。今、朧の眼の前にいるのはまさしく鬼だ。天鬼と同じ鬼の妖だ。
だが、どういうわけか朧は立ち尽くしたままだ。誰かに助けを呼ぼうとすることはしない。戦おうという意思もなさそうだ。
体調が悪いからと言う理由ではない。
怯えている鬼は、腕に怪我を負っている。朧は奈鬼の事が放っておけなかった。
一方、奈鬼は恐怖に怯えていた。
腕の怪我は、今日の夕方ごろに聖印寮の隊士に遭遇し、斬られた時のものだ。
やっとの思いで、逃げたというのに、再び遭遇してしまった。それも、聖印一族に……。
彼は、絶望感に襲われていた。
「あ、ああ……」
「ね、ねぇ」
「近寄るな!」
朧が近づこうとすると奈鬼は叫ぶ。恐怖におびえたまま。
朧は思わず立ち止まってしまい、奈鬼は朧をにらんでいた。体を震わせて。
だが、朧はそんなことで怖気づくほど弱くはない。
奈鬼に向かって近づき始めた。
奈鬼は、震えながら、後退し始めた。
「近寄るな、人間風情が!さもなくば、お前を……」
「君、怪我してるよ」
「近寄るなと言っているだろう!殺されたいのか!」
奈鬼は、おびえたように脅しをかけるが、朧には通用するはずがなかった。
朧は、ただ、奈鬼を助けたい。その一心で、側によろうとする。
奈鬼は、気付くはずもなかった。朧の心情などわかるはずもなく、ただただ、怯えていた。
朧は、それでも怖気づくことなく、奈鬼の腕をつかんだ。
「来るな……。来るなぁ!」
次第に近づき、自分の腕をつかんだ朧に対して、奈鬼は思わず、爪で朧の頬を引っ掻く。
朧の頬から血が流れ、地面に滴り落ちる。
我に返った奈鬼は、再び怯えた。
奈鬼の眼には、朧が自分に殺意を向けているように思えるのであろう。自分から攻撃してしまった。もう、終わりだ。殺されてしまうと。
「あ、ああ……」
「ちょっと、待っててね」
「え?」
朧は、奈鬼に斬りかかることもなく、手当てをし始める。
包帯を懐から取り出し、奈鬼の腕に巻きつけたのだ。
次第に奈鬼は、恐怖が取り除かれ、反対に疑問が浮かび始めた。なぜ、自分を殺さない。なぜ、自分を助けようとする。妖と人間が相容れるはずなどありはしないのにと。
「はい。終わったよ」
朧は、治療をし終えた。
彼のおかげで痛みは和らいだが、それでも、疑問は消えなかった。
「な、なぜ……」
奈鬼は、疑問を投げかける。
朧は、きょとんとするが、奈鬼に微笑みかける。
奈鬼は、さらに疑問が増えた。
なぜ、笑っているのだと。人間が自分に微笑みかけたのは初めての経験だ。人間が自分に対して微笑みかけるなどあるはずなどないと思っていた。
「痛そうだったから……」
「だからって、僕は妖だぞ!?その妖を助けたというのか!?情けなど必要ない!」
奈鬼は、朧の手を振り払い、にらみつける。
人間に同情されるなど、妖にとっては屈辱だ。恥だと思っているのであろう。
自分は、妖王・天鬼の息子。その息子が情けで人間に助けられたと思うと、自分も朧も許せなかった。
いっそ、このまま殺してくれた方がよかったと思うほどに。
「……関係ないよ」
「え?」
「妖だろうと誰だろうと関係ないよ」
朧は、そう告げる。
奈鬼はますます理解ができない。
妖と人間は、殺し合うもの同士。なのに、なぜ関係ないと言えるのか。頭が混乱しそうだ。自分は騙されているのではないかと。
だが、どうしても聞きたくなった。朧を信じているわけではない。それでも、奈鬼は、訊ねた。
「だが、僕はお前を殺すかもしれないって、考えなかったのか?」
「君は、僕を殺そうとする気はなかったでしょ?」
「……」
確かに、奈鬼は朧を殺すつもりはなかった。ただ、恐怖におびえただけだ。それどころか、殺さないでと願っていた。
朧は、殺気が出てないだけで、奈鬼を助けたのであった。
それでも、奈鬼は信じられずにいた。そんな人間がいるはずない。
奈鬼は、肯定も否定もすることなく、黙っていた。
そんな奈鬼に対して、朧は、話を続けた。奈鬼が求めていた答えを告げるために。
「僕、知ってるんだ。悪い妖ばかりじゃないって。いい妖もいるんだって」
「……僕がいい妖だっていいたいのか?」
「……悪い妖には見えなかったから」
「……変な奴だな」
朧の答えを聞いた奈鬼は、うつむく。
この時、奈鬼に心境の変化が訪れていた。こう言う人間もいるのかと。奈鬼は、疑うことはしなかった。疑う要素などなかったように思えたから。
「あ、でも、ここから逃げたほうがいいよ。皆が来ちゃったら、大変なことになるから」
「……そうだな。お前みたいな変な奴がそういるわけないもんな」
奈鬼は、向きを変えて、朧に背中を向ける。
だが、奈鬼は立ち止まったままだ。
どうしたのかと朧は奈鬼の様子をうかがっていた。
その時だった。
「奈鬼だ」
「え?」
「僕の名前だ。お前は?」
「……朧」
奈鬼は、名を告げ、奈鬼に尋ねられた朧は自分の名を告げる。
まるで、自分を信用してくれた証のようだ。
朧は、うれしくてたまらなかった。
「そうか。助かった。ありがとう。朧」
「うん、またね。奈鬼」
奈鬼は返事もせず、ただ走った。朧から遠ざかるように。
それでも、朧は、奈鬼を見守った。
だが、朧は気付いていなかった。遠くから春風が二人のやり取りを見ていたことに。
「朧様?」
春風は、動揺していた。
朧が奈鬼を……妖を助けたことに。
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