第二十五話 助かる可能性
変わり果てた琴姫の姿を見た柚月達は、言葉が出なかった。
九十九はただただ、琴姫から目を背けていた。
「お、お母様……」
綾姫は、恐る恐る琴姫に近づく。
しかし……。
「近づくな!」
琴姫が声を荒げ、綾姫はびくっと体を縮こまらせてしまった。
倒れそうになる綾姫を夏乃は受け止める。
琴姫は、獣のような顔で威嚇し、綾姫をにらみつける。どうやら、彼女の眼には、娘の姿は映っていないようだ。
「出ていけ!これ以上近づくな!」
琴姫は、体を起き上がらせようとするが、札の力で抑えられている。
札は、今にも引きはがされてしまいそうだ。
綾姫はこれ以上近づくことも声をかけることもできず、ただ立ち尽くした。
そんな綾姫の様子を夏乃は見ていられなかったのだろう。
夏乃は、綾姫に申し訳なさそうに語りかけた。
「……綾姫様、戻りましょう」
「……ええ」
綾姫は後ろを振り向く。その顔は見ていられないほど、悲しそうな顔だ。今にも泣いてしまうのではないかと思うほどに。
綾姫に対して、琴姫はうなるようににらみつける。彼女はまるで妖のようだ。あの凛として、優しかった面影はどこにもない。
柚月達も綾姫に続いて、部屋を後にするが、九十九は、琴姫の様子を姿が見えなくなるまで見ていた。
それも、あきらめたような顔つきで……。
柚月達は、一度離れに戻る。
九十九も妖狐に戻るが、腕を組んで壁にもたれる。
柚月達は、何も言えず、黙ったままだ。
沈黙が続き、心苦しかった。
「……ごめんなさいね、びっくりさせてしまって」
「いや、大丈夫だ。……綾姫こそ」
「私は、大丈夫よ」
綾姫は気丈にふるまって答えるが、とても、大丈夫そうに思えない。
綾姫は琴姫を慕っていた。琴姫のようになりたいと思うほどに。
その琴姫は今は、妖のように変わってしまった。
柚月は、心配そうに綾姫の顔を見つめ、問いかけた。
「ずっと、ああなのか?」
「ええ、昨日見つけた時も、ああだったの……。開かずの間に結界が張られてあるからおかしいとは思ってたんだけど……」
「琴姫は、妖に憑りつかれているみたいだな」
「そうね……」
綾姫は、再び黙ってしまう。綾姫は涙を浮かべている。
変わり果てた琴姫の姿を見るのは、耐えられなかったのだろう。
それに、綾姫に対して声を荒げたところは、柚月達にとっても辛く感じた。
柚月は、綾姫を励ますかのように、肩に手を置いた。
朧も、綾姫の手に触れ、微笑んだ。
「……心配するな、俺達が琴姫を助ける」
「そうですよ、綾姫様、僕達が琴姫様を……」
「無理だ」
柚月と朧が励ましている中、希望を引き裂くかのような言葉が耳に入ってくる。
その言葉を発したのは九十九だ。九十九は、深刻な表情を浮かべた。
なぜ、そのような言葉を言ったのか、柚月達は、九十九の発言に困惑した。
「つ、九十九?」
「お前、何を言って……」
「もう、手遅れだ。すでに融合が始まってる」
九十九はさらなる残酷な言葉を綾姫に向かってつきつける。
妖に憑りつかれた人間は、次第に魂が妖と融合してしまう。そうなる前に、浄化すれば、助かるのだが、融合した後では、助かる見込みはない。
綾姫は手を震わせて口に当てた。
綾姫の表情を目の当たりにした夏乃は、九十九をにらんだ。
「そ、そんな……何かの間違いじゃ……」
「間違いじゃない。妖気を放ってたのが証拠だ。融合が始まってる。そうなったら、妖だけを浄化するのはできねぇんだよ。……あいつは、助からねぇ。もう、殺すしかない」
「!」
「貴様!」
九十九は、さらなる残酷な言葉を吐きだす。
綾姫は絶句し、柚月は、怒りを抑えられず、九十九の胸倉をつかみ、壁にたたきつけた。
「やめて、柚月!」
朧は柚月を止めようとするが、悲痛な叫び声が部屋に響く。
声の正体は、綾姫だ。綾姫が、柚月を止めたのであった。
だが、綾姫はこらえきれなかった涙を流し始める。
殺すしかないと言われ、耐えられなかったのだろう。当然だ。大事な母親を殺すしかないと言われて平気な人間などいるはずがない。
綾姫の涙を見た柚月は、思わず、九十九から手を放してしまった。
夏乃は、綾姫を気遣うように肩に手を置いた。
「……綾姫様、一度、お休みなられた方が」
「え、ええ。そうね、そうさせてもらうわ」
夏乃は、綾姫を支えるように歩き始める。
綾姫もふらつきそうになるが、夏乃に支えられ、必死の思いで歩き始める。
柚月達は、声をかけることもできなかった。
綾姫と夏乃が部屋から去った後、部屋は静まり返ってしまった。
だが、柚月は、こぶしを震わせる。綾姫を泣かせた九十九を許せるはずがない。九十九をにらみ、声を荒げた。
「なぜ、あのようなことを!」
「仕方がねぇだろ!融合したら妖になっちまう!方法なんてねぇんだ!」
「だからって、綾姫の前で言うことか!」
「二人ともやめて!」
二人は言い争い、声を荒げるが、朧が二人を止める。
部屋は再び静まり返ったが、居心地が悪い。
柚月は、九十九から目を背け、振り返った。
「……もういい。俺が琴姫を助ける。お前は屋敷に戻れ」
柚月も部屋から去っていく。
残されたのは、朧と九十九だけとなった。
再び部屋は、静まり返り、九十九は、怒りをぶつけるかのように壁を殴りつけ、朧はびくっと体を震わせた。
「くそっ!」
「九十九……」
九十九は歯を食いしばり、悔しそうな顔を見せる。
本当は九十九も言いたくなかったのだ。だが、言うしかなかった。琴姫を救う方法などもう残されていないのだから……。
九十九から罪悪感を感じた朧は、九十九の心が壊れないかと不安に駆られたのであった。
その後、柚月達は、綾姫の計らいで泊まることとなる。
食事を共にするが、会話は一切なく、沈黙が続いた。
夜になると、それぞれの部屋に分かれた。綾姫は夏乃と共に、柚月は一人で、朧は九十九と同じ部屋となった。朧は布団に潜り込むが、中々寝付けず、小狐に化けた九十九を眺めていた。
「ねぇ、九十九、起きてる?」
「……ああ、起きてる。なんだ?」
「本当に、琴姫様は、助からないの?」
「無理だ。あの状態だと妖になる日も近い。その前に、殺すしかねぇ」
こんな時でも、九十九はきっぱりと言いきる。
これ以上待ってはいられないからであろう。琴姫が人間でいるうちに殺してやるのが救いだと思っているのだろうか。
朧は、ふと琴姫の姿を思い返した。
「……本当に融合したのかな」
「え?」
「……確かに、琴姫様は、妖に憑りつかれたみたいに見えたけど、違う気がする」
突然、朧が自分の意見を覆すかのように話す。
九十九は、驚いたように朧の様子をうかがった。
「ねぇ、九十九、妖は憑りつかれたときに、妖気を放つって言ってたよね?確かに、妖気を放ってたかもしれないけど、琴姫様は、まるで抵抗しているように見えたんだ……。根拠はないんだけど……」
「……」
九十九は、朧に指摘されて、思い返してみる。
確かに、あの時、琴姫は妖気を放っていた。だが、手は震えていた。それに、声を荒げた様子だった。
妖気を感じ取った九十九は、琴姫が抵抗しているなど想像もつかなかったのだろう。
仮に朧の言っていたことが当たっているなら辻褄が合うような気がしてきた。それにもし抵抗しているなら、まだ、融合していない可能性の方が高い。
希望を手にしたかのように九十九は、布団から出た。
「どこに行くの?」
「……もう一度、様子を見てくる。お前の言ってる事、正しいかもしれない」
「だったら、僕も行くよ」
朧は、起き上がる。
だが、九十九は、首を横に振った。危険を感じたからだ。昼間は綾姫がいたから、開かずの間に入ることを許されたが、今は違う。みつかれば、朧もどうなるかわからない。九十九は、朧を行かせるつもりはなかった。
「お前は駄目だ。巻き込みたくねぇ」
「僕だって、琴姫様を救いたいんだ。それに、付き添いだなんて思われたくないしね」
朧は立ち上がり、九十九を抱きかかえ、肩に乗せた。
昼間、成徳に言われたことがよっぽど悔しかったのだろう。
だが、そこでひるまないのが、朧だ。自分も琴姫を救おうとすることで、成徳の言葉を取り消してやろうと意気込んだのであった。
九十九は、何を言っても朧は考えを変えないだろうと考え、降参した。
「しゃーねぇな、危険だと思ったら引き返すからな」
「うん!」
朧は笑顔でうなずく。
二人は、音を立てずに、部屋を後にした。
朧は、足音を立てずに歩き、角から顔をのぞかせる。だが、人は一人もいないようであった。
「誰もいないね」
「おう、気配は全くねぇ」
「行こう」
人の気配がないことを確認した朧は、再び歩き始める。
朧と九十九は、開かずの間に到着するが、障子には札が張られていた。
「やっぱ、札が張られてるか……。綾がいねぇと……」
「ううん、大丈夫だよ。たぶんね」
そういって、朧は術を発動する。すると、札がぽろりと剥がれ落ち、結界が解かれた。
綾姫がいないと結界は解けないと思っていたのだが、どうやら違うようであった。
「お前、術、使えたのか?」
「うん。ほら、妖刀が封印されてた社と同じ術だったから」
「なるほどな。……行くぞ」
「うん」
朧は、そっと障子を開ける。だが、そこにいたのはすやすやと眠りについた琴姫であった。
昼間とは違い、痙攣は起きておらず、顔色もいい。
まるで、妖に憑りつかれていたのがうそのように思えてきた。
「あれ?お昼に見た時と違う。普通に見える……」
琴姫の様子に朧も九十九も驚きを隠せない。
九十九はじっと琴姫を凝視するとあることに気付いたように表情を変えた。
「こいつ……。妖に憑りつかれてねぇんだ。これは……」
九十九は身を乗り出そうとしている。
朧は、しゃがみ込み、琴姫に触れようとした。
しかし……。
「そこで、何をしている!」
「!」
成徳の声が部屋に響き渡り、朧達は、驚愕して振り向いた。
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