第2話:乙女の独奏曲⑥

 哀歌さんがお店に来なくなってから、私は『荒野の果てに』を練習するようになった。

 あの日、哀歌さんはソプラノパートを歌っていたのに、私が一緒に歌いだしたから、アルトパートに変えさせてしまった…。

 だから私がアルトパートを練習して、今度こそ哀歌さんにソプラノパートを歌ってもらうんだ。

 愛華さんに協力してもらって、何度も練習を重ねた。


「うん。とても上手になったわね、実喜ちゃん」

「本当ですか?早く、哀歌ちゃんと一緒に歌いたいな…」

「実喜ちゃんは、歌うのが好きなのね」

「どうだろ…でも、哀歌ちゃんと歌うのは好きだよ」

「あははっ。愛華おば…お姉ちゃんと歌うよりも、つーちゃんと歌う方が好きだってさ」


 ………ゴン。

 虹輝さんの口調に嫌な予感はしたけれど、横から聞こえた鈍い音にほんの少し背筋が伸びた気がする。

 音の鳴った方に視線を向けると、愛華さんがマグカップをカウンターに強く叩きつけていた。

 虹輝さんは、時々愛華さんの事を煽る時がある。

 そういう時、愛華さんはニッコリとした笑顔で反論するか、今みたいにモノを使って訴える事が多い。

 板挟みにされる私はヒヤヒヤするんだけど…。

 そういえば、哀歌さんが居る時はあんまり2人がギクシャクしてるの見たことが無いなぁ…。


「…あっつ!」

「だ、大丈夫ですか愛華さん?!」


 こぼれてしまった紅茶が愛華さんの手にかかってしまったみたい。

 ポケットからハンカチを取り出して、愛華さんの手にかかった紅茶を拭く。


「ありがとう実喜ちゃん。どこかのとは大違いで、すごく優しいのね」

「私は……でも、もっと優しい人を知ってるから」

「実喜ちゃんよりも優しい人なんてこの世に居るの?」

「……いる」

「もしかして、その人って実喜ちゃんの事迎えに来てくれるはずの人?」

「はい。なかなか迎えに来てくれないけど…」

「なになに…え、私の知らない人?まさかあのピエロの事じゃないでしょうね」

「…ピエロ?」

「あー…まだ、実喜ちゃんは会った事がないかな。愛華さんとは犬猿の仲って感じの人だよ」

「あんまり、喧嘩はよくないですよ?」

「そんな、会うたびに喧嘩してるわけじゃないのよ?」


『余計なことは言わないでよね』

 ぼそっと吐き出された愛華さんの言葉…。

 ピエロって、あの白い肌に赤いお鼻のピエロかな?


「実喜ちゃんには、迎えに来てくれる王子様がいるんだよ」

「王子様ね…。でも、実喜ちゃんがずっとこの店に居るってことはまだ来ないの?」

「はい…。まだ来てくれないんです」

「こんなに可愛い子を待たせるなんて…」

「でも…私はいつまでも、ちゃんと待っています」


 だって、『扉を開けるまで待ってて』彼は私にそう言ったんだから。

 あぁ…なんだか今日は少し疲れちゃったかもしれない。

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