第16話

「なっち。」

「ん?」

「起きてるなら、ちょっとこっちに来い。」

 真っ暗になった家の中には、銀のゆったりした寝息だけが響いている。一太はなっちの手を引いて寝床を抜け、そっと長屋の外に出た。

「お前に話しておきたい事があるんだ。」

 壁を背に地べたへ腰を下ろすと、一太は真剣な面持ちでなっちを見た。

「なあに?」

 しかしすぐには口を開かず、ためらうように顔を下に向けた。

「……俺はお前に、うそつきと思われるかもしれない。でも俺はうそなんてついてない。あれは絶対に、本当の事なんだ……。」

「うそ……? ねえ、そんな小さな声じゃよく分からないよ。こっちを向いて、ちゃんと話して。」

「そうだな。」

 一太はどことなく悲しげに微笑んだ。

「俺は前に『父ちゃんはここいらでも指折りの、腕の良い鋳物師だ』って言ったよな。」

「うん。」

「父ちゃんは確かに丈夫で良い釜を作る。小僧に毛が生えたようなそこらへんの若ぞうとは訳が違う。でもな。」

 一太は、すう、と息を吸い、次の言葉を胸から押し出した。

「父ちゃんは親方じゃないんだ。」

「だって、大吉のお父さんが親方なんでしょ?」

「さっき大吉と一緒にいた奴らにとっては、そうだ。でも父ちゃんや俺の親方じゃない。」

「よく分からないよ。」

 自分の父親が会社で何をしているかも知らないなっちに、鋳物職人の世界の仕組みが理解出来るはずもなかった。困り顔のなっちを見て、一太は最初から説明する事に決めた。

「親方はまず、細工場を自分で持ってなきゃいけない。もちろん場所だけじゃなく、『吹き』をするための道具も必要だ。そうして住み込みの小僧に飯を食わせて、働かせる。」

「もしかして、さっき大吉と一緒にいたのは……」

「そうだ、あいつの家の小僧だ。みんな大吉の言いなりだったろ? 変な事を言って親方に告げ口でもされたら、おまんまの食い上げになるからな。」

 一太となっちはお釜で炊いたご飯の美味しさを口の中によみがえらせて、クスクスと笑った。

「一太はどうして大吉の言いなりにならないの? 大吉が嫌いだから?」

「まあそれもあるけどな。要は、大吉のオヤジに食わせてもらってる訳じゃないからだ。俺たちは細工場の片すみを借り、熔けた鉄を買い取って、仕事をしている。全く世話になってないとは言えないが、とにかく大吉の家とは勘定が別っこなんだよ。」

「う~ん。」

 利発であるとはいえ、小さいなっちには少々難し過ぎたかな、と、一太は苦笑した。

「それで、何が『うそ』なの?」

「父ちゃんは腕が良い。でもそれをちゃんと認めているのは、俺だけなんだ。他の連中は、みんな父ちゃんの事を嫌ってる。」

「えっ。」

 美味しいご飯を食べさせてくれた銀。初午太鼓を打てるように、親方に話をつけてくれた銀。これ以上ないくらい親切な銀を、悪く思う人がいるなんて、なっちには信じられなかった。

「こう見えても、鋳物師ってのはけっこう儲かるんだ。『宵越しの金は持たない』なんて言って、たっぷりもらってパーッと使う。でも父ちゃんは、遊びにも行かないし、酒も飲まない。寝て、起きて、食って、ひたすら毎日釜を作ってる。何でだか分かるか?」

「実はとってもケチンボで、畳の下の壺の中にお金を貯めてる、とか?」

「アホッ! そんな風に見えるかよ!」

「ごめん、ごめん。冗談だってば。」

 二人はひとしきり笑った後、ふう、と息をついた。一太は、人が真面目に話してるのに、まったく、などとブツブツつぶやいてから、人がいないか確かめるため、そっと周囲をうかがった。そしてぐっと声を落として、言った。

「大吉の父ちゃんが、俺の父ちゃんの作った釜を、ほとんど全部取り上げちまうからだ。父ちゃんが逆らえないのを良い事に、な。」

「ひどい……。」

 なっちはようやく、細工場からの帰り道、一太と銀の態度が変だった理由を理解した。そうして、大吉のお父さんが良い人だと勘違いしたのを、恥ずかしく思った。

「何で一太もお父さんも、そんなのズルい、間違ってる、って言わないの?」

 私だったら絶対言うのに。という言葉をさえぎって、一太は悔しそうに、言った。

「父ちゃんがよそ者で、このあたりに何のつてもないからだよ。父ちゃんは、西行だったんだ。」

「サイギョウ……?」

「大昔の坊さんの名前だ。腕を磨くために、あちこちの細工場を渡り歩く職人を、そう呼ぶんだ。父ちゃんは、大吉の家のどの若い衆、いや、親方よりもずっと多く場数を踏んでるから、頼まれれば何でも作れる。それに鋳型に鉄を流し入れるだけじゃなくて、砂鉄を熔かす最初の所から、全部やれるんだ。」

「すごい。」

「何でも、田舎の細工場で働くと、そういう仕事を覚えられるらしい。人も道具もそろってないからな。」

 銀の話を始めると、一太の目はキラキラと輝き出す。つられてなっちの心も、ワクワクと熱くなって来る。しかし、ふと思う。銀のそうした技術は、尊敬を集めこそすれ、嫌われる原因にはならないのではないか、と。

「やっぱり嫌われるなんて、おかしいよ。」

「みんなねたんでるのさ。それに、俺もよく知らないんだが……」

 一太は言葉を止めて、遠くを見た。

「どうも母ちゃんが関係あるらしい。」

「お母さんって……」

 一太の瞳に悲しみの色が広がったので、なっちは続きを言えなかった。二人は体を寄せたまま、しばらくの間、黙りこくっていた。

「職人に、国も生まれもあるもんか。」

 沈黙を破ったのは、一太の小さなつぶやき声だった。

 目の前をふさぐ、暗い大きな「何か」 難しくて飲み込めない部分がたくさんある上に、一太の心が壁になって、全体をながめる事すら許されない。ちびっこ会のおじさんに笑われた時以上に、なっちは自分の無力さを感じていた。

 でも。それでも。

 一太と銀のために出来る事が、きっとあるはずだ。

 なっちは太鼓を打ち始める直前のように、体が熱くなるのを感じていた。

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