第15話

 なっちはまず、初午太鼓の基本になる打ち方を習った。と言っても本番の祭りになるまで、本物の和太鼓を出して来る訳にはいかない。一太がどこからか拾って来た棒っ切れをバチの代わりにし、二人並んで地べたをたたいたのだ。

 最初はまじないの文句のように感じた「チャカマカチャンチャン」も、一太が打つのと一緒に聞けば、太鼓のリズムを正確に表しているのだと分かった。

 まずは見よう見まねでやってみて、一太はそのぎこちない部分を根気よく直した。そして時たまなっちの背後に回って棒っ切れごと手の甲をにぎり、重なったまま一緒に打った。このやり方は、バチを振り下ろす力の入れ具合を体で覚えるのに効果的だった。

「チャカマカチャン、チャカマカチャンチャン……」

 土を打つパサパサとした音とともに、二人の真剣な声は熱を帯びてゆく。単調な繰り返しである分だけ、目標に向かってまっすぐに努力する事が出来た。なっちは間違いを正されるたび顔をしかめていたが、決して休もうとはせず、この特訓が永遠に続いても構わないかのように見えた。

 しばらくは一太が力ずくで打ち方を矯正するような形だった。しかし、ある瞬間を境に、くっつき合った二人の腕の動きがなめらかになり、一太の感じる抵抗がふっと軽くなった。

「今度は一人で打ってみろ。」

 なっちはどうにかそれをやってのけた。もちろん左手を使うべき所で右手を振り下ろしてしまう、なんて事も一度や二度ではなかったけれど、そのつど一太が、

「左!」

「右!」

 と怒鳴り、間違いはしだいに少なくなった。

「お前、覚えが良いな。」

 なっちが微笑んだり得意な顔をしたりするかと期待して、一太はそう声をかけたのだが、なっちは地べたを打つのに集中、いやむしろ夢中になっていて、表情はぴくりとも動かなかった。

 確かにこの単純で力強いリズムの繰り返しには、人の心をどこか遠くに連れていってしまう作用があるように感じられた。

 天国でも地獄でもない、私たちが生まれる前にいた、あの場所へ。

「いったん休憩だ。いくら何でも続け過ぎだ。」

「えっ。そうなの?」

 なっちは興に乗って来た所で打つのを止められがっかりしつつも、やはり少々疲れたらしく、ふう、と大きくため息をついた。

 そこへ細工場のかげの方から、ちょうちんを提げた少年が現れた。一太より少し年長らしく、同じ年頃の仲間が周りを取り巻いている。

「大吉だ。」

「ダイキチ?」

「細工場の親方の息子だ。」

 変な名前、となっちがつぶやく前に、大吉は二人の目の前にやって来た。

「一太、何だよこいつ。」

 大吉はそう言いながら、なっちの顔にちょうちんをぐっと押し当てた。その悪意を存分に含んだ感触に、なっちが相手をにらみつけるより早く、一太は大吉に飛びかかって胸ぐらをがっしとつかんだ。

「うわっ、俺はちょうちんを持ってるんだ。危ないまねはよせ。」

「そのちょうちんを人の顔に押しつけて来たのは誰だよ。」

 一太は容赦なく大吉をそのまま突き飛ばした。周りの仲間に助けられて転ぶのだけはまぬがれたが、一太が大吉の怒りに火を点けてしまった事は明らかだった。

「お前、こいつに初午太鼓の打ち方を教えてただろ。」

 一太は答えずに大吉の目を見た。

「良いと思ってんのかよ。」

「別に、誰にも知られちゃならない秘密って訳でもねえだろ。」

 一太は腹立ちも忘れて、不思議そうな顔をした。

「そりゃチャカマカチャンは秘密でも何でもねえさ。問題はお前のやろうとしている事だ。初午の時、こいつに太鼓を打たせようって魂胆なんだろ。」

「悪いか。」

「悪いに決まってんだろぉ!」

 大吉は不必要に大声を張り上げた。

「こんなヨソ者に大事な初午太鼓を打たせられるか! お稲荷さんがそれで怒って、細工場が火事にでもなったらどうするつもりだ。」

 周りの少年たちからも、そうだ、そうだ、と声が上がった。そしてその中の一人が、

「一太だって本当は入れたくねえんだぞ!」

 と叫ぶと、全員がどっと笑った。一太はカッとしてその声の主に棒っ切れを投げつけた。

「痛え!」

 それほどの衝撃とも思えなかったが、その少年は大袈裟に、痛え、痛え、と騒ぎ立てた。それを見ると大吉はニヤリと笑って、正々堂々とケンカが出来るとばかりに、一太に向かって殴りかかった。一太はそれをよけながらも、なっちを守ろうと横を見た。

 けれどもすでに、その姿はそこになかった。

「い、痛え! 今度はほんとに痛え!」

 なっちはいつの間にか大吉たちの後ろに回り、少年たちのやわらかい首筋を思いっきり引っかいていた。猫のように爪を立てて。

「この野郎、小せえから手加減してやろうと思ったのに、ふざけんじゃねえぞ!」

 その後は蹴ったり殴ったり、正真正銘の取っ組み合いとなった。

「お前たち、何してんだ。」

 銀は細工場から出た所で騒ぎに気付き、その中心になっちがいる事を認めて慌ててかけ寄った。なっちも銀の姿が目に入ると、ぶら下がって噛み付いていた大吉の足を離した。

「なぁに、初午の相談だ。なあ、一太。」

 着物はヨレヨレ、顔や首は引っかき傷だらけだというのに、大吉はまるで余裕たっぷりであるかのような言い方をした。一太はそれがよほどしゃくにさわったらしく、ギロリとした視線だけを返した。

「ねえ、私は初午太鼓を打っちゃいけないの?」

 なっちはすがるような目で銀を見た。正直言って、年上の男の子たちとケンカして傷だらけになるのは、いっこうに構わなかった。勝とうと負けようと知ったこっちゃない。しかし太鼓を打たせてもらえなくなったとしたら、耐えられない。夏祭りも逃げて来てしまったし、ここで打てなかったら今年は一度も太鼓の「本番」をむかえられない事になってしまう。

「ちびっこ会」のおじさんなら「来年がある」と言うだろう。でも来年は今年と違うのだ。小四の祭りは一生に一度しかない。もう二度と。

「大丈夫だ。親方にも話をつけて来た。」

「うちのオヤジが良いって言ったのか?」

 銀がゆっくりうなずくと、大吉は心底驚いたらしく、目を大きく見開いた。

「そんな訳ですから、二人をよろしくお願いします、大吉さん。」

「うそだ! 銀はうそをついてる!」

 大人の銀がこんなにていねいに頭を下げているというのに、アンタの偉そうな態度は何なのよ、とばかりに、なっちは大吉のおしりの下を思いっきりつねってやった。大吉は虫をつぶすようにその手をはたいた。

「うそじゃねえぞ、大吉。もうみっともねえまねはよせ。」

 そこに現れたのは、銀と同じ半てん姿の、しかし銀よりずっとでっぷりした、ひげ面の男だった。

「父ちゃん……。」

「銀の頼みを聞かない訳にはいかないんだ。お前にももう分かるだろう。」

 大吉は一瞬、眉根を寄せると、自分の父親から目をそらすようにして、細工場の奥の方へとかけていった。銀と一太は静かな表情で親方におじぎをし、家の方角に歩き始めた。

「大吉のお父さんって、良い人だね。」

 なっちの発したその明るい声は、まるで最初から聞こえないと決まっている言葉のように、夜の闇の中へと消えていった。

 銀と一太は家に着くまで、ずっと無言だった。

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