第68話 出るものは出る
目標地点がさほど遠いわけではないので、その後、一行は順調に進んで無事に金城に着くことが出来た。……途中で劉嘉賓が「馬糞を踏んでしまった!」と大騒ぎしたことを除けば。
劉嘉賓は自分の足で歩いているのではない。驢馬の背に跨っている。
だから馬糞を踏んでしまったのは自分自身ではなかった。驢馬の絶影である。
絶影は元々野生の驢馬で、劉嘉賓が飼っているわけではないし、背中に乗っていても、自在に操っているのでもない。驢馬が勝手に進んでいるだけだ。
障害物があれば、劉嘉賓がどうこう指示などをしなくても、驢馬が自分で判断して回避してくれる。
だが今回は、すぐ前を歩いていた馬が歩きながら糞を落としたため、回避が間に合わなかった、ということらしい。
「そんな程度のことで、いちいち騒ぐな! 自分が踏んだんじゃないから、別にいいだろうが!」
蒋師仁が怒鳴りつける。半歩進むごとに騒動を起こすが如き劉嘉賓という面倒な若者には、もうすっかりうんざりしていた。
「さっき泉で足を洗ってやったんですよ! それなのに、こんなことになって、こんな腹立たしいことってありますか!」
劉嘉賓も負けじと怒鳴り返した。蒋師仁と劉嘉賓の二人が口論している間にも、一行も驢馬もまた前進を続けている。歩きながらの言い合いだ。
「そうは言ったって、今の話を聞いたところじゃ、直前を歩いていた馬が落としたものらしいから、避けられなかったんだろう。驢馬を責めるのは可哀想じゃないか。その驢馬に乗って世話になっているんだろう?」
「自分は絶影を責めているのではありません! いきなり糞をした馬が悪いって言っているんです! 歩きながら糞を落とすなんて、ありえません。礼儀というものを学んでいないのでしょうか」
「馬の都合なんか知らない。これだけたくさんの数の馬や駱駝を連れていれば、歩いている最中に便意をもよおす奴がいたとしても不思議ではないだろう。それにいちいち文句をつけてどうするんだ」
言い争いの原因がくだらないせいで、蒋師仁の怒鳴る勢いも長続きしなかった。体力に自信はあるのでこの程度のことで消耗して旅に支障が出ることは無い。だが、余計な心配事や揉め事で使わなくてもいい気力を磨り減らすのは賢明とは思えなかった。
「はいはい。また喧嘩ですか。馬と駱駝といい、人間同士といい、同じ使節団の一員なのに、どうしてこうも争ってばかりいるのかしらね?」
仲裁にやってきたのは王玄策だった。正使なので、揉め事が発生すれば沈静化するよう務めなければならない役割だ。
「正使! 絶影が馬の糞を踏んでしまったのです!」
「それは分かったから。だから、どうしたいと言うのよ?」
「さっきの泉まで戻って、また足を洗ってやりたいのですが」
勿論、却下だった。単なる時間と体力の浪費でしかない。
「その辺の小川に行って、というのも駄目。もうすぐ金城の村に着くのだから、そこまで我慢すればいいでしょう。踏んでしまったのは自分じゃなくて驢馬なんだから」
「驢馬だからといって放置されたのでは絶影がかわいそうだって言っているんですよ」
劉嘉賓が驢馬を大切に思い、丁寧に面倒を見ようとしているのは悪くないことだ。だが、それだけを気にしていて使節団全体に迷惑がかかることまでは想定していないというのが、正使である王玄策にとっては困りものだった。
「そもそも、馬の糞程度のことで、そんな大騒ぎしないでよ。今後の旅のことを考えたら、馬の糞には慣れてくれないと困るんだけど」
「慣れる? そんなの無理に決まっているじゃないですか。鼻が曲がりそうなくらいに臭いですし」
「じゃあ、いっそのこと、鼻の穴が塞がってしまうくらいまで大きく曲がってしまえばいいでしょう。それなら悪臭も一切感じなくなるでしょう」
鼻筋の通った美女は、冷たい声で辛辣に言い放った。
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