第63話 偽物に注意
「でも……」
行き倒れの天竺女が、ためらいを湛えながら、言葉を紡ぐ。
「気を付けて、ください。あなたが、出会う、占い師、偽物です」
「えっ?」
「は? なんだって? じゃ、今まで言っていたこと、全部信用できないじゃないか」
少し語気を強くして、劉嘉賓が行き倒れ女に言い募る。
「す、すみま、せん。でも、本当です。マハーチーナーの姫、偽物です。本物は、そこには、居ません。そこに居るのは、偽物」
本当に申し訳なさそうな表情をしているものの、行き倒れの天竺女は明確に指摘した。占い師が偽物であると。
「わ、私の夢は、本当に未来を、視る、のです。たぶん。きっと。か、必ず。そ、そして、夢の中で知りました。あ、あなたも、偽物」
そう言って天竺の女は、真っ直ぐに王玄策を指さした。
王玄策は息を呑んだ。本来ならば何を根拠に自分が偽物であると言うのかと反論すべき場面であろう。
だが、王玄策は、整った美貌の表情を固くしただけだった。それはまるで、北魏時代に雲岡の石窟に造営された、やや角張った顔立ちの仏像の面相のようだった。
「ま、まあ、文成公主が偽物、という指摘はありがたく参考にさせていただくわね。それじゃあね。さようなら。無事に長安に着けることを祈っているわね。まああとちょっとだけど」
途中で息継ぎすらせずに、早口でまくしたてて、王玄策は天竺から来た女に別れを告げて、西へ向かって大股で早足で歩き出した。
「あ、正使! 待ってくださいって! あ、あ、それじゃさよなら!」
慌てて、顎の無精髭を撫でながら劉嘉賓も後を追う。訓練されているわけでもない野生の驢馬の絶影は、飼い主である劉嘉賓よりも更に遅れて、面倒くさそうに後ろをついて行く。
劉嘉賓は慌て過ぎたために、驢馬に乗るのすら忘れていた。
あまりにもあっさりした二人と一匹の去り際に対し、置いて行かれた格好の天竺女は、ただ呆気にとられた表情で立ち尽くし、西方を眺め、今まで己の辿ってきた道のりの遠さを思い直すのみだった。
足早に、王玄策は西へ急ぐ。そこには正当な理由がある。
驢馬に乗って勝手に東に戻り始めた厄介者を引き留めて連れ戻すために、本隊をその場に待たせたまま時間を浪費してしまった。
使節団が目指すのは遥か彼方西方の天竺だ。こんな、まだ出発したばかりの辺りで足踏みしている場合ではない。
「ちょ、待ってくださいって、王正使。歩くの速すぎですって。ほら、絶影がついてこれないじゃないですか」
驢馬の絶影は、人間の歩行速度について行けていないのではない。単に自分の速度で歩いているだけだ。四本脚の獣は、その気になれば速く走ることもできるはずだった。それに、本隊から離脱した場所からこの位置までは、特にこれといった横道があるでもない一本道だったので、迷う心配も無いのだ。
「それにしても王正使、あの、天竺から唐まで来たっていう女、無事に長安に到着できるでしょうかね? そして玄奘法師に会うことが出来るでしょうか?」
「さあ? そこまでは、我々の関知するところではないわね。長安まで送り届けて面倒を見てあげるわけにもいかないですから、はい」
少し息を切らせるくらいの早足で歩く王玄策の言葉は、随分と素っ気なかった。先ほどまで親切に親身になって天竺女の世話をしていた同一人物とは考えられないほどだ。
「はぁ、はぁ、王、正使。な、なんでそんなに急いでいるんですか?」
「急いでいませんから。いや、寄り道をしてしまって旅が遅れているのだから、急いで取り戻すのは当たり前ですから!」
急いでいないと言ったり、急いでいると言ったり。自分でも矛盾したことを言っていると自覚した王玄策だったが、急いでいないと言った心境は決して嘘ではなかった。
これは、急いでいるのではない。焦っているのだ。
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