第59話 歴史に名を残す二十歳前の女
西からの風は強いが、空は晴れている。雲は多く流れていて日の光が陰ることも多いが、気温は概ね快適だ。
まだ唐の国内、長安の近くを旅するうちは、慣れた気候のもとで旅をできる。王玄策や劉嘉賓たちにとっては恵まれた状況だ。長安から離れれば、この利点は次第に失われて行くだろう。
だが、行き倒れの彼女は天竺出身らしい。唐の事情に関する知識は皆無だろう。言葉を話すこともできないので、道行く人から情報を聞き出すこともままならぬ。
だから知らなかったのだ。
天竺からここまで旅してきた長さに比して、都の長安までの残りの距離は僅かであること。
天竺人の女には、唐の土地勘など全く無いであろう。だから自分が長安の近くまで迫っていたことに気付くことが出来ていなかったのだ。
健康な人ならば、徒歩でも一日歩けば長安まで到達できるだろう。
行き倒れの女は弱っているので、徒歩で一日では無理かもしれない。だが、長安が逃げるわけではない。
王玄策から噛んで含めるように説明を受けて、行き倒れ女の頬に赤みが若干ながらも戻ってきた。
「い、いいんですか? 王正使。なんというか、良い話ばかりを吹き込んで。そりゃ長安までは、あともう少しで目と鼻の先くらいなのかもしれないけど、玄奘法師って今は長安に居ましたっけ? 洛陽だか翠微宮だかに行っているんじゃないですか」
渋い表情をしている劉嘉賓も、決してケチをつけているわけではない。現実として、これから先に天竺から来た彼女の旅路に待ち受けているであろう困難に思いを馳せただけのことだ。
「別に私が玄奘法師の見張りをしているわけじゃないから、細かい動向までは分からないけど、仮に長安に今も居たとしても、そう簡単には会えないでしょうね。皇帝陛下の用事も多そうだし、持ち帰ってきた経典と格闘するのに忙しそうだし」
玄奘法師は、隋、唐の国で学べる仏教に限界を感じ、釈迦の残した原典を見なければ分からないと思ったからこそ遠路天竺へと赴いたのだ。そして大量の仏典を持ち帰ってきた。
その数、六五七部もあるのだ。ただ、それが梵語で書かれていたのでは、玄奘のように梵語にも通じている僧侶でなければ読むことができない。それでは、せっかく唐に持ち帰ってきた意味が無い。
唐の言葉に訳さなければならない。
玄奘の歴史上の功績は、唐から天竺まで往復して大量の経典を持ち帰ったこと以上に、その厖大な経典の主要なところを翻訳したことが大きい。現在もまだまだ翻訳事業の途中であり、忙しい。
「でも、彼女が玄奘法師に会えるかどうかとか、そもそもここから長安なり洛陽なりまで到達できるかどうか、我々が責任を持つことじゃないですよね?」
「まあそれはそうよね。私たちだって天竺へ行かなければならないのだから、彼女を長安まで連れて行ってあげるわけにもいかないし。行き倒れているこの場は助けるけど、その後のことは自分の運と努力次第といったところかしら」
冷静な表情で王玄策は視線を西へ向けた。この位置からでは、離れてしまった本隊の姿すら見えない。
強く吹いていた風がひととき弱まり、馬の尻尾のように結わえていた王玄策の黒髪が、動きを減らして背中に垂れかかった。荷物も武器も砂埃も正使の責任も皇帝の密命も、王玄策の背中に背負っているものは多い。
だからどうしても普段から表情は厳しくなりがちだった。
しかしこの時、劉嘉賓が見つめる王玄策の横顔が、唇が少し緩んで柔らかい表情になった。
「でも、彼女は運もあるし、唐の高僧に会いたいという一念の強さは素晴らしいものがあるわね。16歳という若さの女の身でありながら、天竺から長安の目前まで、一人で旅して来たんだから」
「彼女が道中ずっと一人だったとは限らないですよね。多分、途中の過程では一時的な同行者も居たんですよね」
「そりゃそうでしょうけど。そうであったとしても相当の女傑だと思うわ。仏教界だから、梁の武帝の時代に八歳の頃からお経を誦出していた尼僧の僧法の再来とも言うべきかしら」
「そんな人いましたっけ? 自分はどちらかというと、晋の頃に一三歳という幼さながら敵を突破して味方の危機を救った荀灌娘に準えるべき勇猛さと行動力だと思います」
「そんな人って、いた?」
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