第34話 予言は全部当たっている

「それにしても、魏書体を駆使するとは。こりゃ相当の異端児で変わり者といえるだろう」


「お言葉ですが蒋副使、全然、異端ってことは無いですよ。そのうち、この魏書体が認められて、名のある書家は皆、北朝風の書を嗜む、という時代になりますよ」


「そのうち、って、いつだよ?」


「一〇〇年後、くらいですかね」


「その賀守一の言葉が正しいかどうかは、確認のしようが無いな。一〇〇年後だと、大唐帝国は今以上に栄えているであろうが、さすがに俺も賀守一も死んでいて、産水の畔あたりに墓誌と一緒に埋められてしまっているからな」


 蒋師仁が現在24歳。賀守一の年齢は不明だが、蒋師仁よりは若そうなので、恐らく20歳くらいだろうか? いずれにせよ一〇〇年後には二人とも一二〇歳過ぎだ。仙人にでもなれない限り生きてはいまい。


 言ってから、蒋師仁は欠伸をした。顎が外れるかというくらい大きく口が開いた。


 副使という重責を担っての旅が始まったのだ。疲労が皆無ということはない。それどころか、宿舎に入って安心した段階で、堤防の決壊のように一気に黄色い泥のような疲れが押し寄せてきた。


「あ,蒋副使。眠いんだったら、寝てください。俺も、書法の道具を片づけて寝ますから。まあその気になれば徹夜して書の練習を続けることもできますけど」


 賀守一は穏やかな笑顔を見せた。一瞬、賀守一の左右の眉が離れた状態で別々に動いたように見えた。だがそれは蒋師仁の錯覚だった。灯りが頼りなく暗い部屋なので、見間違えただけだ。


「まあ、賀守一は若いようだから、徹夜で何かをし続けることも気力体力の観点からは可能なのだろう。だが、よりによって魏書体の練習となると、やはり珍しさが目に付く」


「だってほら、南朝風のなよなよした字よりも、魏書体の方が壮健で格調高いですし」


「それは賀守一個人の感想です、ということだろう。二王風と魏書体の相違を見ても、感じ方には個人差があるだろう。実際には、長安の一〇〇万人の中で、魏書体を追求しているのは、数えるほどしかいないんじゃないかな」


「蒋副使、そもそも長安の人の数は、一〇〇万はさすがにいないでしょう、まだ今は」


 長安の人口の寡少はともかくとして、魏書体を嗜む者がどれほど異端かというと……


 諸葛亮や司馬仲達が活躍した三国志の時代が終わると、南と北にそれぞれ王朝が立つ時代になった。南北朝時代という。


 政治的に南北に分断されただけでなく、書法もまた、南と北でそれぞれ独自の発展を遂げることになった。


 南の王朝は、風流を解する典雅さと高い学識を誇る貴族が権力の中心にいた。王羲之、王献之親子という史上最高ともいうべき書家も出現して、書法は芸術として高処を極めた。清和秀潤な趣の書風だ。


 一方、そこから遠く離れた辺陲の地である北の王朝は、騎馬民族が幅をきかせていたため、質実剛健を尊ぶ気風があった。書法も、洗練された端正さよりも荒々しいけれども力強い作風が発展した。


 その後、隋王朝によって南北朝は統一された。


 そして今は隋王朝を打倒した唐王朝の二代目皇帝の時代である。


 南北の王朝が統合されたことにより、それぞれ進化していた文化もまた融合した。書法も例外ではない。


 どうなったかというと。


 その二代目皇帝李世民が王羲之に傾倒した上に、側近たちも皆、南朝風の書の達人であった。


 そのような状況で敢えて北朝風の書を継承する者は、皆無ではないものの、ほとんど存在しなかった。


 だから、少数派であることを承知しつつも堂々と魏書体を練習している賀守一は、相当の変わり者なのだ。


 蒋師仁は大きく溜息をついた。周囲にこれだけ数多の変わり者がいると、自分もまた同じ色に染まって、通常の感覚を失ってしまうかもしれない。


 改めて、一筋縄ではいかない使節団なのだと再確認する。


 と、同時に、蒋師仁は思い出し笑いで顔がにやけるのを抑えられなかった。

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