15:神聖大田自由民国
朝、登校中に突然電車が止まり、入ってきた兵士に大声で、
「ただ今から大田区は日本国ではなくなりました。通勤通学者は身分の証明できるものを見せて下さい」
と言われた。生徒手帳を出すと、そこに入国証明印を押された。臨時処置らしい。教室に入ると隅に銃を持った兵士がいた。どの教室もそうらしかった、同級生は男子も女子も教室の中央に集まってざわざわしている。
「みさとちゃん、家が大田区だよね、昨日何があったの」
「テレビはどのチャンネルも砂嵐で何もわからない」
「きょうポストに新聞入ってなかったからパパが新聞社に電話したけど繋がらなかった」
「教室の隅の兵士は自衛隊じゃない、自衛隊だったら腕に日の丸ついてるし」
そして、みんなの疑問と不安を一身に受けるように先生が登場した。
「ええ、動揺する方もいるかと思いますがホームルームを始めます、起立、礼」
「おはようございます」
がたがたと椅子をひく音が聞こえる。
「ええ、今日みんなちゃんと来れたかな?」
子供たちはみな極度の緊張で誰も口を開こうとしない。教室は異様な静けさだった。先生は教室が静かであることを十分な間をとって確認すると、予定通りといった手際で、職員室から持ってきたかご─それには学級日誌や今日配るプリントなどが入っていて先生が毎朝持ってくる─の中からファイルを取り出し、わざとお茶目に見つからないふりをしながら、最終的に茶封筒を取り出した。そしてその不自然な膨らみから、クラスメートには、それに明らかに紙以外のものも入っていることがわかった。
「ええ…」
言いにくそうにして誰もいない廊下のほうを見る、黒板には昨日の日直の名前がまだそのままだった。
「今日.......ここは、日本ではありません、いま、この学校があるのは日本ではなくて、外国です。そう、つまり皆さんはいま海外旅行をしているんですね。」
先生の口調が急にいつも通りになる、それはかえって不気味だった。
「ああ、そっか、、みんなは電車で放送聞いたからもう知ってるんだね、ごめんごめん、今のはせんせいのミスです、」
そう言って先生は茶封筒を膨らませているそれ─明らかに紙以外のものを取り出してクラスメートに見せた。それはとても綺麗な色をしていた、単一に染められた色というのは、これほどに美しいものなのかと私は思った。
それが神聖大田自由民国の国旗だった。
隅に兵士がいる以外、授業は平常通り行われた。体育では運動会の練習─それはいかに保護者にとって満足な思い出を提供するか─をし、漢字テストでは、授業前の休憩時間にいかに概念情報を脳に詰め込めるかを競った。しかしあんなにうるさかった選挙カーは、どのテストも、英語のリスニングを妨害することもなかった。
山口くんは、教室の隅にいる兵士とのコンタクトに試みた。兵士は口を黒いネックガードで覆っていたが顔は見えたので、少なくとも欧米人ではないことはわかったが、もしかすると中国軍とか、北朝鮮軍の可能性もなくはなかった。山口くんは、ちょうど僕らの学年から小学校で教えられるようになった英語も混じえ、兵士とコンタクトをとろうとした。しかし、兵士は石像のように動かなかった。流石の山口くんにも、兵隊をつつくような勇気はなかった。ゆあちゃんは「もしかしてロボットじゃない?」と言ったが、それはないと思った。
給食の時間になると、みんなが兵士に注目した。いくら頑固に突っ立っていても、人間は確実におなかが減る。兵士はご飯を食べるためにいつか動かざるを得ない。しかし、昼休みが半分を過ぎても、兵士は直立不動で教室の虚空を見つめるだけだった。そしてそのまま昼休みは終わった。
5時間目にはプログラミングの授業があった。コンピュータールームに行く時、私たちは初めて兵士が動く姿を見た。クラスメートがあまりに動いた動いたとはしゃいだので、テクノロジー創成の先生は兵士に申し訳なさそうに謝ったが、完全に無反応だったので日本語が通じているのかどうかさえわからなかった。兵士はクラスメートの動きに合わせて前後に2名ずついたが、帰りは授業課題が終わらない人が中間休憩を使ってプリントを仕上げたので、コンピュータールームと教室に2名ずつ配置された。
結局兵士についてはわからずじまいでその日は終わった。本日の部活クラブ活動は全て休止する旨が遅れて放送されたので、体育館から大勢のバスケ部が戻ってきたりした。
「なんか思ったより普通だったよなー」
やまとくんはそうつまらなそうに言った。
「なんかもっと大騒ぎになってテレビとか取材来ると思ったのに」
私は、ずっと後になって、「普通だった」と思わせることが彼らの目的だったのだと思った。学校には兵士がいて、テレビは砂嵐しか映さないのが当たり前だと感じさせることは、どんなテロリズムよりも、長く大きな影響をもたらすのだ。
神聖大田自由民国は、私が小学校を卒業するとともに崩壊し、次々と逮捕された首謀者は、どれも後に冤罪だと分かった。私はあの兵士が本当はどこから来ていたのかずっと思い出せないが、そもそも覚えようともしていなかったのかもしれない。
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