第14話

「ああ、お前の仲間たちは過保護だったな」

「――シリウス、お前も自分の影響力をよくよく自覚した方がいいと思うぞ」

 重々しく嘆息した彼女は、先ほどよりも幾分か流暢な話しぶりだった。たったこれだけの時間で少しは回復したのか、それともオリジナルと呼ぶ少女の危機に対する反応なのか。どちらにせよ彼としては好都合だ。

「静かなのは今だけになりそうだから、ここで言っておくが」

 そこで彼女は急に声を潜めた。不意にねめつけるような強い視線を向けられ、彼は眉根を寄せる。この眼差しはただ恨み言を告げるためのものではない。その瞳の奥にあるのは懸念と警告だった。

「イーストの封印が解けた」

 一言一言はっきり発音するよう、口にされた言葉。低く抑えているのになお泰然と耳に届いた声は、信じがたい事実を告げていた。耳を疑った彼はさらに顔をしかめた。

 ――イーストの封印が解けた。何度繰り返してみても、その事実が指し示すことは一つだ。

「嘘だろう?」

 そう聞き返しながら、彼は彼女の肩を強く掴む。揺さぶる直前で思いとどまったのは、青白い肌が間近に見えたからだ。

 嘘だと言って欲しいが、彼女がそんな重大な物事を冗談で口にするわけがないと知っている。心を落ち着けるよう奥歯を噛むと、彼女はゆるりと頭を傾けた。

「やっぱり気づいてなかったか」

 どこか残念そうに彼女は微苦笑を浮かべる。そんな風に言われても、高位の魔族の密やかな復活に気づける者などいる方がおかしい。転生神リシヤが施したというあの封印そのものがよくわかっていないのだ。

「そんなものに気づく奴は普通はいない。本当なのか?」

「嘘でこんなことは言わない。残念ながら本当だ」

 彼女があえてここだけの話にしたのは混乱が生じるからだろう。いくらアルティードやケイルでも、イーストの名を出されてたじろがないはずがない。

 今のところ確認されている魔族の中で、最も高位なのが五腹心と呼ばれている五人の魔族。イーストはその一人だった。シリウスは直に見かけたことさえないが、空色の髪と優雅な物腰が特徴的な青年だという。

「あの気はイーストだ。アスファルトの研究所辺りを探っていたんだが、そこにイーストの気が現れた。間違いないだろう」

 アスファルトというのは、先日ミスカーテを追いかけてきた魔族だ。彼女の生みの親であり、魔族界では「腐れ魔族」などと呼ばれている科学者だった。

 だがその実力は五腹心が危険視するほどであり、半ば無理やりイーストの配下にされたという情報を得ている。目覚めたイーストが真っ先にアスファルトの元を訪れたのは腑に落ちる話だった。

「お前、そんなことまで感じ取れるんだな」

 しかしここで驚くべきはその点だ。アスファルトの研究所がどこにあるのかはわからないが、少なくとも地球のすぐ近くではあるまい。そんな遠方の気まで探っているというのか?

 おそらくイーストとて、全力で気を解放しているというわけでもないだろうに。

「得意だからな」

「……それを得意の一言で済ませる奴はいないと思うが」

「慣れだ、慣れ。まあそういうことだから、巨大結界の穴もこの地球の状況も全てイーストに伝わったと考えていいだろう。あいつは慎重派だから、すぐには動き出さないのがせめてもの救いだな」

 眼差しは真剣なまま、彼女は語調だけは軽くする。どう前向きに捉えたところで絶望的な気持ちになる状況だ。

 五腹心が蘇ったとなると魔族の活性化は避けられない。先導者を得た彼らはいずれこの星への総攻撃を計画することだろう。この星に『鍵』がある限り必然的な流れだ。

「よい知らせがないな」

 つい舌打ちが漏れる。仮初めの安寧が終わりを迎えたことは明らかだった。それでも彼女はふわりと顔をほころばせ、首を横に振る。

「だが、最悪の状況でもない」

 彼女の想定する最悪の状況とは一体どのようなものなのか、尋ねてみたい衝動に駆られた。しかし今は目の前に迫る危機をどうにかする方が先決だった。イーストのことはそれからだ。

 嘆息したシリウスはゆっくりと立ち上がる。その拍子に白い回廊に軽く靴音が響いた。鬱陶しい髪を背へ追いやりつつ、彼は上半身を傾ける。

 見下ろす先の彼女は相変わらずの微笑をたたえていた。森で会った時と何ら変わらないように見えるのだから大した取り繕いだ。

「最悪ではないか。ならばそれを証明してみせろ」

「またそれか。たまには自分で確認してみたらどうだ?」

「口の減らない奴だな。だがお喋りはここまでだ。行くんだろう?」

 笑って尋ねながら彼が手を差し出せば、彼女は逡巡なくそれを掴んだ。軽く引き上げるだけであっさり立ち上がる様は、予想したより滑らかだ。

 それでもすぐに手を離そうとしないのは、平衡感覚でも狂っているのだろうか。精神系の技はいわゆる精神の流れを乱し、断ち切ろうとするものだから、そういった現象が起き得ることは想像できる。

「行くしかないな。魔獣弾の動きに魔神弾が引き寄せられる可能性もある」

 それでも首を縦に振る彼女の双眸に、迷いの色は見られなかった。




「カルマラさんだわ!」

 前方に見える人影の中に見知った者を見つけた。だが張り上げた梅花の声を遮るよう、耳障りな高音が周囲に響き渡る。技と技が干渉し合った際に特有のものだ。魔獣弾とカルマラたちが既に交戦している証拠だった。

 辺りの建物は魔神弾の触手が先日あらかた破壊してしまったせいで、悲しいことに見晴らしがいい。瓦礫が転がっているため走りにくいのは困るが、戦況は把握しやすい状態だった。

「一応、小瓶に気をつけてっ」

 すると背後からリンがそう呼びかけてくる。魔獣弾があのミスカーテという魔族から怪しい瓶を譲り受けている話は、既に聞いている。毒が入った瓶の場合は、どのような効果があるのかわからない。

 無論、それ以外にも精神を奪う瓶があることもわかっている。どちらにせよ瓶には要注意だ。

「わかってますって!」

 答えたのは青葉だ。突然の魔獣弾の来襲に、飛び出すことができる者は限られていた。ちょうどシャワーの時間で不在だった人もいるし、そもそもまともに技が使えない人もいる。

 ストロングではホシワ、スピリットではシンとリン、シークレットは青葉にアサキ、梅花、ピークスはよつきのみが向かうこととなった。フライングはたまたま全員不在だった。

 急ぎながらも上から借りた武器は持ってきているが、剣の扱いに長けていない者が手にした場合どの程度有効かは不明だ。ないよりはましといった程度だろうか。

「こちらに気づきましたね」

 白い男が一人倒れた拍子に、魔獣弾は神技隊らの方を見た。彼の纏う気に怪しい色が溢れたところを見ると、何だか嫌な予感がしてくる。まさか神技隊をおびき出すのが目的だったわけではないと思いたいが。

「来るぞ」

 シンの警告に、梅花は相槌を打った。すぐに精神を集中させて、まずは結界を生み出す。

 突として地面がかすかに揺れた。ついで迫ってきたのは青い風だった。魔獣弾が得意とする技の一つだ。ミスカーテも似たような芸当を披露していたという話を聞くと、もしかしたらミスカーテの真似なのかもしれない。

 透明な膜へとぶつかった風は、青い残渣を煌めかせながら空気へと溶け込む。この後に黒い技が続くのがいつもの魔獣弾の手だ。

 予想通り、巻き上がる砂煙の向こうから次々と黒い矢が迫ってきた。

 だが案ずることはない。前へと飛び出した青葉とシンの剣がそれらを次々と叩き落としていった。何の合図もなかったはずだが、二人の息はぴったりだ。これが長年の付き合いによるものなのか。梅花は感心しながらも、目でリンに合図を送る。

「わかってる!」

 即座に頷いたリンは短剣を掲げてみせた。元々はラウジングが持っていた武器だが、戦闘後の騒動で返し損ねていたらしい。

 ならば利用させてもらおうと開き直るところがリンの強さだった。いいように使われている身であることを考えれば、それくらいの方が精神衛生上はよいのかもしれない。これだけ命を張って魔族の相手をするのだから、大目に見て欲しいところだ。

 また地が震え、辺りに緊張が走った。ろくに動けていない白い男たちの向こうで、カルマラが片膝をつく。

 土系の技か? 直接的な負傷には繋がらなくとも、疲労しているところには痛い一撃だ。狙いを変えた魔獣弾がカルマラ目掛けて右手を振るうのが見える。

 だがそうはさせまいと青葉が跳躍した。倒れている白い男を飛び越え、長剣を振り下ろす。その動きに気づき、魔獣弾は後退した。

 いや、それだけではなく再び黒い矢を生み出した。次々と放たれる矢を空中でいなすのは困難なはずだが、青葉はそれを器用に避ける。さすがの身体能力だ。

 魔獣弾はさらに飛び退り、青葉から距離をとった。その隙をつくように今度はシンが強く地を蹴る。振り上げた大振りな刀身が赤い光を帯びた。

 そこで魔獣弾が懐から何かを取り出すのが見えた。膝を使って着地した彼の手の中にあるのが何なのか、確認する暇はない。それでも皆が危機感を抱いたのは感じ取れた。

 青葉は深追いせず後退し、入れ替わるようにシンが飛び出す。その後に続いたのはリンだった。彼女を中心に気が膨れ上がるのが感じ取れる。

 梅花は結界の心積もりをしながら、素早く周囲へと視線を走らせた。この状況に戸惑っている白い男たちも、きっと毒の小瓶の存在は知らないに違いない。

「喰らいなさい!」

 立ち上がった魔獣弾が何かを投げつけてくる。やはり小瓶だ。それが青い光を纏っているのは梅花の目でも見て取れた。

 直前に熱でも加えてあったのか、すぐに硝子の弾ける音がする。と同時に、青い煙が一気に広がった。まともに吸い込みたくはない、鮮やかな青だ。

「あなたの手はわかってるのよ!」

 その青を絡め取ろうとリンの指先が動いた。彼女の手のひらが生み出した風は、まるで意志を持っているかのように広がり出す。

 速度を落とした彼女へと寄ったシンが剣を構えるのを確認しつつ、梅花はそのままカルマラの傍へと走り寄った。ざっと見たところ大きな怪我はなさそうだが、気は不安定だ。魔獣弾の技が一度か二度は直撃したのかもしれない。

「カルマラさんっ」

 呼びかけながらその手を引こうとして――そこで梅花ははたと顔を上げた。突然全身を包み込む違和感に、咄嗟の勘でそのままカルマラを地面へと押し倒す。

「ひぃぎゃっ」とカルマラの潰れた悲鳴が漏れたが、説明している暇はなかった。

 ついで訪れたのは轟音だ。狭い場所を強風が無理やり吹き抜けた時にも似た音。それが突然、鼓膜を叩く。

「梅花!」

 その中にかすかに青葉の呼び声が混じった。梅花はできる限り頭を低くしながら、自分の身に一体何が起こったのかを把握しようとする。

 周囲の気へと意識を向けつつ目だけで頭上を見上げようとして――そこで彼女は絶句した。ちょうど彼女の真上を、黒い筋が怒濤の勢いで通り過ぎていた。この光景には見覚えがある。これは、魔神弾だ。

「梅花!」

「失せろ!」

 このままでは顔を上げることもできない。梅花が息を詰めていると、二つの声が重なるのが聞こえた。そして突然気の流れが途絶えたと思った刹那、無理やり引き起こされる。

 何が起こったのかわからず顔を上げた梅花の目に映ったのは、二人の青葉だった。――否、アースと青葉だ。

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