第16話
「前のレーナが死んだってどういうことだと思う?」
シャワーを浴びて部屋に戻るなりいきなり飛び込んできた問いかけ。扉を閉めた青葉は大きな布片手に首を捻った。
白い殺風景な大部屋は、人が少ないせいで今まで以上に広く感じられる。先に戻っていたのはシンとよつき二人のみのようだ。入り口傍の壁にもたれて座っている二人を見て、青葉はそちらへ近づいていく。
前回の滞在時と同様、宮殿の一室を借りている彼らだが、この第五北棟の設備は限られている。もちろんシャワーが人数分あるはずもなく、皆はずぶ濡れになったまま順番待ちとなっていた。
女性は人数が少ない分待ち時間が少ないだろうか。無世界にあるような大きな風呂があれば便利なのだろうが、そもそも風呂がある家の方が少ないのが神魔世界だ。この宮殿にあるはずもない。
「もしかしてずっと話してたんすか?」
「いや、オレたちもさっき戻ってきたところ。で、どう思う?」
青葉はシンの横に座り込んだ。無世界から持ってきた適当な服に着替えたおかげで、体は軽くなっている。
戦闘用着衣も着心地は悪くないのだが、その値段のことを思うと何だか窮屈に思えるから気持ちの問題というのは不思議だ。借り物のせいかもしれないが。
「オレにはわからないっすよ」
「まあ、そうだよな」
「でも急にレーナが強くなってて疑問だったから、その点では納得っすかね」
胡座をかいた青葉は、膝を指で叩きながら苦笑した。どこからどう見ても、言動を振り返るだけでも、以前のレーナと何も変わらないのだが。
それでも「違う」のだとイレイは教えてくれた。「殺された」の意味するところはよくわからないが、何かが変わったことは確からしい。
「ああ、そうだな……」
「あれ以上強くなるとか、どうしたらいいんでしょうね」
シンとよつきはほぼ同時に嘆息する。強くなれと言い残したレーナの方が先に強くなっているというのはどういうことなのだろう。
何故だか青葉たちを守ろうとしてくれているからいいものの、敵対するようなことになったらと考えただけでぞっとする。そんなことになれば、確実に死が待っている。
「どうしたらいいと言えば、カルマラさんたちは大丈夫でしょうか?」
そこで不意に思い出したようによつきがそうこぼした。大丈夫の意味をはかりかねて青葉は顔をしかめる。
カルマラが受けた傷は、どうやらレーナが治したらしい。当人は不服そうだったが、それまでの青ざめた顔が嘘のように血色を取り戻していたから効果は著しかった。
しかし、まさか神技隊だけではなく上の者にまで手を貸すとは、レーナの考えが読めない。するとシンも同じようなことを思っていたのか、うーんと小さくうなり声を漏らした。
「カルマラさんの怪我ならレーナが治してただろう?」
「ええ、それはそうですが。でもあんなことがあったら、その、心境は複雑でしょうと思って」
「そっちか。それはオレたちにはわからないよな」
シンの苦笑を横目に、青葉は首の後ろを掻く。乾かしたばかりの髪の先が指をくすぐった。
カルマラに関しては一度動揺が落ち着けば案外あっさり受け入れてしまう気もするが、問題はラウジングだろうか。レーナに致命的な一撃を与えたはずのラウジングの姿を、あれ以来まだ見かけていない。
「殺された」レーナが戻ってきたと知ったらどう思うだろうか? こればかりは青葉にも予想ができない。カルマラよりも撃たれ弱そうだという印象を持っているので不安はある。
「まあでも、とにかくオレたちにできるのは現状の把握と回復だけだな」
そこでシンが身も蓋もないまとめ方をする。実際、間違ってはいない。魔獣弾を、得体の知れない魔神弾をどうするのか、結論を下すのは上であって青葉たちではない。決定権など何もなかった。
彼らにできるのは万全を期すだけだ。そのためにはまず回復が最優先だろう。
「わたくしたちにできることなんて限られているのですね」
「使いっ走りみたいなものだからなぁ。命も張ってるところが笑えないが」
肩をすくめたシンに、よつきは苦い笑みを向ける。相槌を打とうとした青葉は、ふと戦場でのことを思い出し、眉間に皺を寄せた。
本当にそれだけだろうか? もっと何かできるのではないか? 違法者を追いかけていた時とは違うのだから、もっと何か、少しでもできることを探さなければ。
「どうかしたのか? 青葉」
「え? ああ、いや、別に」
そんな考えが伝わったわけではないだろうに、シンに訝しげに尋ねられて青葉は首を横に振った。こういう時の察しの良さは、おそらく長年の付き合いによるものだろう。サイゾウたちならまず気づかない。
ただしもしかすると、梅花なら気づいてしまうかもしれない。
「ならいいんだが」
何か言いたげなシンは、それでも深くは追及せず頭を掻いた。青葉は適当に愛想笑いして、持っていた大きな布を両手で抱え込む。
問いただされたところで彼にもうまく説明できないので助かった。ただ漠然とした焦燥感があるとでもいうか、何か忘れているような気がするだけなのだ。
皆が無事に生き残るためにはどうすればいいのか? リシヤの森のことを思うと、気分はさらに暗澹たるものとなった。
白い回廊をゆったりと歩きながら、アルティードは一人物思いに耽っていた。カルマラからの報告を耳にしてから、ずっと頭に引っかかっていることがある。その朧気な輪郭を辿るよう思考しながら、彼は瑠璃色の瞳を細めた。
「腐れ魔族」
いつだったか、誰かが口にしていた記憶がある。まだアルティードが地球神代表となる前の話だ。それは誰だっただろう。
既に亡くなった者たちか、それとも宇宙にいる者か。おそらく、今地球にいる者の中にはいない。いれば力を貸してくれたことだろう。
「やはりシリウスに聞くしかないか」
アルティードは小さく息を吐いた。彼が耳にしているようなことであれば、おそらくシリウスも知っているはずだった。歩調を落としたアルティードはそっと回廊の柱に触れる。
長らく会っていない男の顔を思い浮かべる時、湧き上がってくるのはいつも後悔の念だった。彼をまた頼ることになるという申し訳なさが、胸をじくじくと疼かせる。
いや、それだけではないのだろう。繰り返してきた悔恨、見えないよう沈めてきたものが、水底から揺らめくように浮き上がってくるこの感覚。彼らにとっては望ましくない負の感情の一つだった。
「一体何年になるだろうな」
最後にシリウスと会ったのはいつだっただろう。人間たちの言う年月という感覚は、なかなかアルティードには馴染まない。
しかし人の世を渡り歩いているシリウスは、よく具体的な数字を口にして苦笑していた。百年ぶりだなと言われても「そうか」としか答えられないのが残念だが。
一人で判断し一人で行動し一人で解決できるような男は他にはいない。彼の実力と理性がそれを可能とするのだろう。
皮肉な言動がケイルたちを苛立たせていることも多いが、根はお人好しだ。頼まれると断るのが苦手だから、そうしにくい空気を出して防御しているといったところか。
それがわかっているので、よほどのことがない限りアルティードは頼らないことにしていた。
「魔族についても、あいつはそれなりに情報を持ってるだろう」
宇宙での魔族の動きは水面下で進行するのが普通だ。派手に暴れることで人間たちの恐怖を増大させていた時期もあったが、頼みの綱である『五腹心』が封印されてからは、慎重すぎるくらい慎重に動いていることが多かった。
そうなだけに、彼らの尻尾を掴むのは容易ではない。それらを日々探っているシリウスの苦労は推して知るべしだ。
「腐れ魔族のことも何か知っているかもしれない」
カルマラから聞く魔獣弾たちの言動から推測すると「腐れ魔族」というのはそれなりに有名らしい。また「申し子」というのもそれなりに知れた存在のようだ。
ただどうやら名前や容姿は伝わっていないらしい。それが奇妙な点だった。
「存在だけが知れ渡っているというのは不思議だな」
いつの間にか足を止めていたことに気づき、アルティードは肩を落とした。そして前方から近づいてくる気を感じ取って眉をひそめる。この気はケイルとラウジングのものだ。この二人が揃っているというのは珍しかった。
「何かあったのか?」
まだラウジングは調整中のはずだ。早く回復しようと頑張りすぎるきらいがあるので適度なところで休ませるよう気をつけているが、カルマラの報告を聞いているうちに疎かになっていたかもしれない。
さてどうしたものかとアルティードが首を傾げていると、白い回廊の向こうにケイルたちの姿が見えた。
「アルティード!」
真珠色の床でケイルの声が反響する。続く靴音の旋律も忙しない。ケイルがこのように大声を張り上げる様というのは久しぶりに見た。切羽詰まった様子なのは気からも感じ取れるが、何かあったのか。
「どうかしたのか?」
「書庫の様子が変なんだ」
小走りで近づいてきたケイルの額には汗が滲んでいた。その後ろで顔を青ざめさせているラウジングへ一瞥をくれてから、アルティードは片眉を跳ね上げる。
この神界で書庫と呼ばれる場所は一つしかない。古くからの書物を保管している奥の部屋だ。普段は誰も立ち入ることがない、ある種の神聖な場所。一応ケイルの管轄となっていた。
「書庫が? あそこは厳重な結界で管理されているだろう?」
「そうなんだが。そこにどうも妙な気配があると」
「誰が気づいたんだ?」
尋ねるまでもなくアルティードは予想していた。案の定、立ち止まったケイルの視線がラウジングへと向けられる。
暇をもてあましているラウジングが神界の中を歩き回っていたのは知っていた。仕事がないので手持ち無沙汰なのだろう。
「たまたま書庫の近くを通りかかった時に、結界の揺らぎを感じまして。それで、念のため利用者がいないか確認を取ってみたんです」
「この時間に書庫を利用したいという申し出はなかった」
「なるほど、では行ってみるしかないな」
アルティードは首を縦に振った。本来ならまずケイル一人で出向いて確認するところかもしれないが、二人とも何か思うところがあったのでアルティードを探していたのだろう。
報告を受けたアルティードも嫌な予感を覚えていた。この神界に出入りすることができる者ならば、書庫の利用の仕方がわからないはずもない。
しかし許可なくあの部屋に入ることができる者もいるわけがなかった。あの区画は本来、転生神アユリが管理していた。アユリの生み出した結界に容易く進入できる者など皆無だ。
頷きあった三人は、それから言葉を交わすこともなく回廊を進む。硬い靴音が響き合い、焦燥感が高まっていった。
勘違いであれば笑い話だが、この頃の異変続きを思うと楽観視はできない。自然と顔が強ばっていることを自覚しつつ、それでもアルティードは足を進める。
書庫は神界の中でも最奥に位置している。転生神アユリが『記憶』を取り戻すべくこもっていた部屋だから、彼女が消えてからも管理は厳重だった。あらゆる結界の中心がそこにあるといっても過言ではない。今の地球の要にも等しい。
だからアルティードも日頃から注意深く観察している。故に、気づいてしまった。ラウジングの言う通りだ。何かがおかしいのは、近づけば近づくだけ明白だった。
結界が無理に破られたような様子はないが、しかし何者かが干渉したようなそんな気配を漂わせている。
「ケイル、無論鍵は持っているのだろうな」
「ああ、もちろんだ」
歩きながら尋ねれば、斜め後ろにいるケイルは腰の辺りから小さな鍵を取り出した。書庫の結界を一時的に無効化するもの。それも転生神アユリが作り出したものだというから驚きだ。
彼女の功績はあまりに多すぎて把握しきることも難しい。伝え聞くものも含めると、どこからどこまでが真実なのか判断することは困難だった。
「ケイル」
「わかっている」
思考しながら歩いているうちに、目的の場所が近づいてきた。それまでアルティードの斜め後ろを歩いていたケイルが歩調を速めて先に進み出る。茶色のマントが揺れながら、アルティードの横を通り過ぎていった。
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