第14話

 木の枝や葉は大きく揺れたのに、地を踏みつける音は全くしなかった。ふうわり揺れた白い布の端、髪の軌跡が妙に目に焼き付く。

「レーナ」

 青葉は恨みがましい気持ちになるのを堪え、声の主――レーナを睨みつけた。

 小さな草原の左手、押し倒された木の幹の上にレーナは立っていた。気は抑えているのかわずかにしか感じ取れないが、それでも余裕の気配を纏っているのはわかる。

 他の四人の姿はまだ見えないが、いずれやってくるのだろう。いつの間にかそれがおきまりとなりつつある。

「――失敗作?」

 不意に、ぞっとするほど低い声が聞こえた。魔獣弾だ。青葉は固唾を呑んでそちらへと視線を送る。

 黒い瞳に憎悪と侮蔑を滾らせた魔獣弾は、レーナの方をねめつけていた。直視するのが躊躇われるような冷たい気が、彼を中心に渦巻いているような錯覚を受ける。

「そんなはずはありません。魔神弾は我々の中でも片手に入るだけの実力者です。申し子のくせに何を」

「そういうのは目の前にいる奴を見てから言って欲しいな」

 威圧的な魔獣弾には動じることなく、レーナは肩をすくめつつ嘆息した。見ればわかるだろうと言いたげな様子だ。

「失敗作」が何を意味するのか青葉にはわからないが、魔獣弾と魔神弾には決定的な違いがある。少なくとも今目の前にいる魔神弾からは、理性らしきものが感じ取れなかった。話が通じるようには見えない。

 そういった奇妙な点には、魔獣弾も気づいたのだと思っていたが。

「核の修復不全に精神の不統合。徐々に進行したのかもな。ここまで来ると暴発もありえるぞ」

「黙りなさい!」

 わかっていても認めたくはないのか。突然、魔獣弾は激昂する。

 レーナの説明は青葉にとっては理解しがたいものだったが、それでも彼女の主張が正しそうだと思えるくらいには、目の前にいる魔神弾は危険だった。

 特に、不安定に揺らぐ気が青葉を落ち着かない気分にさせる。近づいてはならないと本能が警告しているようだ。

「暴発したなら……したでかまいません。封印が緩むだけです」

 歯ぎしりした魔獣弾はそう吐き捨てた。やはり受け入れがたかっただけなのか。開き直ってしまった魔獣弾を見遣って、レーナはまたため息を吐く。そしてブーツのつま先でトンと木の幹を叩いた。

 と同時に、瞬時にその右手に長剣が現れた。無から生み出されたとしか思えない出現の仕方に、青葉は瞠目する。

 アースが普段携えているものよりは細身だろうか。彼女は魔神弾に一瞥をくれてから、刃をゆっくり魔獣弾へと向けた。

「仕方がないな。お前がそう考えるのなら容赦はしない。悪いが、魔神弾には暴発する前に滅びてもらう」

 静かだが確かな決意の込められた声。今まで以上に強気な発言は、魔獣弾の怒りを加速させたようだった。火の点った眼差しそのままに、彼は動き出す。

「そうはさせません!」

 彼の右手から生み出されたのは黒い風――おそらく破壊系だ。ナイダの谷で青葉たちを襲ってきたものと同じだった。慌てて青葉は結界を張る。余波を喰らってはたまらない。

 だがレーナは結界を生み出す素振りもなく、細身の剣を構えたまま幹を蹴った。うっすら白い光を浴びた刀身が黒い風を裂く。

「なっ」

 技で生み出された風を切り裂くとはどういうことなのか。ただの剣にそんな真似などできるはずもなかったが、考えてみるとアースが以前似たようなことをやってのけていたか。彼らの武器には何か特殊な加工でもしてあるのか?

 黒い風の向こうを凝視しながら青葉は息を呑む。

 魔獣弾は慌てて後退した。この森ならばレーナは大技を使わないと踏んでいたのかもしれない。しかしまさか武器で迫ってくるとは思わなかったのだろう。完全な読み間違いだ。

 レーナの剣の腕については、青葉はよく知らなかった。彼女はいままで自由自在に伸びる刃を使っていた。普通の剣であれば対抗できるのではと、漠然と思ったこともあった。力は彼の方があるだろうし。

「小娘がっ」

 けれどもその認識も改めなければいけないかもしれない。後退る魔獣弾へと振るわれた剣は、想像していた以上に力強かった。無駄な動きを極力省いた確かな太刀筋に、魔獣弾の余裕は失われる。

 彼に黒い技を使わせる隙を与えないつもりだろう。やはり、以前より強くなっているのか?

 だが、不意に彼女は大きく後方へ飛んだ。その理由は、すぐに明らかになった。それまで黙り込んでいた魔神弾の哄笑が突然辺りに響き渡る。気味の悪い、唐突なタイミングだった。

 ついで、その手から赤い炎が四方八方へと撒き散らされた。はっとした青葉は結界を張ろうとするが、どう考えても間に合わない。

 火の粉が降りかかる直前に、何者かの結界が阻んだ。それが誰のものであったか確認する余裕はなかった。瞳を瞬かせながら、とにかく魔神弾の動向に注意を払う。

 笑うのを止めた魔神弾は、後退したレーナに向かって歩き出した。一歩一歩確かめるように進む様は子どものごとく覚束ないが、生気のない眼差しには本能的な恐怖を覚える。

 魔神弾はレーナを敵視しているのか? あの様子だけでは判断できないが、レーナが魔神弾を無視できるとも思えない。

 そうなると、青葉たちが気にするべきは魔獣弾の方だった。視界の端に映った魔獣弾の口角が上がっている。邪魔者が消えたと言わんばかりだ。

「来るぞ!」

 滝の警告に、ほぼ反射的に青葉は動いていた。前方へ飛び出しつつ生み出したのは炎の刃。ほとんど無意識に振るっていたそれが、迫る黄色い矢を次々と払い落とす。

 空気を震わせる耳障りな高音は、技と技がぶつかり合った時のものだ。すぐ近くに滝がいる気配を感じつつ、青葉は前をねめつける。

 魔獣弾と、一瞬だけ目が合った。その双眸に、先ほどのような憎悪は宿っていなかった。それが幾分か青葉の心を軽くする。

「手短にすませてもらいますよ」

 地を蹴った魔獣弾の右手が動いた。その振りから青い風の到来を察知し、青葉は咄嗟に結界を張る。

 しかしその必要はなかった。後方からぶわりと膨らんだ気。彼らの横を擦り抜けるようにして、強烈な風が放たれた。揺すぶられた周囲の草木が一斉に悲鳴を上げる。

「だからその手は意味ないって言ってるでしょう!」

 リンだ。今度は完全に彼女の風の方が勝っていた。魔獣弾の生み出した青い風は、広がる前に抑え込まれる。

 舌打ちが聞こえたような気がしたが、無論風の唸りのせいで耳に届いているわけはない。大きくしなっている木々の前で、魔獣弾は苦々しい顔をしていた。リンの風の存在は、魔獣弾の心境にも打撃を与えたらしい。

 動き出した魔神弾とレーナは交戦しているようだが、そちらの状況まで把握する余裕はない。あのレーナのことだから簡単にやられるわけがないはずだし、どちらかといえば自分たちの身を案じる方が優先だろう。

 青葉はちらと後方を見遣った。やはり今までの攻撃で、数名は何らかの傷を負ったようだ。遠方にいる者までははっきり見えないので、もっと多いかもしれない。

「リン、それ以上無理するなっ」

 滝の声が響いたことで、風が弱まったことに気がついた。慌てて青葉は周囲へと視線を走らせる。

 それと同時に、アースたちの気が近づいていることを察知した。彼らはおそらくレーナの方に加勢することになるだろうから、こちらの戦況に変わりはないが。

「リンが倒れたらあいつはまた同じ手を使うぞ。おい、青葉こっちを見ろ」

 さらに滝の声が大きくなった。風はほとんど止みつつあるが、まだ葉のさざめきは強く残っている。こちらの声も魔獣弾までは届かないか? 言われた通り、青葉は滝の方を振り向いた。

「文句を言わず聞いてくれ。梅花は後方の結界を頼む。シンはここの守りだ。青葉はオレと来い。で、レンカは――」

「わかってる。一撃狙えばいいのね」

 突然の指示だったが、傍にいたレンカはすぐに返事をした。滝の声は後ろにも聞こえていたらしく、やや離れていたはずのシンが駆け寄ってくる気配がする。

 青葉は顔をしかめつつ近くにいる者たちの表情を盗み見た。みな滝を見ているか、もしくは魔獣弾を睨みつけていた。無論、反論の声はない。滝が何のためにそんなことを言い出したのか、咄嗟に理解したらしい。

 ここを乗り切るには魔獣弾を負傷させるしかない。そうなると精神系が必要だ。

「ああ、頼む」

「空間に悪影響が出そうだから、本当に一回だけね」

 こともなげにレンカは頷く。精神系の使い手は、現在のところ二人しかいない。それならばこの方法しかないだろう。おそらく魔獣弾はレンカが精神系を使えることは知らないはずだから、それを利用する。

「わかってる。――青葉は周りはかまわず切り込め。オレの援護は期待するなよ」

「そんなのわかってるって」

 青葉は首を縦に振りつつ口の端を上げた。自分の役目もすぐにわかった。魔獣弾の目を引きつける役割だ。

 一番危険を伴う担当だが、選ばれたことに文句はない。滝は青葉のことをよく知っているから適任だと判断したのだろう。暴れるのは得意だが、逆に周囲を気遣いながら動くのは不得意だ。後ろで注意深く立ち回るよりは前に出た方がまだ楽だった。

「滝にいこそ巻き込まれないでくださいって!」

 精神を集中させて、強く地を蹴り上げ跳躍する。その額にぽつりと滴が当たった。ついに重たい雲が耐えきれなくなったのか。

 技で生み出した炎は容易には消されないが、それでも雨は気をつけなければならない。足下が悪くなるのも厄介だ。

 もう一度魔獣弾と視線が合う。そこに侮りの色があることを再確認しつつ、青葉は炎の刃を生み出した。まずは軽い一閃。それを魔獣弾は軽く身を引く動作だけで避けた。

 青葉としてはそれでもかまわない。できるだけ派手な、それでいて周囲に影響の少ない技で、魔獣弾の注意を引ければそれでよかった。ただ、相手に黒い技を使わせないようたたみ掛ける必要はあるが。

 魔獣弾の手に、いつの間にか透明な瓶が握られていることに気づいた。あれに触れることが危険なのはナイダの谷で把握済みだ。ならば近づきすぎは禁物か。そう思って一度距離をとると、魔獣弾の左手が振り上げられる。

 まずい。直感的に悟った青葉は慌てて結界を身に纏わせようとした。しかしそれは不十分だった。青い風が生み出されようとしているのが気で感じ取れる。このままでは直撃する。

「青葉!」

 そこで滝が動いた。生み出されたのは黄色い閃光。それが巨大な刃であることを理解して、慌てて青葉は身を引いた。

 今のは雷系だ。静電気が走る時のような鋭い気配が、周囲にぶわりと広がる。これは近づくだけで身動きが取れなくなるくらいの威力だ。喰らったことがあるからわかる。

 魔獣弾も同様の判断したのか、わずかに後退った。それを確認して、滝はすぐさま刃を消す。滝自身にも負担となるからだろう。青葉は額に落ちた雨滴を拭いつつ、不定の刃を構え直す。

 やはり広範囲の技を使われるのはまずい。自分の間合いで戦わなくては。精神を集中させると、炎の刃の輝きが増した。

 そのまま草を踏みつけて飛び上がると、まずは左手で白い球を放つ。これは本当に単なる光の球だ。それが霧散させられている間に距離を詰める程度の意味しかない。

 背後を気にしなくていいのは楽だった。久しぶりに無茶ができる。青葉は不定の刃を振るった。

 普段はしないような大振りの一撃を、魔獣弾はひらりと避ける。だがそれも予想済みなので動じはしない。今は体力の限界を考える必要もない。ただひたすら単調にも思える攻撃を続け、相手に技を放つ隙を与えないようにする。

 それをどれくらい繰り返しただろう。ふいと、青葉は違和感を覚えて顔をしかめた。そして咄嗟の勘で、右に飛んだ。根拠も何もない判断だった。と、体のすぐ横を黒い針が通り過ぎていくのが映る。あれはおそらく破壊系だ。

「なっ」

 背中を冷たい汗が伝っていった。今のは一体どこから放たれたのか? それらしい動作もなしに技を使うことができるのか? 視界の端にいる魔獣弾が舌打ちするのが見えた。やはり偶然ではない。

 避けられたのは幸運だったが、しかし無理やりだったため体勢が崩れた。同じことをされたら次は逃げられない。

 焦って身を捻ろうとしたが、青葉が着地するより早く滝が動いてくれた。半身を引いて腕を振り上げた魔獣弾へと、拳大の黄色い光球が放たれる。これも雷系だ。

 近距離からの攻撃は避けようがないはずであったが、それを魔獣弾は結界で防いだ。放とうとしていた技を切り替える精度まで高いとは、やはり油断ならない。

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