第13話

 魔獣弾が現れた。その報告を受けて神技隊らが向かったのはリシヤだった。三ヶ月前に見たのと変わらぬ深い森の入口は、一目見ただけでは燃えた後などわからない。今にも雨が降り出しそうな曇天のせいで、木々の向こうは黒々として見える。

 ただ相変わらず空間は歪んでおり、その向こう側の気配は掴めなかった。

「魔獣弾はどこにいるんでしょうね」

 先頭にいる滝に向かって、シンが話しかける。その隣で青葉は首を捻った。気を探ってみてもやはりぼんやりと霧がかったように掴み取れない。感じられるのは近くにいる仲間たちの気配だけだ。

 もっとも、不調な者は待機となっているので、スピリットが加わったのに先日と人数はあまり変わらない。

「さあな。いることは確からしいが……どうやって察知してるんだ?」

「それはわかりませんが、先にカルマラさんが向かっているはずです。まずは彼女の気を探しましょう」

 嘆息する滝に向かって、梅花がそう提案した。もうカルマラは動いていたのか。遅れてきたり先に向かったりと、上は単独行動が基本なのだろうか?

 怪訝に思うが、目印にできるのならばありがたかった。もっとも、ある程度近づかないとカルマラの気も感じ取れないことに変わりない。

「そうなのか。わかった。レンカ、方角だけでもわからないか? 勘でもいいんだが」

「うーん、違和感があるのは左手の方ね」

 方針が決まった途端、滝は隣にいるレンカに向かって尋ねた。無謀とも思える問いかけに、しかしレンカはあっさりと答える。

 特段気負った様子のない返答に、青葉は顔をしかめた。二人の間にある信頼感も不思議だが、レンカのこの「勘」に対する自信も奇妙だ。普通ならもっと気弱な答え方になりそうなものだが。

「よし、左手だな」

 滝は背後を振り返って「いいよな?」と視線で確認してくる。青葉たちには何も感じられないのだから、異を唱える理由はない。案の定、誰からも声は上がらなかった。

 無言を肯定と受け取ったようで、滝はゆっくり歩き出す。皆がそれに続いた。草を踏みしめる音が森の静寂の中に染み入る。

 リシヤは相変わらず奇妙な気配に満ちた場所だった。ナイダの時に感じたのとは別の圧迫感がある。ただ「空間が歪んでいる」だけではないらしい。魔獣弾と初めて顔を合わせた時のことを青葉は思い出した。

 一体、この森には何があるのだろう。ナイダとはどこが違うのだろう。そのことについて、上は何か知っているのか? 漠然とした疑念に形が与えられたようで、薄暗い気持ちになる。

 そこで不意に以前梅花から聞いた言葉を思い出した。リシヤが消滅した時に、宮殿から調査が入っていたという話だ。

 異変の前兆を嗅ぎ取っていたのだろうとしか思っていなかったが、実はそうではないのか? 上は常にこの森のことを気にしていたのではないか?

 考えれば考えるだけ不信感ばかりが募っていく。ラウジングたちのことを悪く言いたくはないが、肝心なことが伏せられている印象は変わらない。だが今日来ているのはカルマラだ。彼女からはろくな情報が聞き出せそうになかった。

 しばらく進んだところで、突然前方のレンカが足を止めた。必然的に皆が立ち止まることになり、互いに顔を見合わせる。レンカは一度空を見上げたようだった。何があるのかと青葉が顔を上げると同時に、傍にいた梅花が動き出す。

「レンカ先輩」

「感じた? 左前方」

「技を使ってる気配ですね」

 どうやら感覚の鋭い二人は何かを感じ取ったらしい。青葉が気を探ろうとしてもうまくいかないが、二人の意見が一致しているなら間違いはないか。

 誰かが技を使っているとなると一大事だ。魔獣弾だろうか? カルマラと対峙しているのか?

「急ぎましょう」

 レンカが走り出すのにあわせ、皆も駆け出した。以前のことを考えるとはぐれる可能性もあるが、だからといって走るなと言い出せる雰囲気ではない。

 青葉は時折周囲を確認しながら森の中を進んだ。特にようが遅れないかどうか注意を払う必要がある。

 梅花たちの言っていた気配は、じきに青葉にも把握できるようになった。複雑怪奇な気が満ちる中で、確かな強い気配が複数ある。そのうち一つはおそらく魔獣弾のものだ。普通の人間とはどこか違うので、空間の歪みがあっても捉えやすい。

 森の奥へ進めば進むほど日が入らなくなる。そんな中、生い茂った木々の向こうに光が見えた。青みがかったあれは、おそらく技によるものだ。

 青葉は精神を集中させた。やはり技の気配がする。ついで鈍い音と共に、地面を振動が伝わってきた。

 ただでさえ足下が安定しない草原のせいで、何人かが足をもたつかせたようだった。あちこちで小さな悲鳴が漏れる。

「カルマラさん!」

 誰かが声を上げた。――いた。確かにカルマラだ。木々の向こう側に見覚えのある後ろ姿があった。左肩に手を添えながら体全体で呼吸しているように見える。

 一体いつから交戦していたのだろう。もしや危ないところだったのではないか?

 カルマラから返事はない。そのかわりとでもいうように、彼女の向こう側から黄色い矢が複数飛んでくる。雷系の技だ。はっとした青葉は身をかがめ、小さな結界を張った。視界の端を瞬く光が通りすぎる。

 避けきれなかったのか、数人の悲鳴が上がった。前方が見えなかった後方の者たちだろうか。

 立ち止まるべきかどうか逡巡しながらも、青葉はそのまま駆け続けた。後ろは後ろの仲間たちに任せることにする。前が詰まると動ける場所が減ってしまう。木々の多いこの森でそれは危険だ。

 不意に、いつか聞いた風の唸りが空気を揺らした。激しく揺さぶられた木々の葉が一斉にざわめく。結界を張る心づもりだけしていると、こちらを振り返ったカルマラが顔を歪めた。

「来ちゃ駄目!」

 カルマラの叫びを認識すると同時に、強風に目も開けられなくなった。耳も痛い。思わず腕で顔を庇った青葉は、技の気配を感じて自分の身に結界を纏わせた。

 何が起こっているのか、気を探ろうとしても曖昧にしかわからない。何かが何かにぶつかる音、小声の悲鳴、木々の軋みが入り交じり、そこに混沌とした気の流れが覆い被さってくる。

 唇を噛んだところで、突として風が弱まった。耳を塞ぐような風音が薄らいだのに気づき、青葉はうっすら目を開ける。呼吸を整えながら辺りへ視線を走らせると、視界の端を誰かが通り過ぎた。今の気はリンだ。

「ちょっとどけてストロング先輩!」

 リンが張り上げた声に、幾人かの動揺する叫びが混じる。おそらく無理やり前方へ走り抜けていったのだろう。

 瞬きをした青葉は、ようやく周囲の状況を把握した。小さな草原の向こう、なぎ倒された木々の上に立っている魔獣弾の姿が見えた。突き出された彼の手から放たれていたのは青い風だ。それが少しずつ弱まっている。――いや、打ち消されている。

 カルマラの背後に駆け寄ったリンによるものだった。リンの手から生み出されているのは普通の風のはずだが、そのようには思えない。

「リン先輩無茶です!」

「あれ精神系よ!?」

 そんなリンに、慌てて梅花とレンカが駆け寄るのが見えた。はっとした滝も続く。

 そのおかげで動く隙間を得た青葉は、よろめいている仲間たちの間を縫うようにして前方へ進んだ。このまま置いていかれるのはまずいと直感が告げている。後ろはきっとシンが何とかしてくれるはずだ。

「わかってるからやったんですよ」

 ようやく強風が収まった。魔獣弾の手が下ろされるのを認めて、リンが息を吐き出す。

「こういう広範囲なのは得意なんですよね」

 いや、今のは得意の一言で片付けられる話ではない。人間業ではない、という表現の方が正しい。これが異名持ちの実力なのかと青葉は息を呑んだ。技の精度は抜きん出ているのではないか。

 その時、かろうじて立っていたカルマラがガクリとその場に両膝をついた。まるで糸が切れた人形のようだった。

 そのまま倒れなかったところを見ると意識はあるようだが、気も不安定になっている。慌てた梅花がそんなカルマラを支えようと片膝をついた。

 カルマラがこの状態となると、この場で頼れるのは自分たちだけ。胃がきりきり痛むのを覚えながら青葉は奥歯を噛んだ。

「人間の邪魔が入りましたか」

 と、それまで黙していた魔獣弾の声がした。視線を向ければ、魔獣弾は先ほどと変わらぬ体勢のまま小馬鹿にするような笑みを浮かべている。技の名残を思わせる微風に、彼の黒い髪が揺れていた。

「まあ、でも目的は概ね達成されました。もう少しでしょうかね」

 ねっとりとした魔獣弾の視線が辺りへと注がれる。その眼差しに嫌な予感を覚えて、青葉は戦慄した。「まさか」という言葉だけが頭の中を回り出す。ここはリシヤの森だ。ナイダではない。今までここで何が起きてきたのか――。

 どこからか、硝子がひび割れた時のような耳障りな音がした。青葉には覚えがあった。高音で軽く、それなのに不安定な気持ちにさせる音。これを耳にしたのは、魔獣弾が初めて現れた時だ。

「あ……」

 乾いた声を漏らしたのは誰だったのか。自分かどうかも定かではない。青葉の視線は、妙な気の流れを生み出している右手へと吸い寄せられた。

 そこに見えたのは、何もないはずの場所に生まれた亀裂だった。薄氷が割れていくように少しずつひび割れが大きくなるにつれ、向こう側の重く暗く濁った色が見えてくる。

「うまくいきましたね」

 魔獣弾の声に歓喜の色が宿る。やはりそうなのかと、青葉は固唾を呑んだ。

 広がっていく亀裂の向こうからは緩やかな風が吹いていた。その先にあるのが、本来は存在しない場所であることは容易に想像できる。

 どうしようもないことも直感的にわかるが、だからといって立ち尽くしていいものなのか。しかしこのタイミングで動き出す者はいなかった。誰もが顔を強ばらせているに違いない。

 一際大きな異音が響いた次の瞬間、亀裂から何者かが這い出してきた。まだらにすすけた灰色の髪が印象的な、ひょろりとした体躯の青年だ。

 ――否、こんなところから現れたのだから魔族か。その紫の瞳が怪しく煌めき、ゆくりなく魔獣弾に向けられる。

「魔神弾でしたか」

 瞳をすがめた魔獣弾は、喜びを隠しきれないといった様子で口角を上げた。彼自身とずいぶん名前が似ているが、何か関係があるのか。それとも何らかの名付けの法則があるのか。

 しかしやせこけた青年――魔神弾は、その声が聞こえなかったとばかりに周囲を見回した。ゆらりと上体を起こす動きも、首を捻る様も、どうにも歪な印象を受ける。

「魔神弾?」

 違和感を覚えたのは青葉たちだけではないらしい。魔獣弾は顔をしかめ、もう一度その名を呼んだ。しかしやはり魔神弾は聞こえた様子もなく、どこへともなく一歩を踏み出す。その様は、歩き出したばかりの赤子を思わせた。

 魔神弾の気が不安定なことに、青葉は気がついた。膨らんだり縮んだりを繰り返し一定しない。かといって技を放とうとしている様子も動こうとする気配もない。奇妙だった。

「何、あれ……」

 そこでおもむろにカルマラが立ち上がる。梅花が気遣うようにその腕を支えていたが、カルマラの双眸は魔神弾に向けられたままだ。青白い顔で唇を震わせている様が痛々しい。

 その横顔を視界の端に捉えつつ、青葉は眉をひそめた。思っていたよりもカルマラの状態は悪そうだ。怪我らしい怪我は見当たらないが、魔獣弾の黒い技を喰らったのかもしれない。

「半魔族? それにしては変よね」

 カルマラのぼやきに答えられる者は皆無だ。そもそもその『半魔族』とは何なのかも知らない。それでも今ここでカルマラに尋ねる気にはなれなかった。彼女の視線はいまだ魔神弾に囚われたままでいる。

「こんな危なっかしい気があっていいの……?」

「いわゆる失敗作って奴だな」

 声は、唐突に空から降ってきた。前触れもなかった。はっと青葉が顔を上げようとする直前、その主は地上へと飛び降りてくる。

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