第8話
同意していいものか悪いものか。何と続けるべきか青葉が戸惑っていると、背後でカイキが吹き出すように笑い始めた。
一瞥をくれれば、ひらひらと振られたカイキの手が焦げ付いて落ちてきた葉を払っている。その双眸には、わずかに軽蔑の色があった。
「お前らみたいに帰る場所がある奴らとは違うんだよ。オレたちは、後ろ向きになった瞬間に死ぬんだ」
軽い調子で吐き出された言葉は、捉え所がないのに重い。カイキが今まで遭遇してきた苦難の数々をうかがわせた。青葉が返答に窮していると、カイキはそのまま後方を指さした。
「どうせレーナのところに行きたいんだろう? ここでお喋りしてる暇なんてあるのか? たぶんあっちの方だ。オレ、あっちから来たから」
カイキの心境がわからない。何故そんなことまで教えてくれるのか。嘘ではないのかと訝しんでみたが、判断がつかなかった。
やけになっているのかもしれないし、レーナを止めて欲しいのかもしれない。時間稼ぎなのかもしれない。どの可能性も考えられた。
「ま、空間が歪んでるみたいだから辿り着けるとも限らないけどなぁ」
答えの出ない疑問に頭を悩ませるのも馬鹿らしく、青葉は耳の後ろを掻く。それ以外に手がかりがないのだから従うしかなさそうだ。大体、ここに長く留まっているのは得策ではない。
「大丈夫、ある程度近づけばきっとわかるわ」
梅花が音もなく立ち上がった。ふわりと熱い風に煽られた黒髪が、一瞬だけカイキの表情を隠す。
その寸前、彼が眼を見開いたような気がしたのは見間違いだったのか。揺れる髪の向こう、歪に口の端を上げたカイキは、またへらへらと手を振った。
「そうだといいな」
不思議とカイキの目が優しく見えるのは、断言する梅花の眼差しに感じるものがあったからだろうか。火の粉が散らされた黒い瞳にはまるで「何か」が見えているかのようだ。余計な言葉を差し挟む気がなくなる、一種の強さがある。
「それじゃあ行きましょーう!」
これ以上の会話はごめんだとばかりに、すぐさまアサキが声を上げた。背後で燃え盛る炎が、ごうっと急き立てるように鳴いた。
空間の歪んだ森の中で、たった一人の居場所を突き止めるのは困難なことだった。それでもある程度まで近づけば「その気」は判別できる。純粋で鮮烈で強烈な気は、隠していない限りは大いなる目印となる。
しかしこの歪みの中で「転移」の技を成功させるには、逃げられないようにするには、こちらの気配を気取られずにぎりぎりまで接近しなければならない。
だからできる限り技を使わずに、慎重に、ラウジングは行動していた。ひたすら機会をうかがい、身を潜めながら近づいていく。
好機が訪れたのは、しばらく経ってからだった。大技を使った次の瞬間を狙い、彼は転移を使って瞬時に移動する。
「っつ」
白く染まった視界が本来の機能を取り戻した時、目の前に広がっていたのは泉だった。
燃え盛る炎もそこだけは飲み込みきれなかったとみえ、波紋の浮かぶ水面が赤い光を照り返し輝いている。黒煙もこの場には留まりきらずに、辺りを緩やかにたゆたっているばかりだった。
「ああ、来てしまったか」
泉を横目にたたずんでいたレーナが、ゆらりと振り返った。頭上で結わえられた黒髪が揺れる。
ラウジングの姿を認めても、彼女は淡く微笑んだまま。気にも乱れはない。白い上衣に染みのように浮かんでいる赤は、返り血によるものか。うっすら辺りを覆う煙の中でも、彼女の姿は浮き立つようによく見えた。
ラウジングは固唾を呑む。姿は見えないが、幾人もの「産の神」がそこかしこに倒れている気配があった。
彼女に打ち倒されたのだろう。まだ命は取られていないが、このまま炎の中に取り残されたらどうなるかは言うまでもない。受けた傷のことを考えても、少しでも早い救出が必要な状態には違いなかった。
やはり、彼女は強い。この数を相手に立ち回れてしまう点だけでもそう言い切れた。何より戦い慣れしているのは明白だ。
単なる一対一の戦いでは得られない場数からくる経験がなければ、こんな場所でこんな状況でこの人数を相手取ることなどできないだろう。まさかラウジングも、自分がたった一人で彼女と向き合うことになるとは思わなかった。
それでも逃げ出すわけにはいかない。彼は腰から下げた短剣に手を伸ばした。何のためにこれを託されたのか、忘れてはいない。こういう場合も考えられていたに違いない。すると彼女が興味深げに瞳を細めるのが視界に入った。
「エメラルド鉱石か」
ぽつりと漏れた呟きが、彼の耳にも届く。まさか一目で見抜かれるとは思わず、剣を握った彼はつい瞠目した。
エメラルド鉱石の短剣。精神を大量に込めることができる類い希なる武器ではあるが、見た目は他の物と変わらない。彼が手渡されたのは装飾もほとんどない、実に地味な得物だった。手にすることでかろうじて「何かが違う」とわかる程度なのに。
「またとんでもない物を持ち出してきたなぁ」
輝く泉を背にしたまま、彼女は微苦笑を浮かべる。やはりこの武器の力についても知っているのか。彼らの本気が伝わってしまったとなると、油断してくれることは期待できなかった。
手に力を込め、彼は息を詰める。狼狽が一番の敵だ。彼女の体力や精神量も無尽蔵ではないだろうから、必ず勝機はある。そのために犠牲が出ることを厭わず、じっと今まで待っていたのだ。
「ラウジング、とかいったな。お前は本当に戦いたいのか?」
炎が勢いを増し、火の粉が瞬く。熱気のせいか、それとも錯覚か、彼女の顔が揺らいで見えた。
会話をすることで少しでも回復しようという魂胆だろうか? そう疑うものの、彼はすぐさま動き出すことができなかった。
一度戦闘が始まってしまったら一瞬の気の緩みも許されない。その覚悟にはあと一歩何かが足りない。彼はぎりと奥歯を噛んだ。
「戦いたいか戦いたくないか、そんなことは関係ない。お前にこのまま好き勝手されるわけにはいかない」
「なるほど、われのせいということか。まあ、その気持ちは想像できる。今までひっそりと引きこもってきたわけだから、家の中を荒らされるのは我慢ならないのだろう?」
怒るどころかしみじみと同意され、彼は困惑した。「引きこもり」という揶揄にさえ、咄嗟には反論できなかった。
間違ってはいない。彼らはずっとこの「巨大結界」の中に隠れていた。――否、隠れられてはいない。しかし手が出せないと認識されることで長らく平穏を保ってきた。危うい安寧だ。
それなのに、内側でこんな混乱が生じていることが知れたらどうなるか……。想像したくもない。だから皆が焦っている。狼狽えている。もしもの場合を考え、一刻も早く手を打とうとしている。
「警戒するのは当たり前だろう。一体、何が目的なんだ?」
何度も脳裏をよぎっていた疑問を、彼は口にした。得体の知れないこのレーナという存在を、危険視するのは妥当だと思える。小さな綻びが破滅を導く例は、嫌と言うほど耳にしていた。
「目的? 端的に言えば、現時点ではオリジナルたちを守ることだ」
「守る? 何から?」
「それは言わずともわかっているだろう?」
小首を傾げた彼女の髪が、熱風に煽られて優雅になびく。わずかに細められた瞳を凝視することは、彼にはできなかった。
まさか魔族からとでも言いたいのか? 彼女が情報提供者として、半魔族の復活について警告してきたことを思い出す。そのために彼女は来たと?
では何故神技隊を襲ったのか? やはり腑に落ちない部分がある。行動に一貫性が見いだせない。彼女の言葉を信じるだけの材料がなかった。
嘘は吐いていなかったとしても、まだきっと隠していることがあるのだろう。そんな気がする。
彼女が何か企んでいるのなら、野放しにはできない。半魔族の復活が『外』に知られないうちに、騒動を鎮めなければならない。そのためにも彼女は邪魔だった。
だからケイルたちは彼女を葬るよう伝えてきた。生け捕ることは不可能だろうという判断は、ラウジングも納得できる。可能ならもっと情報を得たいなどと欲張ると、足下をすくわれかねない。手加減ができる相手ではなかった。
「そうか。……だがいつまでもここにいてもらっては困るんだ」
彼は短剣を構える。頭の中が整理できたところで、覚悟が固まった。致命傷を負わせることができたなら、彼女はこの星から撤退してくれるのではないか。そんな朧気な期待もある。
あの半魔族――魔獣弾は、先日の戦いで負傷しているはずだ。彼女さえ何とかしておけば、手の打ちようはある。
「帰るなら今のうちだぞ!」
右方で幹が折れ、倒れる音がする。息を詰めた彼は地を蹴った。ぶわりと勢いを増す火の粉が風に乗って流れてくるも、かまわず走る。手にした短剣の刀身が、赤い瞬きを反射して鈍く輝いた。
彼女がため息を吐くのが見えた。まるで聞き分けのない子どもを見つめる大人のような、呆れながらも微笑む瞳で、ひたとこちらを見据えてくる。ひたすら強い双眸だ。
これが気にくわない。自分だけは全てを知っているのだと言わんげな眼差しが腹立たしい。翻弄するのが相手の狙いだったとしても、苛立たしさは抑えられない。
彼は駆けながら短剣を突き出した。彼女相手に小細工は意味がない。ただこの武器の力を出し切ることだけを考えればいい。いや、そうするより他なかった。
気合いを込めた一閃。揺らめくように後退した彼女は、紙一重のところで剣をかわした。軽く体を傾けるだけのごくわずかな動き。それでも服の一端をかすりもしない。
大振りとなった彼の方が、次の一手が遅くなる。彼女が刃を生み出す前にと左手へ振るった剣は、案の定空を切った。
それと同時に襲い来るのは、背中への衝撃。一瞬、何が起こったのかわからなかった。それでも勢いに逆らわず前転したおかげで、深手にはならなかったようだ。
彼は草の中を転がりながら距離をとる。視界の端で、青白い光が煌めいていた。あれは彼女得意の精神系に違いない。
じわりと広がる鈍い痛みを自覚しつつ、彼は結界を張った。念のための防御だったが意味はあったようだ。透明な薄い膜の上を刃が撫でるように通り過ぎる。
「このっ」
歯を食いしばりながら立ち上がり、彼は振り向きざまに剣を突き出した。
闇雲な動きになってしまったが、幸いにも迫る不定の刃を受け止めることができた。彼女が手にした薄青の刃が揺らぎ、耳障りな高音を放つ。
彼はまた結界を張りつつ数歩後退した。精神系の直撃を受けると、技の発現に影響が出る。エメラルド鉱石の短剣があるとはいえ、できる限り食らいたくはなかった。
彼は元々精神容量がそれほど大きいわけではないし、制御も得意ではない。
彼女は一足踏み出し、刃を軽く横薙ぎにする。その切っ先が目測よりも伸びることは、これまでの戦いで見聞きしている。
飛びすさろうとした彼の結界を、青白い刃がかすめた。再び耳障りな音が空気を震わせた。しかし彼女はさらに迫ろうとはせず、刃を消滅させる。
胸中で疑問が湧き起こるが、その理由を探る余裕などなかった。今が機会とばかりに、彼は左手で炎球を放つ。
彼女の横を通り過ぎたそれは、背後の泉に着弾しジュワリと音を立てた。揺らいだ水面から白い煙が上がる。その行く先には目もくれず、彼は強く地を蹴った。
手段は選ばない。彼女を倒す、それだけのために彼はここにいる。
決意に呼応するように、手にした短剣が淡く輝いた。
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